2024-04-24T06:59:25Z #051 梨沢 七ッ釜渓谷

#051 梨沢 七ッ釜渓谷

都心から程近い房総半島に県内では唯一と言える沢登りができる場所が存在します、細き流れではありますが遡行、シャワークライム、鬱蒼としたゴルジュなど歩く者を高揚させます。その名は梨沢、現在は台風被害によってその姿を大きく変えてしまいましたがいつかその美しさが戻るよう、私たちスゴログも復旧作業に協力しています。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

千葉県│梨沢 七ッ釜渓谷

調査:2010年05月
再訪:2011年05月 / 2012年06月 / 2015年05月 / 2019年08月
公開:2012年09月22日
名称:梨沢 七ッ釜渓谷
状態:2019年の台風被害により部分埋没、荒廃多数。

旧サイトで公開していたレポート内容を2023年現在の調査内容に統合して再エントリーしました。また古くなった情報などは精査して削除しております。



千葉県で唯一の一般的沢遡行ルート



入渓地点のアプローチルート入口付近

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

房総半島は低山のみで登山客には軽視されがちではありますが起伏に富んだ素晴らしい沢がいくつも残っています、それは過去川廻しによって人造されて自然に還った場所であったり、造成価値がなくて開発から取り残された山間部であったり。そういった半人工的なフィールドを含め半島の殆どが実は木々に覆われた大自然、それが千葉県房総半島なのです。

近年では東京湾沿いに新たなリゾート開発が進められていますが山間部に目を向ければ手付かずの自然が多く残っています、今回はその中から梨沢の七ツ釜渓谷をレポート。

スゴログの新人研修で馴染み深く、はじめての河川遡行には最適なこの場所は県内外の沢登り客を楽しませてくれました、しかし2019年の台風15号の被害により現在は歩くのもままならない酷い状態へと変わり果てました。残念ながら行政による立入禁止が継続されています、現状入渓はおススメできません。

現在地元有志や梨沢青年会、私たちのような私設団体などが協力して倒木の伐採作業や土砂除去などが進められています。しかしその被害は余りに大きく、元の美しい沢に戻るには年単位の作業が必要だと思われます。

注意点
この沢はハーネスやロープなども不要、トレッキングステッキさえ必要ありませんが単独で梨沢大滝以降の遡行をする場合は沢底の起伏に十分留意してください。この梨沢七ツ釜渓谷はその名の通り、七つの釜状の擂鉢穴が存在します。その他にも岩底を削るポットホールも彼方此方に見られ、油断すると落水する可能性もあります。


橋の基礎知識 - 草野作工株式会社


スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

知られた一般的な入渓地点から歩き出すと滑底で大小バラバラの玉砂利や割れ砂利が入り乱れていて意外と歩き辛い。通常のの沢なら上流分にはガレが多くて下流は砂底なのですが流れが弱かったり川の形状が複雑だったり、また天候によって大きく変化する環境の場合もこの例に当てはまりません。

梨沢は非常に弱い流れで穏やかです、深みも少なくて山慣れしている方には物足りないですが実はスゴログとして注目している歴史的な背景がこの沢には存在します。

それは製炭産業です。

梨沢の中流域には地元のヒアリング調査で江戸後期から製炭産業が細々と存在したと聞いており、非常に気になっていたのです。大自然を気軽に満喫できる梨沢ですが山岳産業の場としての一面も見え隠れ、それが公的資料には殆ど残されていないとあらば探し出して調査するのが私たちの楽しみ方でもあります。

注意点
房総半島では唯一の品格的な沢歩きができることもあり、行政が設置した周回コースの看板などもあります。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

一歩足を踏み入れるとそこは千葉県とは思えない自然が広がっています、奥秩父や栃木の川俣湖北側周辺を思わせる素敵な沢です。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

2014年の大雪で梨沢は大きく荒廃しました、翌年の2015年には台風17号と18号の連続台風で増水し、沢内の岸壁が崩落。部分的な土砂崩れも発生し、流木と土砂で遡行ルートも大きく変化しました。

平成26年の大雪 - ウィキペディア

2015年台風14号「モラヴェ」進路図

2015年台風15号「コーニー」進路図

更には2019年の台風15号で房総半島全域を壊滅的な被害が襲います、この梨沢も漏れなく被害を被りました。

2023年現在、巡回ルートは立入禁止、迂回ルートは大きく崩落しました。

注意点
近年では害獣駆除(キョンなど)が頻繁に行われており、入渓地点には罠が設置されています。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

