2023-01-10T11:59:36Z #038 君津エースゴルフクラブ

#038 君津エースゴルフクラブ

房総半島では釣り人や登山者に特に有名だった廃橋がありました、全国的に見てもその規模は大きくて見るものを驚かせたといいます。深い山中で揺れた娯楽産業開発とバブル崩壊、その後二転三転する再開発の顛末を徹底調査。現在は太陽光発電区画なった現場の歴史をご紹介します。

スゴログ 君津エース 廃橋
千葉県│君津エースゴルフクラブ

調査:2010年12月
再訪:2011年01月 / 2011年05月 / 2012年05月
公開:2011年04月05日
名称:正式名称→君津エースゴルフクラブ
状態:開発再開(大規模な太陽光発電パネル設置区画)

レポートの内容は初来訪時とその後の再訪現地調査、そして現在の状況を総括して再構築されています。写真に対するキャプションは所々当時の内容が反映されていますが現在は民間企業が管理する太陽光発電区画となっています。

房総では有名な廃橋だった

2009年、山岳会の知人から「笹川に釣り人に良く知られている立ち枯れの絶景ポイントがあるのでカヤックで行かないか」とお誘いを受けました。調べてみると成程、私が昔から好んで来訪する川俣湖(栃木県)の川俣檜枝岐林道の立ち枯れの風景と良く似た景観のようです。

注意点
川俣檜枝岐林道の立ち枯れは現在、川俣ダムの治水管理の関係上で水抜き期間が長時間続いており、干上がっています。

しかし暫く機会に恵まれず、2010の年末に再び調べてみると湖から大きな廃橋が見え、それも釣り人には有名な話だという。当時すっかりその廃橋の方に興味がいってしまい、机上調査を済ませて現地に向うことに。



2010年当時、現地に到着するとそこには所狭しと「産業廃棄物処理場建設反対」の看板が並んでいました。少々ぎょっとする風景です、これらに関しても追々説明していきましょう。

実はこの入口のほんの少し歩いた場所に登山道(旧道)の入口があります、また山菜採集の為に地元の方はよくこの周囲の山を歩くので一般的にもこれから目にする廃橋は有名だったようです。

スゴログ 君津エース 廃橋

驚きました。

千葉県にこのような常軌を逸した風景が存在したことに正直驚愕したのでした、この写真からは解りませんが道板(床)がなくて下方は30~35メートルほどの高低差が筒抜けです。これはただ事ではありません、非常に興味深い状態を維持して廃墟化しているといえます。

一般の方が通行する登山道の直ぐ脇にいつ死亡事故が発生してもおかしくない状態の危険な廃橋が存在しているのです、しかも封鎖もされていません。夏場などは草木が生い茂り、下方の確認が間々ならないので初見の方は高さを感じずに渡橋を開始する可能性もあるのです。

これは一体どうのような状況なのでしょうか。


スゴログ 君津エース 廃橋

こちらは冬季の状態。

初来訪時の写真ですが出発後に突如雪が降り始め、現着した頃には止んでいましたが良く見ると日陰の右側部分が凍結しています。勿論ハーネスを着けての調査でしたが一度滑ってしまい、滑落の危険を感じたのは記憶に鮮明です。

スゴログ 君津エース 廃橋

中央鉄骨は凡そ幅8cm、横梁は凡そ幅30cm、これが約1.8メートルの感覚で並んでいます。ブレスのアングルはオマケ程度でしょう、とてもこの規模のH鋼のブレを抑えることができるとは思えません。中程の川を越える辺りの恐怖感は普段高い岩場で行動する私達のような登山者でも十分味わえました全長は計測を忘れましたが100メートル以上は確かです。

来訪時にアクションカメラが存在していたら是非装着して動画撮影に挑んだことでしょう。

廃橋の正体はバブル崩壊で倒産したゴルフ場建設の為の連絡橋

スゴログ 君津エース 廃橋

長年放置されて錆の侵食は著しい、なんと一部には土が堆積して植物が芽を出している所さえあった。では何故にこのような状況が発生し、長きに渡り放置されてきたのでしょうか。

