魅力的な造形美を残す廃墟して知られている山奥の水力発電所、裏手に流れる川と共に歴史がどのように揺れ動いたか。行政記録に残された情報とダム建設に関係する周囲の開発、近代化と治水事業が生んだ地域の物語を少しだけ紐解きます。
埼玉県│矢納水力発電所
調査:2011年04月
公開:2013年04月25日
名称:矢納水力発電所
状態:長期間放置
調査:2011年04月
公開:2013年04月25日
名称:矢納水力発電所
状態:長期間放置
旧サイトで公開していたレポート内容を2023年現在の調査内容に統合して再エントリーしました。また古くなった情報などは精査して削除しております。
今回調査するのは戦前に活躍した地域の電力供給施設だった水力発電所、閉鎖されてからは美しい建築造形と共に歴史的資料性の高さから土木学会の近代土木遺産に選定された魅力ある産業遺構です。この発電所が残る埼玉県では最も古い水力発電所として知られ、鉄道軌道の原動力にも使われたなかなかに興味深い施設なのです。
現在では煉瓦造りの建造物自体が珍しく、その希少性から保存の声もしばし聞こえてくるようですが表立った団体などの設立や保存活動は確認できていません。
2010年代に入ってからは廃墟フリークの撮影者が頻繁に来訪したことでも知られ、2015年頃には色々と動きもありましたが現在はまた静かなロケーションを取り戻しています。そんな山中の水力発電所の歴史を少しづつご紹介していきましょう。
1年間で大きな動きがあった水力発電所の廃墟
2011年の初来訪時は夏季には鬱蒼と茂るだろう樹木たちに覆われるような状態でした、この時期から一部では保存活動を提起する方たちが少数ながらいらっしゃいました。スゴログも当時、保存活動の為にNPO団体を立ち上げるという同志のミーティングに参加させて頂きましたが資金や参加者の住居が離れていることなど複数の問題があり、頓挫したと記憶しています。
2015年の04月、この眼前の樹木の一切が伐採されることがありました。また、同時期に入口の引き戸が新たに取り付けられ、南京錠まで設置されました。
これが何の為なのか、観光利用や保存に向けた初動なのではないかなど噂が錯綜しましたがその後は特に話題に上ることもなく、現在はまた樹木が伸び放題となっています。
注意点
南京錠も翌年には消えており、また裏口は崩落の為に開放状態となっていた為に立入禁止を強くアピールする為のポーズと考えられています。
いつしか有名廃墟の仲間入りとなり、来訪者が増える中で小さな事件がありました。
ウェブ上で「管理は神川町、撮影許可は直接問い合わせを」という内容が拡散されます。
しかし。
神川町は公式ウェブサイトで正式に「管理は神川町」を否定、個人所有の為に許可の可否をする立場にない旨を告知します。
これはどういうことでしょうか。
読者から情報提供で多摩美術大学の学生が自主制作映画の為にこの矢納水力発電所で撮影していたとアナウンス頂きました、時期は2014年08月。
公式ウェブサイトで管理を否定した町に使用許可を得た、この矛盾点を解決すべく机上調査を進めると真相が判ってきました。
実はスゴログが調査に入った2011年、この時点においても神川町の管理下ではありませんでした。調査時に私たち自身が神川町へ調査に関する問い合わせをしていますが当時既に「管理は町ではない」と断られています。
時を同じくしてこんな噂が囁かれます。
「近々、矢納水力発電所が近代土木遺産に選定される」
それから間もなく、確かに土木学会の近代土木遺産に選定されることになります。
注意点
近代土木遺産は国土交通省のウェブサイトを確認するかぎり「幕末以降、西洋の近代土木技術が導入されてから第二次世界大戦頃までにつくられた土木施設のうち、現存しているものを近代土木遺産と定義」からなるもので矢納水力発電所は2014年に指定を受けました。ただ指定文化財ではないので保存管理など維持に関する義務は発生しないのであくまで建造物の希少性を認知したという内容です。