掲載している多くの写真が2014年以前のものです、というのもこの梨沢。近年度々自然災害の被害にあっており

2014年 平成26年の大雪
2015年 台風17号及び18号の連続台風
2019年 令和元年東日本台風

と直接的なダメージが蓄積しています。大雪で大滝手前の左壁が大崩落し、ゴルジュ入口の深みは埋没。連続台風で七ツ釜が埋没、多くの倒木が沢に流れ込み大きな岩もかなり流出しました。またこの頃に大滝迂回路が大崩落、2020年に復旧しましたが以前より歩くのに注意が必要です。

そして決定的だったのが2019年の大型台風が房総半島を横断した時のもの、梨沢は直撃のルートで沢内は酷い状態となりました。地元青年会やスゴログ、有志の方々が倒木などの除去にあたっていますが2022年現在も1割~2割適度の復旧に留まっています。

美しい梨沢は失われました。

令和元年東日本台風 - ウィキペディア

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

水量が極端に少ないと写真のように沢底が姿を現します、大規模な自然被害以降は特に顕著ですが梨沢の水量は減少しています。

以前は沢山の小魚にサワガニ、モズクガニ、ドジョウなど水生生物の宝庫でした。2015年以降は多様性のあった昆虫なども減り、やぶ蚊とヒルの楽園です。2012年頃まではナミハンミョウが溢れていましたがやはり現在は少なくなりました(エリザハンミョウは現在もよく見かけます)。

このような生態系の変化はキョンの活動範囲が広がり、皮膚に付着するヒルが同様に拡散されたことにあります。度重なる自然被害はロケーションの極端な変化を発生させ、また災害時に崩落などでルートが偶発的に確保されてしまって今までやって来れなかった動物が往来するようになったことも原因です。


注意点
ヒル対策では古典的な塩水に靴下を漬けて乾燥させる方法やインナーに沢用タイツを履くなどありますが一番は慣れることです、毒性はないので見た目ほど被害はありません。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

この沢では比較的大きなウグイなどもいて追い込み漁で手づかみ、簡単な内臓処理をしてから油で素揚げのような現場調理も可能だっただけにアウトドアフィールドとしての損失も非常に大きいものとなりました。

注意点
魚では火の通り以外は余り留意しませんが山菜や野生の果実の場合、似通った形状でも毒性の強いものも存在します。不慣れな場合は登山などでの食材調達は手を出さず、また飲料水もどんなに綺麗でも可能な限り持参したシティウォーターなどを摂取してください。



山間部での飲料水確保について

山間部でのフィールドワークは非常に楽しいものですが決められたルート以外の探索やピストンアタックができないアプローチで一番の問題はやはり飲料水です、潤沢な水は命を繋ぐ生命線ですがパッキングの重量は反比例するでしょう。

私たちスゴログが行っているフィールドワークでの浄水方法を記載しますので是非参考にしてください、ここまでやるのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが安全に安全を重ねて下山することがなにより重要だと考えます。

シティウォーターが枯渇した場合、川魚が遊泳している綺麗な水場を探します。この時池や水たまりより流れがあるところが良いでしょう、水源であれば汚染されている可能性も低いです。

水場が確保できたら

① 折り畳みドリッパーに紙フィルターを設置して初期ろ過
② ろ過した水を煮沸消毒(5分以上)
③ ピュアなどの添加剤で消毒
④ チューブフィルターを使用して飲む

とかなり神経質な行程を辿ります、ピュアは基本的には保険です。安全性を担保するのは煮沸とチューブフィルターとなります。

注意点
元となる水質によっては見た目が薄いコーヒーのようにもなりますが細菌、ウイルス、寄生虫などは上記4行程で殆ど対処できます。自己責任の範囲で参考にしてください。




野宿する時は最初に翌日の飲料水を作ります、時間があれば蛇などを捕まえて燻製にして行動食にしたりその間々油で素揚げにして食します。煮る、焼くは火の通りがあまい場合があるので山中調理での基本は「揚げる」が食中毒を回避する一番の摂取方法です。



スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

梨沢の美景、この景観は現在見ることができません。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

ここは大滝迂回ルートとなる小沢との合流地で比較的水量も多かった場所、2000年代入って迂回ルートは枯れ沢化して本流となるこちらも現在は微々たる水量となりました。

自然災害前から水量は減少しており、降雨量の多い年も含めてこの現象は続いています。周囲半径数キロ圏内の開発は行われておらず、水分の地中含有量の問題でもないようなので根本的に河川の源流地域における湧水量が減ったのだと思われます。

