2024-04-24T06:44:04Z #047 府中米軍基地

#047 府中米軍基地

1939年に陸軍燃料廠として建設が開始され、翌年運用開始。日中戦争を経て大戦後はアメリカ軍に接収されて府中通信施設として稼働し1952年に米軍基地として長年運用された府中米軍基地。その歴史と現在この地が抱えている数々の問題をレポートします、情報は旧サイトから引き継ぎ2022年の最新の情報も掲載しています。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

東京都│府中米軍基地

調査:2010年07月
再訪:2010年12月
公開:2012年04月30日
名称:正式名称→府中米軍基地 / 旧称→帝国陸軍燃料廠
状態:2016年~2017年にかけて一部解体

旧サイトで複数回に分けて公開していたレポート内容を2022年現在の調査内容に統合して再エントリーしました。また古くなった情報などは精査して削除しております。



都内に残された戦争の遺物


東京都府中市。

航空自衛隊府中基地を擁し、付近の多磨霊園にも数多くの著名人と共に山本五十六など軍国時代の有名人も眠る土地でもあります。

何より、今回レポートする府中米軍基地があることで知られています。この米軍基地、元は帝国陸軍燃料廠として建設され、日中戦争における燃料問題の諸問題解決の為に国が設置した施設です。紆余曲折を経て戦後米軍が転用し、1975年に一部返還。完全返還は近年2021年の09月30日と最近の話です。

沿革などの詳細な説明はウィキペディアをご覧下さい。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

府中通信施設 - ウィキペディア
https://archive.is/433Li

それでは早速内部の様子をご紹介したいと思いますがその前に、接収後の施設案内資料を見てみましょう。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

これは米軍関係者向けの施設案内図、帝国陸軍燃料廠時の施設運用と大分異なります。取材時の2010年時点でも掲載されている建造物の多くが残っていましたが2016年の解体工事開始以降は大分減ってしまったようです。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

同時期の航空写真です。

写真手前は現在「府中の森公園」です、北側はまだ未開発状態でパラボラアンテナもありません。変化が無いのは北東側の浅間山公園だけです。

それでは現在の地図と照らし合せながら内部を見て行きましょう。


スゴログ 府中米軍基地 廃墟

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

北側アパート群、もっとも一般住宅との距離が近い5棟の2階建て建造物です。外観は酷い藪に覆われていますが倒壊などの破損個所はありません。

取材当時、これらの建造物に関して府中市の市議の方に転用など今後の運用計画はあるのかをお聞きしましたが構造物単体としては恐らく保存も転用もないとの回答を得た覚えがあります。

また都内でこれだけ広い公的敷地が運用計画がないまま残されている例はなく、税収問題も含めて非常にデリケートな場所であるとおっしゃっていました。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

入口です。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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内部は補修などを一切行ってない放棄物件の様相、床も所々剥がれていたり崩落している部分も。換気がされていないので湿度も高いです、天井も所々崩落していました。


スゴログ 府中米軍基地 廃墟

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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府中市の市政策課にお話を伺うと

「扱いが難しい土地、市としても早い段階で近隣住民の希望に沿う活用方法を検討したい。しかし土地が広すぎる為に事業計画も複数に渡り、解体や再利用の詳しい話を現状ですることはできない」

とのこと、本来であれば府中の都市開発計画に取り入れられる筈だった施設の建設計画が沢山あったのだと思われます。府中商工会議所にも取材しましたが随分と昔から商業施設の誘致をお願いしていたとか、府中の森芸術劇場や府中市美術館、図書館なども集中しているこの地域。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

15ヘクタールという広大な余剰地の活用次第で府中市は大きく変わる筈です。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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移動しても同様の建造物なので内部においてはとく大きな変化はありません、陽射しの入り具合で壁面の塗装が剥離状態が違うと感じる程度でしょうか。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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さて、ここでこの府中米軍基地の返還、解体、今後の転用計画についてお話しましょう。

三分割有償払下げ方式

1972年の基地返還の陳情を受け翌年の1973年、関東地域の米軍施設を集約する「関東計画」が発表され、米軍府中基地は通信施設を除き全面返還されることになりました。この際残された通信施設は、生涯学習センター北側で稼動していましたが現在では停止されており(極々正確に言えば一部稼動してます)、関係者が諸事にて訪れるのみとなりました。