この廃橋は元々一般往来を目的とされておらず、ゴルフ場建設の為の工事車両などが行き来するために建設された仮説橋でした。

この川を越えた先の広大な土地を取得し、バブル時にはゴルフ場銀座とも呼ばれた房総半島に新たに会員制ゴルフ場を建設する計画が立ち上がったのが1990年初頭、主導企業は君津エース株式会社。このゴルフ場建設の為に設立した会社だったようで結局バブル崩壊と共に建設半ばにして倒産します、1991年7月1日に着工したようで予定通りに工事が進めば1994年3月31日には完成したはずでした。

注意点
ゴルフ場建設には都市計画法、森林法、農地法は基より各行政の関連申請とその許可や提出書類の審査、開発に関る数値計算なども含まれます。日本ゴルフコース設計者協会が推奨する設計基準、開発面積に対するホール造成利用の算出など書類関係のみに限定しても多大な時間を要します。それを踏まえ、企画と起業が1990年で翌年には造成が着工したことは時代背景(バブル崩壊懸念期)と開発規模、銀行の融資制度を考慮するとやや異例とも思えます。

ゴルフ場等の開発事業に関する指導要綱 - 千葉県
http://archive.is/wip/TnesT

1991年と言えば既に日本経済はパンク寸前で全国のゴルフ場は収益の下方修正を余儀なくされた時代、何故この企業が無理に工事を押し進めたのかは解りませんが1993年半ばには工事が完全に中止されます。仮設橋であった為に造りは無骨な鉄骨トラス構造、色気のない造形です。

ゴルフ場の入口は別途造成される予定でしたが工事が中止になったので結果、この広大なゴルフ場建設予定地へのアクセスはこの廃橋のみとなったようです。

バブル崩壊と資金繰りに四苦八苦した君津エース株式会社でしたがこの状態の間々、競売に掛けられます。この時点で施工主だった君津エースは倒産、1997年にグレンピークマナーゴルフクラブが利権取得(後に鹿島プレミアゴルフ倶楽部と社名を改称)となりました。

航空写真を確認すると1995年~1997年まではまた橋に道板が設置されており、車両などが通行可能な状態でした。グレンピークマナーゴルフクラブが利権を取得して暫くして突如この床が消失、恐らく安全確保などの企業姿勢が問われて便宜上封鎖の目的で撤去したのだと思われます。





暫くして鹿島プレミアゴルフ倶楽部(グレンピークマナーゴルフクラブ)もこの地でのゴルフ場開発を断念、ここで登場するのが現地の住民が反対活動を繰り広げた産業廃棄物処理場建設計画です。行政が認可した事業でしたが反対活動は建設の白紙化までに発展、その後長らくと音沙汰が無かったこの場所ですが2013年頃に仮設人道用の板が申し訳程度に設置されました。

どうやら再開発の為の現地調査を行っているようでした。そして2015年1月、入口に再開発の看板が設置されます。

事業主:君津エースゴルフクラブ 松島和雄
施工者:2015年03月までに決定
管理者:木津雅洋

これには驚きました、倒産したはずの「君津エースゴルフクラブ」の名が看板に事業主として記載されています、調べてみると当時の企業とは別で正式に法人化したのは2015年の10月5日。つまり新しい「君津エース」が立ち上がったのです。

法人.info - 君津エースゴルフクラブ
http://archive.is/wip/Ic2Ds

しかし色々と謎は残ります、開発目的が宅地整備とされていた点です。2015年7月~2016年1月までの期間で造成するとの情報がスゴログへ複数寄せられました。「君津エースゴルフクラブ」とは一体なんの目的で作られた会社なのか、何故不況下のこの時代にとも思いますがやはり一番の謎はゴルフ場企業が宅地整備として造成を開始することです。