梨沢は相川の分岐河川で相川は湊川水系に属し、湊川の水量は今現在も多いことからやはり源流側の問題です。梨沢は愛宕山や無実山からはやや離れているので小さな小山が連なったこの一帯が全体的な水源となっていますが人家も乏しく、農業用水は別途用立てているので自然環境における根本的な水量復活に関する手立てはありません。

注意点
インフラに直結しない問題ゆえに行政の自然環境整備への関心は非常に低く、この地域においても現在の主要産業である農業に関する整備事業以外は地元住民もあまり関心を示しません。



安全な沢だが過去には死亡事故も


千葉県では珍しく美しい自然を残していた梨沢、それ故人気もありましたが歩き易さから年配の方も沢山入渓されていました。

そんな中で増水時や不慮の事故などで亡くなってしまうことも。

富津の渓谷で人倒れ - 千葉日報(2017.07.12)

不明男性、遺体で発見 富津・無実山 - 千葉日報(2019.10.08)

この他にも梨沢付近の山岳地帯では2022年、最近では2023年にも遭難事故が発生しています。

ビギナー向けのルートでも崩落や自然災害の後は危険が増加します、スゴログでは初心者講習で基本的なルーファン、山中でのリルート、ナメやガレの歩き方などをレクチャーしていますが特殊登山の付随技術としてラぺリングや岩場のムーブも丁寧に説明します。


スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

岩場での荷重方法や二点支点、三点支点、ガチガバちょん掛けの判断など数回にわたって体験してもらっています。大袈裟と思われるかもしれませんが安全な場所での反復動作がいざという時に役立ちます。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

緩やかな斜面で懸垂降下の練習、これは何度も繰り返し行います。少しづつ降下距離を伸ばし、斜度を厳しくしながら身体に覚えてもらいます。

最初の1年間は必ずフリクションノットを義務付け、セルフレスキューまでのロープワークを徹底的に練習します。

注意点
鍾乳洞などのケイビングは別途講習を行っており、地底湖などに対応するためにチームリーダーにはダイビングライセンスの取得なども義務付けています。同じ水場という点では時に船舶免許も必要になります。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

基礎的なロープワークを覚えたら次は要救助者を効率的にレスキューする倍力システムを場面にあった設置方法で体験してもらいます。

倍力システムは1/3や1/6などプーリーの数と設置個所とのバランスで多様な方法が存在ます、要救助者と救助者の位置関係でアレンジすることが大切です。

メカニカルアドバンテージの計算方法

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

スゴログでは登山用ギミックも使用しますが初心者には敢えてローテクノロジーな範囲でロープワークを覚えてもらい、「クライミングギアがなくてもレスキューに支障がない知識を」と考えています。

またこれにより、軽量なパッキングが可能となります。




スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

チームリーダーの判断で基礎的なロープワークの知識取得が判断されると最初は10メートル位の急斜面や空中降下を体験してもらいまう、途中のハングなど臨機応変に対応できるかもここでテストします。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

20メートル以上のラぺリングや斜面と空中降下の複合降下なども体験すればビギナールートで困ることはなくなります、各自自然のフィールドやボルダリングで練習を重ねています。



最大の見所は梨沢大滝


スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

小規模なゴルジュ、この周辺から梨沢の美しさが爆発します。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

渇水期は殆ど水の流れがなく、非常に歩き易くはありますが沢としての雰囲気はどうしても軽減されます。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

梨沢のランドマーク、梨沢大滝手前から急にゴルジュが深くなります。ここから滝を遡行した後は狭い沢を七ツ釜まで歩き続けることになりますが2014年以降は七ツ釜は埋没したままとなっています。

注意点
七ツ釜に至るルートでは過去に存在したポットホールも埋まってしまい、へツリ部分も土砂が流入しています。2022年に一時期増水によって土砂が流れ復活したとの情報もありますが2023年の 3月現在、再び埋まっているようです。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

2019年の台風被害で入口の素掘り隧道(郷蔵トンネル)が崩落、一時期は復旧作業の為の入渓もできない状況でしたが2022年には無事開通。一般社団法人千葉県山岳・スポーツクライミング協会の方々が中心となって沢内の倒木などの除外作業が行われています、実は台風被害以前より地元青年会やNPOなどの手によって定期的に整備されてきたこの梨沢。