4年後の1976年に国は国内審議会で米軍基地跡地利用について三分割有償払下げ方式を提案、国、都、市で使用権を分割するもので、その際、市が利用する用地は国から有償で払い受けるというもので府中市が当初予定した独自の再開発は企画倒れとなります。

当初の目論見が上手くいかず、府中市は「三分割有償払下げ」方式反対を表明、署名を集め、国会に請願しましたが審議未了で廃案となり、この方式が確定します。

山積した跡地利用問題

米軍基地跡地の利用について、府中市は「平和の森基本構想」を発案。内容は航空自衛隊基地を含めて全体を公園化し、その中に小・中学校、都立高校、市民斎場、博物館・美術館などを建設すると言う大変大規模且つ諸問題を抱えるものでした。

1976年の三分割有償払下げ方式を提案を受け反発した府中市、しかしその後の議会で三分割有償払下げ方式での再開発が決定し、都は都立公園の建設を、府中市は小・中学校と斎場を建設する方針が決まります。

この当時の再開発に関して詳細に調べた方がいらっしゃいます、そのレポートから引用して記載します。

1981年当時、近隣の府中三中は生徒数が極端に増え、校舎に収容できずにプレハブ校舎を建設して対応していました。このプレハブ校舎の解消は緊急課題のひとつとされ、基地跡地利用ではまず中学校用地を先行取得することが決まり、1982年04月、浅間中学校が開校しました。

一方、府中市は小学校の建設も計画していました。ベビーブームの後ということで近隣学区の小学校はどこも飽和状態にあり、また、近隣の三本木地区の区画整理事業が完成すると人口が急増する可能性があったからです。1983年02月、府中市は国と小学校用地の売払い契約を締結します。

しかし、全国的に児童・生徒数は急激に減少しはじめ、予想に反して三本木地区の住宅建設は進まず、想定される学区内の児童発生率は極端に低いものとなりました。

そこで府中市は翌1984年09月、事業計画を変更し、小学校用地を野球場・少年サッカー場としたい旨を国に要望しました。しかし国は、隣接する都立公園内に野球場・サッカー場が建設されることから認めず、再検討するよう回答しました。

1985年、国の回答を受け、府中市は文化ホール建設を計画、国の了承を受けましたが、再度の用途変更がないよう、2年の猶予を与えて具体案を要求し、1987年、用地売払いの契約が成立、1991年、府中の森芸術劇場が開館しました。

この経緯を考えると、府中の森芸術劇場は本来計画されなかった、不要施設という見方もできるわけで、府中市政の体質を伺うことができるエピソードともいえます。

跡地の活用を模索する府中市

府中市は2008年、「2011年度までには、屋外広告や宅地開発(開発行為)に関するガイドライン(指針)の作成」を発表。自然と調和のとれた街づくりを推進する方針を打ち出した。

これは跡地利用に色々と問題を残す形だ。

現在跡地には小・中学校、集合住宅、ショッピングモールの建設が計画されている。更には近年に成って決定したある施設の移転問題で揺れているのだ。

まずは2008年のニュースソース(東京新聞)を見てみましょう。

府中市内に国が所有する米軍の基地跡地「府中基地跡地留保地」と「調布基地跡地都市整備用地」の2カ所に、国家公務員宿舎が建設される見通しとなった。計画戸数は合計約700戸で、地元の府中市が受け入れを前提とする利用計画をまとめ、10月31日、府中基地跡地留保地の利用計画を財務省に提出した。調布基地跡地都市整備用地についても近く利用計画を提出する構え。今後は市と国による本格的な協議や、市による地区計画の都市計画手続きなどによって、宿舎を含む施設の建設条件が整うことになる。

府中基地跡地 国家公務員宿舎を建設 府中市近く利用計画提出へ

東京都府中市に新たな国家公務員宿舎を建設する方向で、財務省と府中市による話し合いがまとまった。これまで同市は公務員宿舎の建設に難色を示していたが、調布、府中の両基地跡地の一部に建設する計画で両者が合意した。市は地区計画の変更などを都と調整した後、今月上旬にも財務省に両基地跡地の新たな土地利用計画を提出する方針だ。

同市は調布基地跡地で業務機能を誘導する都市整備用地(同市朝日町3-8、10)の敷地4haのうち、府3・4・26号線を挟んだ北側の地域の東南側の敷地と同線南側の敷地0.4ha、府中基地跡地(同市浅間町1丁目)の住宅用地約5haの3カ所で公務員宿舎を受け入れる。財務省関東財務局は、単身タイプとファミリータイプの宿舎を合計で約700戸整備する方針だ。