2016年5月、廃橋はライトグリーンに再塗装されて床も設置されました。本格的な開発が始まったようです。ここまで広大な土地を開発するとなれば行政広報や住所を元とした事業開発の目的を調べるのはそう難しくありません。

先行してた隣接する小規模なソーラーパネル設置企業、株式会社エコライフエンジニアリングとは別の企業が開発をおこなうよう。



こちらが既存の小規模なソーラーパネル発電所。

株式会社エコライフエンジニアリング - 産業用事例33:笹川発電所
http://archive.vn/wip/RFWA8

新しく再開発企業として名乗りを挙げたのは君津メガソーラー合同会社、工事業者は雅エンジニアリング。

事業主:君津メガソーラー合同会社
施工者:株式会社 雅エンジニアリング(パネルは東芝)
管理者:本郷雅和

ここで興味深いのはこの一帯の開発許可届けの形式が「林地開発行為変更届」だという点、つまりは当初は太陽光発電ではなかった…?ならば当初の掲示にあった新たな「君津エースゴルフクラブ」とは…?これらに関しては調査を進めましたが詳細を知ることは叶いませんでした。

以下、関連資料を幾つかリンクします。

林地開発行為許可申請一覧表
https://bit.ly/2QNMbG3

千葉県森林審議会 森林保全部会審議等経過報告
https://bit.ly/3dGaQq6

法人.info - 君津メガソーラー合同会社
http://archive.vn/wip/q4sBd

東芝、千葉県君津市のメガソーラー発電プラントをタイ社から受注
http://archive.vn/wip/CxJIQ

東芝、タイ企業から33MWのメガソーラー受注、君津市のゴルフ場建設予定地
http://archive.vn/wip/P6kRR

君津エース跡地のメガソーラー発電所が完成すれば県内最大の富津市にあるグリーンパワー富津太陽光発電所と同規模のソーラー設置場所となります。

こちらの施設は2020年現在も建設途中です、1991年からの歴史は驚愕とも言える変貌を見せたこの地。ですが20年近く放置された廃橋として、一部の廃道フリークなどに人気になったのでご存知の方も多かったことででしょう。

残る疑問点

当初再開発が見え隠れした2015年、事業主は何故か倒産したはずの最初の施工主を同じ社名を新規で登記した企業でした。しかしその目的は宅地整備、更に翌年にはその名はすっかり消え去り太陽光発電の企業がソーラーパネルを設置する為の工事を開始。

これらに関する疑問点はレポート公開時点で納得できる回答が一つも判明しない状況です、追跡調査を行う予定ではありますが関連企業からの質問書の回答もなく、明確な回答を得るのは難しいかもしれません。



スゴログ 君津エース 廃橋

廃橋から少々ロープを延ばして下方へ向うと自分がいる高さを実感できます、写真ではこの高低差を表現できないのが非常にもどかしいですね。

良く見ると撤去時に設置されたと思われる落下防止ネットが点在しています、しかしそのどれもが既に役に立たない状態でした。

スゴログ 君津エース 廃橋

横構図では全体像が入りきりません。

1991年~1993年までの造成当時は鉄板の床が敷かれ、大型ダンプや工事車両が往来しました。耐荷重量表示は80トン。造成対象区域は68ヘクタール(1ヘクタール:10000平方メートル)だというのでどれだけの重機が必要だったことか。

特に地面を造成し固める為の重機は非常に重量があるので仮設橋とはいえ頑丈に作られています、また高低差があるので余計に耐荷重は考慮されていたことでしょう。

地上に降りると橋の高さを如実に実感

廃橋の入口脇には登山道へ入る枝道、笹川の支流を徒歩で渡る降下する為の獣道の二つの分岐があります。この場所へは数回来訪し、既に徒歩でゴルフ場建設予定地へ向うルートも開拓しており、この場所からも勿論行くことができます。