そしてこの指定に伴い管理者がまた別の方へ移され、指定から1年間ほどは環境整備が行われていたのだとか。そこでスゴログでは四方八方手を尽くし、古地図の地番図を入手、稼働当時の住所表記から現在の正確な水力発電所住所(非常に珍しい地名)を割り出して法務局へ登記照会。この時点では住所が合っているかは判らず、完全に博打申請となりましたが。
注意点
利権者が個人の為に個人情報部分はモザイク処理を、公図に関しては地番削除をした上で掲載しております。
結果、予想は的中してこの矢納水力発電所の経緯が判ってきました。
登記上記録が残っているのは発電所が廃止された1966年から3年後の1969年、敷地の一部を分筆したものからです。
廃止後は足立区の女性が売買によって所有、その後不動産登記法が改正されたタイミングで「平成17年法務省令第18号附則第3条第2項の規定により移記」とあるのでこの時点で所有者は亡くなられていると思われます。
次に記載されるのは2014年05月、浦和区の女性が相続して現在に至ります。
と、いう事は。
廃止以降一貫して行政がこの発電所跡を所有した事実はないことになります、これで多摩美術大学の学生たちが町の許可を得て撮影しているとの発言は虚偽だったことが判明しました。またウェブ上での「管理は神川町、撮影許可は直接問い合わせを」という勝手な発言もあって神川町は正式に無関係である旨の公式見解を行ったと思われます。
つまり。
2011年 スゴログ初回調査時は神川町が管理を否定
2014年 相続により浦和区の女性が利権者となる
2014年 近代土木遺産に指定される
2014年 多摩美術大学の自主制作現場となった
2015年 真新しい引き戸が設置され施錠される
2015年 周囲の樹木伐採
2017年 神川町へ連絡すれば撮影許可がもらえると噂になる
2020年 問い合わせ多数、見兼ねて公式発表
2014年 相続により浦和区の女性が利権者となる
2014年 近代土木遺産に指定される
2014年 多摩美術大学の自主制作現場となった
2015年 真新しい引き戸が設置され施錠される
2015年 周囲の樹木伐採
2017年 神川町へ連絡すれば撮影許可がもらえると噂になる
2020年 問い合わせ多数、見兼ねて公式発表
行政関係者からのヒアリングによると何故か2017年頃から急に「神川町へ連絡すれば撮影許可がもらえる」という内容が拡散され、コスプレなどの個人・団体から多数問い合わせがあったのだとか。撮影を巡っては複数のコスプレ撮影がブッキングしてトラブルになり、警察が出動するまでになったことも。
所有者が亡くなられてからは利権者不明だった矢納水力発電所、2013年頃までは放置遺構だったが近代土木遺産の指定に伴い利権者の調査が行われて正式に相続。個人所有が認知確定したことにより治安防犯両局面の対応が施錠や伐採だったと、以降動きがありませんが登記上の利権者は2014年から変わらず。
2014年~2015年にかけて激動の裏事情がこの矢納水力発電所に起こっていたようです。神川町が公式発表に至ったのには無責任な噂を拡散させた方が少なからずいたことによるものだったのです、因みに掲載した虚偽拡散アカウントは多数より指摘を受けたにも関わらずエントリーを削除せずに現在も閲覧可能な状態です。
注意点
神川町地域おこし協力隊が町から委託される形で来訪者をアテンドする計画がありました、しかしこの時点においても所有者は個人だったので企画自体頓挫したと思われます。
全壊が近づく美しき煉瓦造りの歴史的建造物
よく見るパースの効いたこのアングル、確かに写真に収めたくなる造形美があります。
発電機設備は無理矢理に溶断したような状態で放置されています。
地下には県道331号線から延びていた水導管の取り入れルート思われる台座が残されています、放水路は裏手の神流川支流へ向かっていたことでしょう。
対岸の場所はここ。
ストリートビューには県道沿いに残る台座が映し出されています、水源の特定までには至りませんでしたが取水された水導管がこの場所に設置されていたのは間違いありません。
