2024-06-22T19:08:40Z #056 下九一色小学校下芦川分校

#056 下九一色小学校下芦川分校

養蚕という地場産業と基礎教育の場が同居した珍しい学校モデルの地、下九一色村。その分校として設立後1世紀の物語を地域と共に刻み、静かに消えていった廃校の歴史を追います。聞き取り調査の内容を参考に、この小さな学校でどのような教育が行われたのかをレポート。

下九一色小学校下芦川分校

山梨県│下九一色小学校下芦川分校

調査:2011年04月
公開:2013年01月06日
名称:下九一色小学校下芦川分校(下九一色尋常小学校分教場)
状態:2013年04月に解体済

旧サイトで公開していたレポート内容を2023年現在の調査内容に統合して再エントリーしました。また古くなった情報などは精査して削除しております。



一時期、日本全国を沸かせた大事件で名を馳せた過疎地。不名誉ではりますが記憶の片隅にへばり付くように誰もが知る小さな集落、上九一色村。国家治安を揺るがす騒動に発展し、報道はこのテロ事件一色になったこともありました。

ですがこちらの集落名をご存知の方は少なかった筈、それが下九一色村。富士の山麓近辺では富士山に近い方を上方、遠い方を下方と捉える地名が多く存在します。以前ご紹介した上暮地も同様、遠い方には下暮地が存在ます。


今回は余り語られる事のなかった下九一色村に長い年月放置されていた廃校、下九一色小学校下芦川分校を掘り下げたいと思います。

今回も事前に市川三郷町役場教育委員会教育総務課へ連絡し、資料なども提供して頂きながら地元の方へのヒアリング内容も含めてレポートしていきます。

平成大合併で消滅した下九一色村


現在は市川三郷町という名称で運営されていますが過去、該当地域は下九一色村として沢山の歴史を受け継いだ過疎地の小さな集落でした。

1872年 下九一色村発足
1889年 生活区域拡張の為に区域分割、上九一色村と下九一色村が発足

地域拡張によって区域分割が行われ下九一色村は誕生しました、下九一色村は更に八区域に分割されていてそれぞれ畑熊、中山、三帳、垈、高萩、下芦川、八坂、折門の地区で一つの村として機能していた集合型山岳集落の一つだったようです。

その中の下芦川地区にこの下九一色小学校下芦川分校(当初は下芦川学校として)は創立され、山間部の子供達の学び舎として大きな貢献を果したのでした。

1954年 上野村、大塚村、下九一色村が合併し三珠町発足
2005年 三珠町、市川大門町、六郷町が合併し市川三郷町発足

記憶の残る上九の地名はどうやら現在は遠い物へと、1999年から2010までの役10年間の間に政府主導で沢山の市町村合併が行われましたが上九の地も自治体広域化の波に飲まれた結果となりました。



1872年当時、この地域にはまだ学び舎がなく1876年になって漸く分校扱いではありますが下九一色小学校下芦川分校が創立しました。

世はグラハム・ベルが電話機を発明したり日本では廃刀令が話題となった時代です。


土地勘が全くなかったので行政から提供して頂いた案内図を頼りに入口を発見、どうやらここから斜面を登って高台に向かうようです。

入口を探していた最中に話しかけてい頂いた畑仕事中のKさん夫妻も同行し、古い話と共に案内された先にその廃校はありました。

下九一色尋常小学校分教場

辛うじて建っているようで風が吹けばあちらこちらからガタガタと軋む音が聞こえます、予想以上に崩落が近づいている内部へは自身ひとりが入ることを伝え、先だってKさん夫妻は色々と話を聞かせてくれました。

この学校は50年くらい前に建て替えた、ここ(手前の畑を指さして)が校庭だったが運動の時間は山(裏手)まで子供が走り回っていた。子供たちに養蚕をやらせていた、この辺りは江戸時代から養蚕が盛んで蚕の神社なんかも昔はあった

下九一色尋常小学校分教場

入口わきには近年に建てられた記念碑が。

2000年代に入ってからこの廃校を補修保存しようという動きがあったそう、残念ながらNPO発足とまではいかず計画は頓挫したそうですが卒業生を何人か探し出してプロジェクトの資料なども製作したのだとか。その資料をどうにか入手したかったのですが立ち消えしてから少々時間が経過していたようで手掛かりは掴めませんでした。

念願だった山岳地帯の教育の場、地元に愛されていたに違いありません。




廃校当時でも既に時代に取り残された校舎だった


下九一色尋常小学校分教場

小さいですがこちらは炊事場です、奥の扉の向こうは物置。

東側の炊事場から内部に入ると直ぐに判ります、これは今から保存活動を開始しても既に手遅れの状態なのだと。目に入る至る所に崩落が確認できました、屋根も抜け落ちて雨風が入り込んでいるのかかなりひどい状態です。