また山菜採集の為に地元の方がこの川を渡り、ゴルフ場建設予定地を掠めるように山へ入るルートもある所為か意外と人の痕跡は多く見られます。

スゴログ 君津エース 廃橋

しかし注意しなくてはなりません、3月後半から11月まではヤマビルの活動が活性化する時期で1分もじっとしていると数匹のヒルが踝の辺りでウネウネしていました。

ヤマビルは特に感染症などを媒介することはありませんが吸血時に注入されるヒルジンは血液凝固を妨害する為に長時間血が滴る覚悟が必要です、そして非常に痒いです。

登山で房総の山々を歩いていると慣れたもので両足に10匹以上のヒルが吸血していても何とも思わなくなりますが対策としてはヒルの忌避剤を利用するか忌避剤を自作するなどの用意があると良いでしょう。昔ながらのヒル対策としては前日に塩分濃度の高い水に靴下を漬けてその間々乾かし、登山当日にその靴下を履くとヒルが取り付き難いという方法も。

注意点
ヒル 忌避剤 ハッカ油

ヒルの忌避剤を自作する方は沢山いらっしゃいます、登山を趣味とするならば誰もが知っている簡単なレシピですが様々なアレンジも存在します。スゴログではエタノール、ハッカ油、塩を使用。これらをスプレーボトルに小分けして使用しています。また、塩の代わりにグリセリンを少々多めに混ぜると揮発時間が遅くなります。効果はやや薄れますが忌避時間は継続します、化粧水などの保水成分なので安心して使用できます。

吸血後に流血を発見した場合はオキシドールを含ませた布や消毒ペーパータオルなどで拭いた後にワセリンを塗布して膜をつくると良いでしょう。消毒用エタノールは傷などがない状態でないと悪化させる事が殆どです、この点を留意すると良いでしょう。

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スゴログ 君津エース 廃橋

鉄骨の状態ですが上部は著しく腐食が進んでいる場所があるものの下方は河川の為か十分な防腐処理がされているようで悪くありません、錆が気になる程度です。

ボルト類の腐食も確認できますが直ぐに外れるようなことはなさそうです。

スゴログ 君津エース 廃橋

この場所では何度か空中ラペリングの練習を行ったことがあります、30メートル程なので50メートルロープでの練習にはとても良い高さなのと支点が沢山取れるので安全性も確保できる好条件が揃ったところでした。

岩壁でのハングなどとは違い、安全な空中ラペリングの練習の場は以外と少ないのです。

スゴログ 君津エース 廃橋

此方は夜間撮影、風が弱い頃合で数枚撮影してコンポジット。それでもやはり葉が揺れてしまいます。今思えばもう少しSSを上げてコンポジットレイヤーを増やせば良かったのかもしれませんね。

一番苦労したのはヒル対策、三脚の周囲に食塩三袋を巻いて撮影サークルを確保しました。それでも上へ上がった際に確認すると数匹のヒルが吸血していました。

スゴログ 君津エース 廃橋

上部にプーリーを設置してビレイも確保、しかしこの高低差なのでビレイヤーはあくまで姿勢確保のサポート。降下者はディッセンダーやマッシャーでセルフブレーキを確保しています、空中ラペリングでの途中で作業姿勢を試みましたが流石に難しいですね。

複雑な降下行動をとる時は機械登攀や機械降下が良いでしょう。



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鉄骨登攀で廃橋の現状を確認

スゴログ 君津エース 廃橋

約20年の放置期間でこの鉄骨部分がどの位腐食しているのか、それを確認していきましょう。

落下防止対策として二系統のセーフティ、サブの姿勢確保用の安全確保ロープを用意。少しづつボルトなどを確認しながら登攀していきます。

スゴログ 君津エース 廃橋

錆の進行は中程までは緩やかでした、中程から腐食状態が進んだ鉄部が目立ってきます。

そして以外だったのは明らかに施工時期の違う溶接痕があったこと、これは予想の域を出ませんが解体時に落下防止ネットを設置する際、梯子やネットのマウントを装着するために行われた工事だった思われます。