注意点
東京電力によると取水放水共に神流川とのこと、放水は発電所裏手の神流川支流ですが取水は神流川本流となります。しかし水導管は水導管を飛び越えて対岸に延びていました、これは高低差を稼ぐために汲み上げていたのかどうか。ご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください。
発電所側の崖沿いには水導管を通す為の掘削洞が掘られており、大きなバルブ弁もまだ残されています。
アース製薬
現在この掘削洞の手前には落下防止用の鉄製の柵が設置されて崖沿いに出れないようになっています。
裏手に周ると木造の増設部分がよく判ります、残念ながら2018年頃に左側の木造部分は全壊しましたが右側は半壊程度で辛うじて残っています。
煉瓦造りに比べ木造は経年劣化が著しく、近い将来倒壊するすることでしょう。
裏手入口付近を見上げると既に所々が朽ちています(2011年の調査時)。
この木造建築部分、増築といっても建設時期はそんなに変わりません。事務所9、メンテナンス部品の貯蔵倉庫、水場とトイレなどがありました。
現存当時の様子を見てみましょう。
裏手から入り右側1階
伝送設備とメンテナンスの為の工具などが設置されていました。
裏手から入り右側2階
こちらは事務所、撤去時に資料なども含め全て持ち去られているので残置物はありません。
注意点
2023年現在、こちらの事務所部分はまだ残っています。
裏手から入り左側1階外側
水場とトイレがあったと聞きますが痕跡が余りに皆無で確証がもてません。当時は汲取りの筈ですが安全の為の埋められてしまったのか、その他便器やシンクもありません。
裏手から入り左側1階内側(奥)
こちらも簡易設備と伝送関係の部品などが貯蔵されていたようです。
裏手から入り左側1階内側(手前)
2011年の時点でかなり崩落が進んでおり、2階に上がる為の木製階段は辛うじて形を保っている状態でした。1階部分から見上げても判るように2階の床部分は抜け落ちています、資料写真撮影の為に安全を考慮しながら2階部分へ。
裏手から入り左側2階部分
今となっては貴重な崩落前の木造部分の2階の様子、手製の棚以外は何もありません。こちらにも伝送関係の部品が貯蔵されていたのでしょう。
歴史に翻弄された吸収合併の歩み
この矢納水力発電所は埼玉県最初の発電施設としても知られており、周辺知己をはじめ東松山市・小川町・秩父の一部にも給電。運用開始時には武蔵水電株式会社の鉄道軌道の原動力としても利用されました、後に管理が帝國電燈株式会社、東京電燈株式会社、関東配電株式会社、関東配電株式会社と移管され続けて下久保ダムの建設に伴い廃止とります。
複雑な経緯を辿った発電所ですが町歴からこの発電所の歴史が判ります。
1909年 埼玉県北部及び群馬県南部の電力供給の為に水力発電所の建設が企画される
1911年 着工
1913年 神流川水力発電設立
1913年 武蔵水電に改称
1914年 仮堰堤の状態で仮使用許可を得て運用開始
1914年 川越電気鉄道と武蔵水電が合併、武蔵水電へ統一
1915年 矢納水力発電所使用認可
1917年 本堰堤完成
1922年 合併後の電力事業「武蔵水電」が帝国電灯に合併
1926年 東京電燈へ合併吸収
1942年 配電統制令により所有者が関東配電へ変更される
1951年 電気事業再編成令により所有者が東京電力変更される
1966年 下久保ダムの建設に伴い廃止
1911年 着工
1913年 神流川水力発電設立
1913年 武蔵水電に改称
1914年 仮堰堤の状態で仮使用許可を得て運用開始
1914年 川越電気鉄道と武蔵水電が合併、武蔵水電へ統一
1915年 矢納水力発電所使用認可
1917年 本堰堤完成
1922年 合併後の電力事業「武蔵水電」が帝国電灯に合併
1926年 東京電燈へ合併吸収
1942年 配電統制令により所有者が関東配電へ変更される
1951年 電気事業再編成令により所有者が東京電力変更される