当初建設反対、4ヶ月遅れで受入れへ

関東財務局は、調布基地跡地の都市整備用地に同宿舎の建設を希望していたが、市は人口増により保育園や小、中学校の機能が限界に達しているため、建設に反対する意向を表明していた。このため公務員宿舎の整備は06月に提出した土地利用計画には含めなかった。しかし、財務省側の施設分散といった譲歩を受け、公務員宿舎を導入する新たな土地利用計画を策定した。

府中基地跡地の敷地14.5haでは、跡地中央にRC造地下1階地上5階建て延べ3万5686m2の国立医薬品食品衛生研究所の移転が計画されている。移転用地に隣接する住宅用地を公務員宿舎の建設地に充てる。

このほか、調布基地跡地の病院用地(同市朝日町3-16)2.3haで同局が要請している警視庁第七機動隊(調布市)、軽自動車検査協会多摩支所(国立市)の移転も受け入れる方針だ。第七機動隊は、地下1階地上5階建て延べ約1万m2の事務庁舎、延べ約6000㎡の単身者待機寮、延べ約1500㎡の車庫棟の建設を計画している。

朝霞市はあっさりと5月に国に利用計画書を提出。国から同じ指示を受けていた府中市は粘り腰を発揮して提出期限を4ヶ月過ぎて米軍基地跡地に国家公務員宿舎受入れを容認。これはとても上手い交渉術といえます。

一方キャンプドレイクは国主導の再利用計画を飲むことに。府中市はこの時点では”事”を上手く運ぼうとしていたのだと思われます。

政権交代による問題点

実は今まで記載した企画とは別に大規模な施設の移転問題がありました、「国立医薬品食品衛生研究所移転」の計画です。

しかしこの国立医薬品食品衛生研究所移転も土壌問題やその運営内容が危険視されており計画を白紙に戻す事で再度土地再利用計画が見直されることに、2010年には市長に署名を提出していたようです。

衛生研移転計画中止を求める1万人署名 - 衛生研問題を考える会
http://hmw.or.jp/~eiseikenmondai/mendan201011.html
https://archive.md/iENE5(アーカイブ)

この時点での活用方針を府中市がPDFで纏めています、以下よりご確認頂けます。

府中基地跡地留保地活用基本方針 - 府中市
https://bit.ly/3WOLMDa
https://archive.md/OGzWe(アーカイブ)

この資料では活用方法のカテゴリ選別は行われているものの、詳細な事業については書かれていません。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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2016年、突然このような内容の看板が設置されます。

建築物等の解体等の作業に関するお知らせ

発注者名:関東財務局東京財務事務所立川出張所
工事期間:2016年09月16~2016年11月10日

工事請負金は166,428,000円(1億6642万円)と記載されています。

まちねっと府中 - 府中基地跡地の廃墟解体
https://archive.md/bq7rF
https://archive.md/fzZ1l

翌年の2017年には府中基地跡地留保地利用計画素案が地元説明会で提示されます。

府中基地跡地留保地利用計画素案(案)に係る説明会(PDF)
https://bit.ly/3G76lUu
https://archive.md/KRQl9(アーカイブ)

と、言っても内容を読む限り具体的な活用法は記載されていません。

そして2021年09月、とうとう全面返還へと至ります。

東京ドーム3.2個分 昨秋に全面返還 利用を再検討 - 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/209536
https://archive.md/AmLWM(アーカイブ)

76年ぶり全面返還の米軍「府中基地」見通せぬ跡地利用 - 産経新聞
https://bit.ly/3Z4UoXW
https://archive.md/JNpSm(アーカイブ)

更に2022年3月、日本経済新聞は以下のように伝えています。
https://s.nikkei.com/3QdBLNx
https://archive.md/iXbbA(アーカイブ)

有料記事の為、このニュースを取り上げた府中市の市議のブログを記載します。

府中市の基地跡地留保地 活用計画の大幅な見直しへ - ゆうきりょう
https://bit.ly/3WUEGN9
https://archive.md/BI5n4(アーカイブ)

時を同じくして東京都も府中市の再開発に乗り出します。

府中都市計画 - 東京都
https://bit.ly/3Gt6ran
https://archive.md/KOjpX(アーカイブ)