この新しい溶接痕は素人目に荒い作業だったようで剥離しているものや、既にマウントが落下した後だと思われる箇所も確認できました。

スゴログ 君津エース 廃橋

鉄骨の状態は総じて悪くありません、所見としてまだ10年20年とこの間々維持しそうな強度は確保されていそうです。崩落の危険性はありませんがこの状態を放置するのは危険でしょう。

2009年の情報では地元の老人が山菜採取にこの橋を頻繁に渡橋しているとも、いつ落下事故が発生してもおかしくありません。

スゴログ 君津エース 廃橋

バブル崩壊と共に潰えたゴルフ場建設計画、工事が中止されてから20余年の歳月を経て造成を開始したのは当時の施工主を同じ社名を関した君津エース株式会社でした。しかしその名も直ぐに消え去り、太陽光発電の大規模パネル設置区画として再開発。

驚くべき景観を見せた廃橋は新しい開発仮設橋として現役復帰しました、廃橋の調査としてや登山の帰りがけ見物、夜景撮影の場としても利用させて頂いた貴重な場所でしたが民間企業の管理化となった現在あの驚きの連続だった「君津エースの廃橋」は終焉を迎えました。

国内でも珍しい放置された巨大廃橋を観察できたことは幸運でした、今後は関東ふれあいの道の連絡登山道として入口を掠めることになりますがたまに思い出してみようと思います。また整備はされていませんが三石元清澄歩道へ続く登山道も存在しています、こちらはかなり危険でオススメはできませんが(三石元清澄歩道自体は歩き易い登山道です)。



実は現在、房総半島に点在する関東ふれあいの道は2019年の連続大型台風の上陸によって壊滅状態なのです、これから該当地へ入山される方は何卒ご注意願います。

関東ふれあいの道 - 台風15号による影響(2019年9月20日更新)
https://bit.ly/2QKDgVP


ゴルフ場建設はどこまで進んだのか

スゴログ 君津エース 廃橋

橋を渡り終えて直ぐに目についたのが放置車両でした、遠くからでも判別可能なあの角ばったデザインはマツダの5代目BD型ファミリアですね。パンダを引き伸ばしたような造形はこの手のデザインの本場であるイタリアでも好評だった売れに売れた車種です。

さて、ここで一つの疑問が芽生えます。

この5代目ファミリアが販売されたのは1980年~1985年の5年間です、その当時はこの場所は山深く道路なども勿論ありません。君津エースゴルフ場の建設が着工したのが1991年ですから仮設橋が開通した後にこの場所にやってきたことになります。

工事中は勿論車両の不法投棄など不可能ですから工事が中止された1993年から仮設橋の床が撤去される1999年頃までの間と予想されます、自走で来たのか牽引されてきたのか。他にも放置車両は数台見て取れますが殆どが工事関係車両、一般車両はこれだけでした。

注意点
読者からの情報ですが工事が中止されて暫く、造成地はオフロードバイクの練習場として人気があったそうです。また昼夜問わず車での侵入も頻繁にあったそう、そんな中で一番の問題点は不法投棄。個人的なものから業者と思われるトラックでの投棄など様々でこれらの問題も地元住民からは行政側に意見書などが届けれれたそうです。

本題です。

このゴルフ場、一体どこまで工事が進んだのでしょうか。実際に建設予定地に入ってみると樹木を伐採してあるとはいえ、かなり凸凹で数メートルの丘や抉れた小さな谷の様な場所も。

スゴログ 君津エース 廃橋

山間部の比較的平地が多い場所を造成していたようですが伐採後の土壌凝固剤で固定までが済んだ状態で中止されてしまったのでしょう、まだまだゴルフ場という体は為していません。

凝固剤の所為か地面は水捌けが悪く、非常に硬くて歩き辛いですね。工事車両が走る道が数本用意されていますがその部分だけは比較的平面を保っていました。

スゴログ 君津エース 廃橋

スゴログ 君津エース 廃橋

スゴログ 君津エース 廃橋

航空写真で確認し、一番見たかった風景がこれです。

寄り添うタンク車とトラック、そして放置された大きなキャタピラ。この荒涼とした景観はなかなかお目に掛かれるとは思えません。

GPSを頼りに敷地内を込まなく歩いてみましたが特筆するような状況はなく、工事が随分と初期段階で中止されたのだとわかります。ゴルフ場建設のフェーズがどの様に構築されているかわかりませんが1993年の工事中止でこの状態…とても翌年にオープンできるとは思えません。つまり工事自体が既に遅延しており、建設予定は既に破綻していたのだと解ります。