1966年 下久保ダムの建設に伴い廃止
武蔵水電の情報を精査するに水力発電所の建設が企画される3年前の1906年、神流川水力電気設立の為の水利権(利根川水系神流川支流高午川左岸)が認可されています。1913年に資本金70万円で神流川水力電気が設立されますがその後は目まぐるしく管理体制が入れ替わります。
注意点
1922年の事業分割時に鉄軌道事業は新たに設立された武蔵鉄道へ譲渡、その直後に西武鉄道へと改称しました。
稼働時の矢納水力発電所のスペックは以下の通り。
発電区分
種別:一般水力
形式:水路式(有効落差70.85m)
方式:流し込み式
認可出力:1100kw
使用水量:2.23㎡/S
河川
取水:利根川水系神流川本流
放水:利根川水系神流川支流
水車:HE-2RS(950kw)ホワイト製台
発電:横軸回転界碇(1375kwA)芝浦2台
種別:一般水力
形式:水路式(有効落差70.85m)
方式:流し込み式
認可出力:1100kw
使用水量:2.23㎡/S
河川
取水:利根川水系神流川本流
放水:利根川水系神流川支流
水車:HE-2RS(950kw)ホワイト製台
発電:横軸回転界碇(1375kwA)芝浦2台
矢納水力発電所の今後
これまでの調査で行政の管理下にあった頃は保存や観光課の動きがありましたが近代土木遺産に指定されたタイミングで個人所有になり、歴史的建造物として広く認知されたことと引き換えにまた放置の流れへと至った矢納水力発電所。
どの様にして個人所有となったかまでは判りませんでしたが木造部分の大部分はその殆どが崩落、煉瓦造り部分も少しづつではありますが表面の剥離が進んでいます。
環境整備と共に矢納水力発電所を保存するには莫大な資金と人員が必要な事は明白でこれをまた一から復旧するのは現実的ではありません、すると何故負債ともいえるこの廃墟を個人が所有したのか。
この詳細が判明しない限り、矢納水力発電所の今後の展望も見えてはきません。スゴログでは引き続き経過を継続調査すると同時に周辺地域の歴史と交えながら新しい情報が判り次第更新していこうと考えています。
因みに航空写真を確認すると1960年前後までは対岸から延びる水導管は確認できても隣接する橋がまだ映し出されていません。
下久保ダムが完成した1966年の翌年、周囲のインフラ整備の一環でこの登仙橋が完成しました。つまり発電所稼働時はこの橋がなかったのです、当時の地図を確認する限りこの発電所への往来はかなり大変だった筈です。
また対岸との交通が大回り必須だったこともあり、通勤は非常に辛いものだったと予想されます。そのような苦労があった上で地元の電力供給と、鉄道軌道の原動力としての役目を見事果たした矢納水力発電所。尽力した方々へ想いを馳せながら、今回のレポートを終了したいと思います。
#013 細尾第一発電所
https://www.sugolog.jp/2010/06/013-hoso.html
https://www.sugolog.jp/2010/06/013-hoso.html

参考・協力
埼玉県
神川町役場
さいたま地方法務局本庄出張所
埼玉新聞
群馬県教育委員会
埼玉県農林部農地活用推進課
埼玉県企画財政部地域政策課
三波石峡資料館
水資源機構下久保ダム管理所
神川町観光協会
下久保ダムの記録/下久保ダム連合対策委員会
下久保ダム周辺の環境整備事業/埼玉県立浦和図書館
神泉村過疎地域振興計画/神泉村
レポートの場所 ※ GoogleMap登録済
注意点
該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。
注意点
該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。
スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html
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