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色々と入り乱れてはいますが簡略化して説明すると

1975年 一部返還
2008年 国立医薬品食品衛生研究所移転計画
2010年 反対運動により白紙に
2011年 大型商業施設の提案
2012年 低層集合住宅・市立総合体育館の移転・学校老朽化対策の仮設校の提案
2016年 一部解体開始
2020年 完全返還が決定
2021年 完全返還

という流れです、大きな問題となった国立医薬品食品衛生研究所移転計画を除けば他の提案は並行して現状も検討されています。

府中市は2022年現在、これらの諸問題を抱えながらも精力的に跡地活用を模索し続けているようです。

府中市 - 府中基地跡地
https://bit.ly/3G8gMah



紅葉の時期だと内部からの景色も美しく変化していました。

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最重要施設だった通信設備


スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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可動当時一番現住に警備されていた通信施設、府中トロポサイト。真下から見るパラボラアンテナは圧巻の一言です。こちらは現在稼働していません、今年まで稼働していたのはお隣の電波塔です。

2014年までの稼働は確認されています、完全返還の敷地にはこれまで含まれなかった通信施設であるトロポサイトも含まれており、これらは解体される予定です。

一時期はこの対流圏散乱波通信システムで国内外の自動音声通信網のスイッチやハブ業務も行われていて回線接続の要でもありました。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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地上の事務所も重要機密指定区域ということもあって鉄格子が嵌められています、基本的にこの建造物に関しては警備が厳重で二重ドアやその他のセキュリティに関してもハイレベルな物が用いられていたようです。

残された資料には仙台トロポサイト(後述)とのやり取りを記したものも、どうやら後期の通信業務で使用された資料はまだ残っているようです。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

記録装置が残された半地下の内部、記録媒体は複数あったようで磁気テープのようなものの他にもバックアップ用に素人では判らない記録メディアが。

こちらは取材時に関係者や市議の方にも質問しましたがわからないとの回答。

米軍が運用していた当時の写真が数枚ありますので掲載いたします。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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因みにこの施設を建設したのはNECです、NECには当時の建設資料がまだ残っています。この通信施設建設に関して元NECの役員がまとめた資料があります、必読です。

高感度受信方式発明を巡る往時の状況について
https://bit.ly/3IfpfuP
https://archive.is/X9RbA(アーカイブ)



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パラボラアンテナは何処と通信していたのか


府中米軍基地のランドマークとして多くの人に認知されている建造物といったらやはりあの大きな2基の巨大パラボラアンテナだろうと思われます、これは対流圏散乱波通信(トロポスキャッター)として1950年代末から建設され、全国的な運用は1960年代に入ってから。日本列島を縦断網羅する在日米軍が整備したパラボラアンテナでその大きさは直径14メートル程、国内の遠距離通信システムとして本国アメリカ国防総省の複合通信システムを取り入れた全国に点在する在日米軍の重要な通信施設でした。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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建設当時のパラボラアンテナ。

この府中のパラボラアンテナ(FAC3016)は主に青森県の三沢飛行場(FAC2001)と東京都府中市のこの場所を繋ぐ役名を果たしていましたがその中継点として栃木県那須、宮城県仙台、岩手県束稲山があり、対をなして直線状に在ったのは仙台トロポサイトです。


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現役当時の仙台トロポサイト

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この通信システムには複数の主要施設が指定されており、府中から北側に関しては仙台、三沢、千歳、稚内を接続、その最初の主要施設が仙台のパラボラアンテナでした。

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府中と仙台の施設を直線で繋ぎます。

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その間々ズームするとアンテナの方向がピッタリと一致します、当時の運用方法や技術的な解説を記載するとそれだけでレポートが膨大になってしまうので興味があるかたは各々調べてみて下さい。本家の国防通信システムとの違いや近隣国との接続、チャンネルなど色々と興味深い資料が現在も残っています。



注意点
1945年の接収当時、この基地の管理はアメリカ第5空軍第374空輸航空団が行っていました。



1990年代に作成された不思議なオブジェクト


スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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敷地中央にある倉庫群の一つに府中米軍基地では有名なオブジェがあります、これは2003年頃にウェブ上に初めて写真が掲載され、その後複数のウェブサイトで目にした芸術作品です。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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これが何であるかはわかりませんが1990年代に作成されており、ウェブ上で調査する限り1995年頃にはその姿が確認されています。

廃墟美に通ずる美しさは感じ取れますがこの廃材を積み上げた意味までは計り知れず、これも間もなく解体と共に姿を消す事でしょう。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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同じく倉庫群の一角、この建造物は木造でかなり古く感じます。