注意点
来訪時に撮影した写真は行政広報へ活用されました、また取材内容は静岡新聞社へ提供しています。

下九一色尋常小学校分教場

廊下の床という床は殆ど抜け落ちています、北側の棚も所々崩壊して養蚕で使ったであろう道具なども転がっている状態でした。左側に見える扉の向こうは教員室です。

下九一色尋常小学校分教場

下九一色尋常小学校分教場

教員室の室内。

下九一色尋常小学校分教場

こちらは西側端の1学年及び2学年の共通教室。

1876年に単独校として誕生した下九一色小学校下芦川分校、当時はまだ地区の独立小学校として下芦川学校として運用が開始されました。1889年、周囲の地区にも独立した小学校が創立され始めた為に校区の見直しがされました。その時に改称となり、下九一色尋常小学校分教場へ名称が変わりました。

広報みのぶ - 2012 No.91④
https://x.gd/vm8Nr

下九一色尋常小学校分教場

1954年、約80年使用した校舎の改築工事が行われ箱物を刷新。下九一色小学校の生徒増加に合わせて分校扱いとなり下九一色小学校下芦川分校と改称します。

人口増加に合わせて改築分校化しました急激な近代化による人の流出、過疎化により1974年に廃校となります。残された生徒は本校下九一色小学校へ統合され校区移動、その下九一色小学校も5年後の1979年に市川三郷町立上野小学校へ統合され、下九一色小学校下芦川分校の生徒は完全に消滅。1世紀に及んだ山間の小さな小学校は建物だけを残して消えてしまいました。

下九一色尋常小学校分教場

壁が取り除かれていますが本来は三部屋に分割されていました、東側手前が3学年及び4学年の共通教室、中央が多目的教室、西側一番奥が先ほどの1学年及び2学年の共通教室です。

地元の方にお話を聞いた通り、校舎内部には養蚕に関係する古めかしい機械が残されています。繭毛羽取機や糸車巻機など現代では見ることが無くなったアンティーク機械です、この地域特有の教育的文化だったのか授業に養蚕を取り入れるほど富士山麓では蚕産業が盛んに行われていました。

教室内には蚕飼育標準表などの掲示物も、地域柄飼育標準試験なども行われていたのかもしれません。

養蚕と富士山、歴史紹介 - 富士山Net
https://archive.is/aFp2h

富士山と養蚕 - 山梨県立富士山世界遺産センター
https://archive.md/zHiiV


蚕の神社があったとお聞きしましたが後の机上調査で近代化までの長い間、地域産業として養蚕は人々に馴染み深いものだったよう。自然信仰の亜種として蚕信仰のシンボルだった蚕影山の石碑が集落には残されています、蚕影山に関する記述はウェブ上に沢山残されているので興味があれば是非調べてみて下さい。

蚕影神社 - 日本伝承大鑑
https://x.gd/ICCo4

蚕影神社 - ウェキペディア
https://x.gd/MSJKS

蚕影山信仰 - コトバンク
https://x.gd/dMfvv

下九一色尋常小学校分教場

こちらの掲示物、下九一色小学校下芦川分校の間取り図です。内部に最初に入った炊事場写真でご紹介した通り、改築当時はそれぞれに壁がありました。

この間取り図によれば、

下九一色尋常小学校分教場

赤枠の校舎西側に教員宿舎があったと思われますがこちらは廃校後早々に取り壊しが行われ、取材時にはその形跡さえ発見できませんでした。

下九一色尋常小学校分教場

下九一色尋常小学校分教場

廃校後、どのタイミングで壁が取り除かれたのかは定かではありませんが養蚕の作業場として転用されたなどの話も聞くので地場産業に貢献した結果なのかもしれませんね。

下九一色尋常小学校分教場

兼ねてから倒壊の危険性が地元民から問題視されていましたが2011年の震災後から議論が本格化、2012年には市川三郷町一般会計補正予算に「下芦川分校解体工事費」が計上されます。農地転送された校庭はその間々残し、2013年04月に解体工事が行われ、現在は更地となりました。

平成24年度09月補正の概要
https://x.gd/JBpY8


下九一色小学校下芦川分校

1876年 下芦川学校創立
1889年 下九一色尋常小学校分教場と改称
1954年 校舎改築、下九一色小学校下芦川分校と改称
1974年 廃校(本校下九一色小学校へ統合)
1979年 市川三郷町立上野小学校へ統合

単独の校歴として98年、同名称(本校統合)としては103年の長い歴史でした。

#045 南牧村立尾澤小中学校
https://www.sugolog.jp/2011/12/045-ozawa.html

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参考・協力

市川市三郷町役場
市川市三郷町立図書館
中央豊富図書館
甲府市上九一色窓口センター
甲府市役所上九一色出張所
下九一色郵便局
たちばなやドライブイン
南甲府警察署
九一色郵便局



レポートの場所 ※ GoogleMap登録済


注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html



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廃校遺産 the ruins of a school
昭和ノスタルジック愛好会

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