この地域の開発による変貌

スゴログ 君津エース 廃橋

等高線を確認すると周囲の山々よりやや低い場所に位置していることがわかります、これは元々この一帯が平地が多く、突出した山が無かったことも関係しています。山間部でのゴルフ場建設では山の開拓造成に一番費用が掛かりますからこのような好条件の場所は高度成長期に全国的に考えても造成が進んだ場所でもあります。

北側の亀山湖カントリークラブより小さな造成面積に見えますが実は造成は更に南東に進められる計画でした、南側にもやや手が入った形跡があったので南方から南東に掛けて更に大規模な造成計画があったのかもしれません。

予定は笹川からの支流に囲まれる様になっており、この川と対面の陸地はどこも谷のようになっています。廃橋の場所も同じ条件だったのであのような高低差のある橋が架けられたというわけですね。

スゴログ 君津エース 廃橋

この航空写真は1974年に撮影されたもの、まだ片倉ダムもゴルフ場の造成跡も予想できないくらいに確認できません。

中央の比較的平地に見える場所が造成地なのですが写真をみて気付かれる方もいらっしゃると思います、実は人道(獣道に近い状態ですが)が幾本も見て取れるのです。

これは一体なんの為の道なのか、それは作業道であったと推測されます。何故ならばこの場所には戦前、森林軌道である「小坪井林用軌道」が存在したとされているからです。

小坪井林用軌道に関しての詳しいレポートがあります、廃道探索では有名なサイト「山さ行がねが」のレポートです。長編なのでお時間がある時に是非。

元清澄山の森林鉄道跡 - 山さ行がねが
https://bit.ly/2UJvZHk

因みにこの年、地元は大きな計画が開始されています。そうです、片倉ダムの建設計画が開始されたのが1974年なのです。

片倉ダム - ウィキペディア
http://archive.is/wip/eenti

スゴログ 君津エース 廃橋

10年後の1984年の航空写真、特に一帯の変化はないと思われるかもしれませんがダム建設計画は少しづつですが確実に進められていました。

片倉ダムの建設計画が進んではいるものの、実はダム直下となる地域には幾ばくかの水田と畑、そして民家が数軒並んでいました。退去対象の地域住民に関しては既にダムに水没することは告知されており、ダムと平行して地域の活性化へ繋がる開発が行われることを該当地区の人々は強く望んだそうです。しかしダム建設と地域開発とは直結し得る産業も土台もないことで民家の退去が滞ります、反対運動もあったようですね。

結果、ダム建設は大幅に遅れをとりました。民家の退去が進まないと造成や道路整備に関しても工事を行うことができず遅延にづぐ遅延、重い腰を上げた行政が工事の加速計画を別途くみ上げるまでに問題は複雑化しました。

スゴログ 君津エース 廃橋

1994年の航空写真、大きな進展がみられます。それは15年前から進められている片倉ダムを差し置いて突如地元を沸かせたゴルフ場建設計画です、後の君津エースゴルフクラブの建設予定地の造成ですね。



1990年、ダム建設に関していえば行政と建設請負業者と立ち退きを拒んでいた住民との問題は漸く終結しようという時期、どうやら立ち退き報奨金やその後のサポートに納得できるフォローが約束されたのでしょう。

しかし人の口に戸は立てられません、ゴルフ場建設においても民家の立ち退きなどは問題視されることがありますが既に行政がその煩わしい問題を解決したとあらばどこぞの企業が噂を聞きつけるのは必然だったのかもしれません。

