戦後処理の狭間で揺れた台湾人学生寮だった清華寮、国際法と近隣住民を巻き込んだ長い懸念と共に一つの歴史を産み落としたこの建造物のエピソードを辿ります。多国籍化した独自の自治形態を形成した非常に珍しいこの集合住宅、解体によって薄れてしまいそうな事実をレポートします。
東京都│清華寮
調査:2011年03月
公開:2012年05月16日
名称:清華寮 / 旧称→高砂寮
状態:2013年に解体後はグランヴィ小日向に
旧サイトで公開していたレポート内容を2023年現在の調査内容に統合して再エントリーしました。また古くなった情報などは精査して削除しております。
住宅街に突如現れる鬱蒼と茂る木々の一画
茗荷谷駅を降りて拓殖大学を過ぎたころ、閑静な住宅街に突如として姿を現す鬱蒼とした区画がありました。周囲は高い木々と手入れのされていない雑草に覆われており、敷地内を垣間見ることもできません。
神社仏閣が多いことでもしられるこの地域、そういった類の宗教施設かと思いきやその実態は戦後処理に揺れた多国籍集合住宅の成れの果て「清華寮」だといいます。
この清華寮、設立された経緯から解体されるまで人種と国際法に揺れに揺れた物件としても知られており、87年間もの長い間近隣住民を巻き込んだ大きな問題を抱えていました。
それではこの清華寮とは一体どんな建造物でどような歴史をたどったのでしょうか、今回はその数奇な運命を辿ったこの不思議な集合住宅をレポートします。
正面入口、住宅街の道路から未舗装の斜面を歩くと荒れた敷地に大きな建造物が見えてきます。
日清戦争後の下関条約により1895年~1945年まで台湾の日本統治時代、ポツダム宣言の同年10月25日までの間「台湾」は先のとおり日本の統治下にあり、多くの台湾人が日本へ渡ってきました。
需要に合わせ、留学生や労働人員用の宿舎の建造が乱発した中で台湾総督府の関連財団法人「学租財団」により国有地であった3100平方メートルもの敷地に鉄筋構造3階、地下1階建ての「高砂寮」が1927年に建設されました。
戦後、台湾総督府および学租財団は解体消滅。混乱期に建造物の所有権を主張した人々によって複数利権(本来そんな権利はない)が自然発生します、しかし元々は国有地。日本の法律上では不法占拠となったこの高砂寮は「清華寮」と改称し、1946年から新たなスタートを切りました。
玄関部分、張り紙には日本語の他にも複数の言語が記載された注意書きなどが無造作に掲示されています
当時、この集合住宅には台湾人が多く居住していましたが当初から少数ながら戦火を逃れた日本人も住んでいました。
しかし建設当初の留学生や労働人員用の宿舎だったこともあり、在住者達が中心となって独自運営組織を形成していきます。
1950年代には中国人留学生などがこの独自組織の手引きによって住むようになり、いつしか台湾系、中国系の自治組織を再形成。入寮希望者を審査したり職業を斡旋するように、公共料金は共同運用として共営費を徴収していたが家賃は一律¥8000だったとか。
1972年09月29日、日本中国はは国交正常化の日中共同声明に調印。時の総理大臣は田中角栄でした、この当時の世界情勢は著しく変化しており米国ニクソン大統領の思惑もこの調印には関係しています。
日中外交の中で問題だった台湾の存在、共同声明に調印したあとの記者会見で当時の外務大臣だった大平正芳は
「最後に、共同声明の中には触れられておりませんが、日中関係正常化の結果として、日華平和条約は、存続の意義を失い、終了したものと認められるというのが日本政府の見解でございます」
と語っています。日台関係終焉の瞬間でした。
所有権を主張した進徳奨学会とは何者か
日中関係正常化に伴い、所有権が有耶無耶になっていた清華寮は更に窮地立たされます。便宜上、この建造物は日本の国有地に立つ台湾の集合住宅という体面でしたが台湾との関係が絶たれてしまい、最終的な管轄は何処なのかという問題が浮き彫りになったのです。
日本は本来であれば台湾の存在を尊重し、少なくとも帰属先としては学租財団に由来する関係団体に返却する考えだったそう。
しかし中国との外交問題を懸念、結局問題は提起されたもの解決は見送りとなります。その後、財団法人「進徳奨学会」が1978年に件の学租財団から寮を譲渡された主張し、2003年には所有権の所在確認および移転登記を求める裁判で勝訴します。
2006年に再登記、進徳奨学会は清華寮は自分たちの物であると一方的に宣言。
財団法人 進徳奨学会
理事長 松島和雄
〒162-0042
東京都新宿区早稲田町79-7MAビル1F
TEL 03-5292-1905
これが進徳奨学会のプロフィール、そこでこの住所のストリートビューを見てみましょう。
ご覧の通り、このビルにはそのような財団法人の実態はない。2013年頃まで清華寮に関する諸問題で関係者に配っていた名刺にはこの住所が書かれているがこのビルに入居した実績はなし。