それは山岳信仰の対象として古くから愛された梨沢大滝の存在をなくして語れません、梨沢不動滝や単に大滝とも呼称されますが不動滝の名の通りこの場所には滝の左壁に不動明王の石仏が祀られています。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

古くは天神山不動滝と呼ばれ、この地域が天神山村と呼ばれていたからですが時代と共に地名も変更されて通称である「梨沢不動滝」が一般的に知られることになりました。

1976年に名著出版から発刊した「稿本 千葉県誌」には

天神山不動滝 君津郡天神山村大字梨澤東南の山間に在り、七竃の池の流末懸りて高さ二丈許の瀑布となる、早魃の際村民の雨を祈る所とす。

書かれており、大滝の場所や七ツ釜との関係性が説明されています。

千葉県誌 稿本 巻上 - NDL Digital Collections

注意点
原誌「千葉県誌」は1919年に発刊されています

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

右岸に人工階段が掘られていますがこれは明治時代には確認されており、いつ頃からあったのかはわかりませんが後述する製炭産業に深く関わっていると推察されます。

あまり知られていませんが梨沢の渓谷内には自然温泉の源泉が複数個所湧出しています、ゴルジュを探索する際に大滝以外の見所として記憶しておくと良いでしょう。源泉温度は低く、泉質は硫黄で時期により湧出量は大きく変化します。
注意点



梨沢には山岳産業としての製炭が存在した


スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

梨沢の中流域から上流域、加えてやや大塚山に寄った山中に製炭場があったと行政資料に記載があり、近代期の情報が乏しいということもあり現地での確認を行いました。

房総半島における製炭は小規模な個人産業というべきボリュームがその殆どで地域をあげての地場産業とはかけ離れたものが殆どでした。この梨沢その中でも比較的知名度のある一定量を産出する製炭産業が根付いていたようで探せばあちらこちらに窯を見つけられそうです。

机上調査で目星をつけた平場、旧道とバイパス可能な斜面などをピンで記録してGPS連動で炭窯を探します。

中でも梨沢大滝を遡上して右岸に登るとこの梨沢では珍しく斜面ばかりの沢内において比較的広い平地があります、野営講習の地としても良いだろうと地面を観察していた時にブロック状に人工切断された石片を発見。

スゴログではこの小さなヒントから梨沢大滝上部から右岸~ピークに至る平場を調査しました。

この調査は2015年に開始、約3年間かけて

・人工切断された石片を多数発見
・古い製炭窯(開放型)を発見
・古い製炭片を発見

という成果を上げたものの、房総半島の類似ロケーションで見かける掘削型の窯は見つけられず。開放型の焼け跡は登山者の焚火の可能性も考慮しなければならず、炭を持ち帰って炭火焼の職人の方に製炭か焚火の残骸かを判別してもらいます。

実際直火で焚火したような跡もありましたが複数の炭窯を発見したことでこの地に小規模ながら製炭産業があったことが改めてわかりました。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

この写真は半円状に囲われた製炭窯、現在も掘削型(穴状)の炭窯は見つかっていませんが開放型の炭窯は石積みされたものが数ヶ所見つかっています。

この製炭跡付近を掘り返すと大量の炭が出土、1メートル程ディギングすると土の変色も見られて周囲の状況と明らかに異なっています。

発見当時、公益財団法人元興寺文化財研究所の職員がこの地を調査しており、スゴログからはこの製炭産業に関する資料を提供しました。

千葉県立中央博物館にも同時期ご協力頂き、梨沢に関する新たな歴史を行政広報と共に公開。地元梨沢の古い民家を中心に再度ヒアリングを行い、整合性向上に努めました。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

多数発見された製炭片。

1982年に発刊された「富津市史」にも複数の梨沢に関する製炭産業の記載があります、情報が古いので富津市教育委員会生涯学習課と環境保全課に再度協力いただいて情報精査を行い現地調査と机上調査を重ねました。

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

スゴログ 梨沢渓谷 七ツ釜

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江戸時代、全国的に林業は盛んで建築用材や薪炭(製炭)産業は房総半島の低い山々でも勿論行われていました。森林伐採を規制する「御留山()」の指定はこの地区には無かったことで山岳産業自体は比較的自由に行われていたようです、この辺に関しては行政が保管している既述の「富津市史」に詳しく記載されているので今回は割愛します。

注意点
江戸時代、各地の森林管理が幕藩領主に任されており「保護林」や「占有林」の広用汎称として「御林(他にも幾つか呼称名がある)」と言う代名詞が使用されていた。御林は幕府の直轄林で諸国御林帳に登録された保護林の事を指すが藩の資源保護制度として伐採を規制した地域を「御留山」と呼び、産業林としての伐採を禁止・規制しました。