ダム建設の造成が開始されようという時、美味しいところを浚い取るようにゴルフ場建設計画がバブルの開発の旨みと共にやってきます。しかし時はバブル崩壊寸前、既に先見の明がある企業は大規模な娯楽施設の開発などからは手を引いている状況でした。

その後は既にレポート内で説明した通り、ダムは2001年に無事完成しゴルフ場はバブル崩壊の波と共に消え去りました。

スゴログ 君津エース 廃橋

2013年頃から再びざわついたこの地域、結末はこれも既にお伝えしたとおり太陽光発電のソーラーパネル設置区画として活用されたのでした。


笹川湖と笹川湖から見る廃橋

最後に片倉ダムを擁する大変美しい笹川湖とその笹川湖から見上げる廃橋の姿をご紹介したいと思います、この君津エースの廃橋を紹介するサイトは数多いですが湖からのレポートは流石に見たことがありません。

もう一つの、かつてあった廃橋の姿を少しだけご紹介しましょう。

スゴログ 君津エース 廃橋

亀山湖などはカヤックでアプローチできますが笹川湖は舟艇でアプローチする場所が皆無(厳密にはありますが水深が浅いので余り好ましいアプローチポイントではありません)、そこで電動ボートを借りることに。お世話になったのはレンタル釣りボート業を営むレンタルボート笹川さんです。

レンタルボート笹川
https://bit.ly/2Ulmpet

名称:レンタルボート笹川(笹川ボート)
住所:〒292-0526千葉県君津市笹1743-28
電話:0439-39-3655
連絡:sasagawaboat@pop21.odn.ne.jp

当日は写真撮影の為に色々とご協力して頂いて有難う御座いました、再来訪の予定も在るので今回同様何卒宜しくお願い致します。

スゴログ 君津エース 廃橋

スゴログ 君津エース 廃橋

立ち枯れと言えば大正池や青池が有名ですが房総半島にも笹川湖と言う素晴らしい立ち枯れロケーションが存在していることを沢山に人に知って頂きたいと思います。

本当に綺麗です。

スゴログ 君津エース 廃橋

写真に写り込む紅い何か、ずっと気にっておりました。最初落葉かと思いましたが余りに紅い場所があったので接写、どうやら水草のようです。帰宅後に調べてみると、特徴的に「アカウキクサ」と推測、肉厚の赤い藻の仲間です。

アカウキクサ - ウィキペディア
https://bit.ly/2wsToVj

が、調べると農薬散布の影響で現在では絶滅危惧種だと記載されています。流石にこれだけ大発生している藻の正体が絶滅危惧種では無いだろうともう少し調べてみると…

アゾラ・クリスタータ(アカウキクサ属)
https://bit.ly/2QNV8iL

同じアカウキクサの仲間で外来種だと言う事が判明、この藻の大発生が全国的に被害を齎している害草だそうで。類似の在来種を減少へと追いやるだけでなく、周囲の生態系にも著しく悪影響を及ぼすことから問題視されていようです。

スゴログ 君津エース 廃橋

スゴログ 君津エース 廃橋

笹川湖は釣り客で大変賑わっており、写真撮影の為の出廷は私達だけでした。やや気まずい中、地形や目で確認できる生態調査などを行った後に目的地である廃橋へ向かいます。

スゴログ 君津エース 廃橋

かつて見ることができた笹川湖から望む君津エースの廃橋です、小型の手漕ぎボートやカヤックでなら橋の袂まで行くことが可能です。つまりゴムボートのようなものであれば橋の下方から笹川湖へアプローチも可能…でした。

現在(2020年時)では再開発の為にこのアプローチルートも消滅、更に橋は現役となりライトグリーンに塗装されてしまったのでこの景観を見ることはできなくなりました。



以上で君津エースゴルフクラブのレポートは終了です、どれだけのことが調査できたのかスゴログ自身判断できかねますが現地での度重なる聞取り調査などで歴史に関しては真実に迫った内容かと思われます。再エントリーのレポートで当初の公開は約10年前の内容ですが当時を思い出し、少しはお楽しみ頂けたのなら幸いです。