ストリートビューのタイムシークのスライドで確認できる2009年当時もやはり現在と同じ印刷業者が入居している。電話番号も財団登録名簿にない、この進徳奨学会は一体何者で本当に実在するだろうか。
2007年07月19日 毎日新聞
外国人寮火災 女性2人が死亡7人軽傷 東京・文京
19日午前5時ごろ、東京都文京区小日向1の外国人寮「清華寮」208号室から出火、鉄筋コンクリート地上3階地下1階延べ1170平方メートルのうち、1300平方メートルを焼いた。この火事で住民の女性2人が死亡、7人が煙を吸うなどして病院へ運ばれたが、いずれも軽傷とみられる。住民のたばこの火の不始末が原因とみられ、警視庁大塚署は身元の確認を急いでいる。
同署の調べでは、亡くなったのは70歳代と40歳代の女性とみられる。208号室の男性は「午前2時ごろ、たばこの火が原因でぼやがあった。消したつもりだったが、午前5時ごろに目が覚めたら火が上がっていたので119番した」と説明しているという。
現場は東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅の南約200メートルの住宅街。
引用:毎日新聞
この火災によって住民は強制退去、建造物は閉鎖されます。さて、この火災は報道によれば住民のたばこの火の不始末だったと報じられています。
が、本当に失火だったのだろうか。
と、言うのも火災の約2ヶ月前のニュースソースにこんな記事が。
2007年05月30日 産経新聞
「清華寮」30万課税 都が01日に通知 国は土地返還訴訟も
戦前、旧台湾総督府の財団法人が文京区の国有地に建設した留学生用の学生寮「清華寮」の所有者が昨年、約60年ぶりに文部科学省認可の財団法人「進徳奨学会」に決まったことを受け、都は29日までに、寮の家屋部分の固定資産税課税を06月01日に通知することを決めた。課税評価額は約1700万円で、税額は約30万円になる見通し。一方、敷地所有者の国が「進徳奨学会」に土地明け渡しを求める訴訟準備を進めていることも新たに判明。戦後処理の中で外交のはざまに埋もれた同寮をめぐる混乱はまだ続きそうだ。
清華寮は昭和02年、台湾総督府の財団法人「学租財団」が、台湾在住の日本人子弟や台湾人留学生の宿舎として建設した。約3100平方メートルの敷地に鉄筋3階建て地下1階、延べ床面積は約1万7771平方メートル。
寮の敷地は、財務省関東財務局が所有する国有地で、建物は一昨年末までは、現在は実体のない「学租財団」が所有する形になっていた。所有権をめぐり、
(1)日本の台湾領有権放棄と同時に所有権は台湾に帰属
(2)昭和47年の日中共同声明で日本が中国を唯一の合法政府と承認し、台湾と断交したため所有権は中国
(3)寮は、日華平和条約の対象外で日本の所有-などとする見方に別れていた。
しかし、平成15年に東京地裁が「学租財団」から「進徳奨学会」へ贈与を認める判決を出したことで、昨年1月に同会が所有権移転を登記、60年近い論争が決着した。
現在、清華寮には台湾や中国出身者ら約50人の外国人が居住。3世代で暮らす家族や生活保護を受ける永住者もおり、台湾系と中国系が別々の自治会を組織して“平穏共存”している。
築約80年を迎える建物は老朽化が激しく、敷地もほとんど手入れされていない。草木は伸び放題で、近隣から“お化け屋敷”呼ばわりされるほどで、敷地の一部は駐車場として有料で貸し出されている。
「進徳奨学会」は昭和35年03月に財団として認可され、設立目的は「経済的な理由により修学が困難な者に対し奨学援護を行う」こと。しかし、近年の活動実態はほとんどなく、文科省が存続の可否を検討している。役員には過去、法人税法違反で東京地検に在宅起訴された男性も名前を連ねていた。
「清華寮」をめぐっては、都と財務、外務の両省に文京区を加えた4者で連絡会を設置。合同で現地調査を実施している。ただ、財務省関係者は「清華寮が新築された当時、国は学租財団に土地を提供したが、進徳奨学会との契約はない」と指摘。財務省は進徳奨学会が国有地を“不法占拠”している状態と判断。近く建物撤去と土地明け渡しを求める訴訟を起こす予定という。
時間を本来の並びに戻すと、
2003年12月某日 所有権の移転登記を求める裁判で勝訴
2006年01月某日 再登記
2007年05月30日 土地返還訴訟の報道
2007年07月19日 失火による建造物の閉鎖
登記からの速度感は隠す気がない程と思える行動力です。この土地は当時20億円以上の価値が見出されており、諸々を鑑みれば邪推が横行するのは止むを得ない。
火災によって住民は勤務先に住み込んだり、知人宅に身を寄せたというがその一方で弁護士を立て、「裁判で奨学会が提出した証拠に偽造の疑いがある」と判決の無効を主張し、争う構えを見せているとも報じられていました。