富津市史には旧梨沢村(現在の梨沢地区)では農業と共に特に製炭業が盛んであったと記録に残されており、この記述内容は梨沢地区の鳥海家文書()や金谷地区の鈴木家文書()にもそれぞれ記載されていて特産物としても有名だったともあります。

注意点
鳥海家文書は梨沢地区に居館があった鳥海家が残した古文書、文化年間に改姓するまでは吉原性でこの地の豪族。元は戦国時代に「峰上城の尾崎曲輪二十二人衆」として名を連ねた吉原玄蕃助に連なる家系で「千葉県史料」の中世編諸家文書にもその記載を見る事ができます。

因みにその居は梨沢公民館の向かいの台地で現在でも土塁が残され、また公民館の敷地内にも関連する石碑が建てられています。

因みにこの古文書は袂を分かれた相続者(東京都大田区)から1986年に里見氏関係文書(館山市有形文化財)として館山市立博物館に寄贈され、現在も収蔵されています。

鈴木家文書は金谷地区に今でも第16代目(現当主)として残る鈴木家に残されている古文書、元々は石材業者(金谷石や房州石として知られる国内でも有名な石を取り扱う)として既に広く知られる家柄だった鈴木家には周辺地域の歴史を記した古い記録が残されていてこれを鈴木家文書と呼びます。

鈴木家の居は現在、国の登録文化財と成っていてその歴史の長さも伺えます。

請取証文等も残されていてその確証性は非常に高い、つまりこの梨沢地区では特産となる程の製炭が産業として成り立ち、その記録も史実としてシッカリと残っていたというわけです。この梨沢を含む天神地区には「かじ」や「かじや」と言った屋号が今でも残っていて(勿論運営はされていない)鍛冶業も行われていた事が判明、。なるほど、鍛冶炭の原料としても使われていたのですね。

炭薪生産と共に鍛冶業も行われていた事の証明として梨沢地区より東の峯上地区では1706年(宝永3年)に鍛冶炭の原料について訴訟があったと古い記録も出てきています(行政資料から)。



梨沢は房総の歴史の縮図


車のデポ地として良く利用される梨沢公民館の駐車場、この敷地内に残されている特長的な建造物は勿論その名の通り「梨沢公民館」。随分と古い建物で一見すると廃墟かもと思われるかもしれません、しかしその実態は富津市に25箇所在る選挙の投票所の1つ。つまりは現役で使われている公的施設、その風貌は山岳地域の学校施設にとても類似しています。

調べてみると、その昔「天神山小学校梨沢分教場」として使用されていた建造物でした。歴史を遡れば1873年から続く現役の学校の分校だった事が判明、この分教場自体は1971年に廃校となっています。本校の校歴がウェブ上に在ったのでリンクをば。

天神山小学校の主な歴史

梨沢地区は近代化黎明期において房総半島の発展における縮図のような場所でした、自然が溢れていてもその自然と共存するための産業があり、それらを支える学びの場もありました。自然信仰としても知られた梨沢大滝も人々を集わせる要因となり、産業に付随するように作業道が整備されて現在では幾つか林道としても残っています。

大規模なレジャー開発(牧場)や城址、未だ謎が多い巨石群など興味が尽きない梨沢地区。本来であれば沢山の人に訪れてほしい房総の秘境でしたが台風被害でその現状は芳しくありません。

地域の屋台骨となる農業被害も甚大で観光を受け入れる環境資源・人的資源も枯渇しています。幸いなことに複数の大学が農業体験の為の敷地を保有しており、地元農家と協力して復旧しつつあります。ですが自然環境に関しては有志による作業が中心の為、2023年現在でも美しかった梨沢は取り戻せていません。

故にいまは不慮の事故やトラブルを避けるためにも今しばらくこの地域の復興をお待ち願います、スゴログも微力ながら協力してはいますが台風被害のダメージは皆さんの想像よりはるかに甚大でまだまだ時間がかかる状況といえます。

注意点
アプローチの為の入渓地点において現在も沢への立入は禁止の状況となっています




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参考・協力

富津市
富津市教育委員会生涯学習課
富津市環境保全課
梨沢地区
梨沢青年会
千葉県立中央博物館
館山市立博物館
公益財団法人元興寺文化財研究所
真言宗智山派 嶺澤山 妙蔵寺
富津市立図書館



レポートの場所



注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html



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