2020年03月 追記更新

当サイトをご覧頂いた方から情報提供を頂きました、それを基に少しばかりとなりますが追記したいと思います。

まず再開発に関連した企業の設立登記の疑問点です、2013年頃から再開発の兆しが見えはじめて現地に最初に公示された内容は次の通りでした。すくなくともこの時点での開発目的は宅地整備です。

事業主:君津エースゴルフクラブ 松島和雄
施工者:2015年03月までに決定
管理者:木津雅洋

この「君津エースゴルフクラブ」という企業、2015年10月5日に登記されています。

商号名称:君津エース株式会社
法人番号:5010401007811
会社所在:東京都港区西麻布3丁目18番11号

次に2016年11月16日に公示された内容は

事業主:君津メガソーラー合同会社
施工者:株式会社 雅エンジニアリング(パネルは東芝)
管理者:本郷雅和

でした、ここで漸く宅地整備ではなくて(もしくは開発目的が変更されて)太陽光発電のソーラーパネル設置区画になることが判明します。事業主は

商号名称:君津メガソーラー合同会社
法人番号:8040003006933
会社所在:東京都中央区京橋2丁目12番2号NEWSX5階

です、そしてこの企業も2015年10月5日に登記されていました。更にこの公示には代表社員として

商号名称:一般社団法人GD仙台第一
法人番号:2011105006805
会社所在:東京都新宿区新宿1丁目34番16-506号

とあります、そしてやはり登記日は2015年10月5日。これは少々おかしいです、どの様な流れで事業主や関連企業が選定されたかはわかりませんが登記日の一致が偶然ではないのだとしたら。

最初の再開発目的に「宅地造成」と記載されることがまず最初の疑問点となるのです、そして倒産したゴルフ場建設を企画した当初の「君津エース株式会社」と名称をつけた点。これもやはりおかしいですね。

千葉県が公表している「地開発行為許可申請一覧表」を確認します。

千葉県森林審議会 森林保全部会審議等経過報告
https://bit.ly/2UIOlYR

すると2016年6月30日に開催された第115回森林保全部会にて「君津メガソーラー合同会社」が太陽光発電施設の用地造成を目的とした許可申請を出しています。

となると少なくとも6月30日から11月16日の間で認可されて公示へ至ったことになります、すると最初の宅地造成で公示した「君津エース株式会社」とは何を目的として登記された企業なのでしょうか。

更に代表社員とされた「一般社団法人GD仙台第一」ですが最近の動きを調べてみると仙台市の公報にその名が記載されていました。そして驚くべきことに会社住所が

仙台市青葉区中央四丁目8番17号小林ビル1階

とされており、仙台市内の太陽光発電に関わっています。そもそも登記は東京都新宿区で「GD仙台第一」とはおかしな名称だとも思えます、そして現在はその名の通り仙台市内で業務請負…これらの関連性がいま一つ見えてこない非常に興味深い情報提供でした。

因みに2019年4月1日から正式稼動した君津メガソーラーの太陽光発電、売電崎となる東京電力エナジーパートナーとの契約は20年間とのこと。つまり今後この契約期間内はソーラーパネルの区画として運用されることが決まっています。

発電カンクン、千葉のメガソーラー稼働
https://bit.ly/3anlKil



もう一点。

当初のゴルフ場建設の予定地は68ヘクタールとされていました、しかし太陽光発電のパネル設置区画の造成面積は63ヘクタール。レポート内で土地造成が途中で中止されたと記載しましたがやはりもう少しだけ広く開発される予定だったようです。

情報提供、ありがとうございました。

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参考・協力

君津市市役所
君津市笹地区
三石山 観音寺
片倉ダム
片倉ダム記念館
道の駅ふれあいパークきみつ
レンタルボート笹川

注意点
詳細を知るために各工事の施工業者にも解る範囲で連絡しましたが何れも返答は頂けませんでした。



レポートの場所



注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html



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