死亡者が出る火災にまでに発展したこの清華寮問題、静観していた財務省も重い腰を上げ、借地契約は奨学会に継承されていないとして、土地の明け渡しを求める訴訟の準備を開始。
2008年01月06日付けの朝日新聞の記事によれば
進徳奨学会は、苦学生への奨学金支給を目的に60年に設立したとされる。しかし、所管する文部科学省によると、近年は「活動実態がない」状態という。昨年11月に就任した奨学会の理事は、取材に対し「設立の趣旨に立ち返り、時代に合った形で奨学会の立て直しをはかっている最中」と説明。国が提訴した場合、建物の譲渡から10年以上の経過を理由に土地使用の正当性を主張するとしている。
都心に近い寮の土地は、最低でも20数億円の価値があるとされる。この土地をめぐっては「払い下げで利益が出る」と架空の投資話を持ちかけた詐欺事件も起きている。
清華寮の敷地ではいま、奨学会が雇った警備員が監視を続ける。年に1度、寮生総出で草刈りしていた庭は枯れ草に覆われたまま。「本国有地を売却する予定はありません」と書かれた財務省の看板が立っている。
とあります、ここまできてまだ靄がかかった財団法人、進徳奨学会。事務所なく、ウェブサイトも存在せず、電話番号はデタラメ。現状では土地転売を行う不動産表裏組織の裏側を担う団体ではないか、そう噂されるのも無理はありません。
注意点
進徳奨学会に関しては今後も調査を進めていきます
日台の留学生寮で状況が類似する訴訟があります、「光華寮訴訟」です。
光華寮訴訟 - ウィキペディア
この光華寮の内部写真が焼失前の清華寮と非常に酷似しているので参考写真として掲載します。
注意点
読者からの情報提供で一部京大吉田寮と思われる写真は削除しました
火災後の寮内
階段は正面玄関脇の北側階段と南側階段の二箇所、写真は建物の最奥となる南側階段。この階段の裏側には地下へ降りる別階段が用意されており、大浴場とボイラー室がありました。
一階中央のトイレ、こちらは火の回りが少なかったようです。
北側階段からのエントランス、右側に薄っすらとランドリースペースが確認できます。
二階の生活感あふれる居住空間、各部屋とも延焼していますが出火元は更に上階の三階。火災後、どの部屋にも住人が戻ることはありませんでした。
出火元の三階へ、西側のこの部屋は壁が崩れ落ちて複数の部屋が一体化していました。残留物に書かれた中国系フォントが目にとまります。
火災当時、報道では38人と伝えられていた居住人数ですがヒアリング調査で実際には50人近くいたよう。
この303号室から火の手が上がったとされています。
解体、そして転用へ
2013年03月21日、東京地裁から公示書が発行され、翌月の04月17日に強制執行が行われる旨が一般公示された。
既に居住者はいないので便宜上、もしくは諸問題を引き起こした進徳奨学会へ向けたものでしょうか。この時点で財務省と元住民、財団法人との三竦みの訴訟は解決しており、更地化の解体工事のための強制執行でした。
05月半ばから解体工事が開始、翌月の06月には綺麗な更地となりました、火災後は近隣住民の早期解決の声を反映させてのこの顛末は全国に大きく報道されたので知る方も多いでしょう。
2018年、この敷地には介護付老人ホーム「グランヴィ小日向」が開業。周辺の景観も大きく変化しました、運営母体は株式会社明昭。
最後にYOU TUBEにアップされている解体中の清華寮の動画あったので掲載いたします、貴重な解体中の姿が見てとれます。
清華寮略歴
1927年詳細不明 高砂寮建設
1946年詳細不明 清華寮と改称
2003年12月某日 所有権の移転登記を求める裁判で勝訴
2006年01月某日 再登記
2007年05月30日 土地返還訴訟の報道
2007年07月19日 失火による建造物の閉鎖
2012年11月某日 敷地および建造物全てが国有化
2013年03月21日 強制執行に関する一般公示
2013年05月某日 解体工事開始
2013年06月某日 解体工事完了
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参考・協力
文京区役所
文京区観光インフォメーション
文京区立真砂中央図書館
文京区立水道端図書館
文京区立目白台図書館
文京区立小石川図書館
拓殖大学
朝日新聞
産経新聞
レポートの場所
注意点
該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。
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該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。
スゴログの装備とその使用方法など
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