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裏手に回ります、実はあちこちに赤いリボンが結びあつけてあります。当時敷地内では野生動物の生態調査、植林された植物の調査、自生した植物の調査、地質調査などが行われていました。

小型動物に至っては都内で珍しく複数の種類が発見され、独自の生態系を築いているのだとか、昆虫も珍しい種類が見つかっています。

資質調査の内容は芳しくないようで詳細を教えて頂く事は叶いませんでした。



航空写真でみる府中米軍基地


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一部返還後の1979年、実質的には稼働しているので敷地内は奇麗に整備されています。

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稼働しているのはで通信施設のみで廃墟化して数年の1989年、この頃から建造物が自然に飲み込まれ始めます。

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2020年、幾つか解体されて平場が見てとれます。



フィクションの世界でも人気のあったロケーション


この府中米軍基地、廃墟フリークや軍需遺跡好きの間でも非常に人気が高く、その影響はアニメなどにも反映されています。一般公開されていない未知の施設然とした佇まいは研究施設や軍需施設としての建造物的魅力に溢れているからでしょうか。

スゴログでも何度か廃墟写真や取材協力でアニメや番組制作に携わっておりました、この府中米軍基地もその一つで2014年に放映されたMAPPA制作のオリジナルアニメ「残響のテロル」で参加させて頂きました。

スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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なんでもトレースではなくてイチから描いたとのことでその再現度に驚いた記憶があります、他にも色々と使用されています。実は白石鉱山の内部も使用される予定でした、この様なアニメなどの資料提供の他にも地図会社の測量に同行したり山岳事故における現場までの道案内などNPOの受け皿としての業務を度々ご依頼いただいております。


残響のテロル - 公式サイト
https://terror-in-tokyo.com



スゴログ 府中米軍基地 廃墟

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府中米軍基地跡(旧帝国陸軍燃料廠)略歴

1939年に旧帝国陸軍燃料廠として設置、日中戦争の戦時中の航空燃料や自動車燃料の備蓄基地として表向き(詳細は後述)は建設されました。石油燃料を海外に頼っていたのは当時も今も同様で、関連研究もここで行われています。終戦後は戦勝国の米軍管理下に置かれ、極東第五空軍司令部と在日米軍司令部が設置されました。

隣接する航空自衛隊府中基地は航空自衛隊が発足したことを受け、指揮系統の一元化の為も合わせて一部の敷地を米軍から返還され、航空自衛隊航空総隊司令部として稼動。国内全ての航空自衛隊戦闘部隊を指揮する部署でもあります、航空自衛隊府中基地は現在でも稼動中でフェンス越しに戦闘機なども見れます。

1965年に開催された東京オリンピックでは選手用住宅(選手村)としてこの米軍基地を利用する為に元々代々木に在った米軍関係者住宅を移設、府中米軍基地と2キロほど離れた関東村にそれぞれ集合住宅を建設。

1973年、以前より議論されていた関東地域における米軍基地の整理統合計画、「関東計画」が全面的に押し出された形に成り、米軍府中基地は通信施設を除き1975年に返還されました。

1976年、1978年に跡地利用で国、都、市で使用権を分割する話し合いが数回行われましたが合意内容は色々と問題も山積していたようで一部の計画が完成したものの現在の廃墟群を残す形になっています。

2021年に完全返還。

以下、自衛隊が公開している府中基地の沿革に関するページです。こちらも併せてご覧下さい。

基地の沿革 - 府中基地
https://archive.md/jOwya

最後に旧帝国陸軍燃料廠時の考察資料のPDFを参考資料としてご紹介します、軍需における燃料問題に関する記帳な資料となります。

大日本帝国 における燃料消費・需要に関する政治史的一考察
https://bit.ly/3i702s2

金 光男 - 国立研究開発法人 科学技術振興機構
https://bit.ly/3VEtrY6



過去スゴログで販売した冊子

2012年に販売したレポート冊子のサンプルを以下よりご覧いただけます、掲載されている情報は取材した2010年当時の内容となります。


注意点
フルスクリーンモードにしてお読みください。

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参考・協力

府中市役所
ふるさと府中歴史館
府中市立図書館
府中市立生涯学習センター図書館
財務省関東財務局
日本経済新聞社
NPO法人 府中かんきょう市民の会
むさし府中商工会議所
府中基地跡地留保地活用検討プロジェクトチーム
慈恵院
府中警察署




レポートの場所



注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html




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