2019-08-01T15:15:49Z #020 岡本川源流未開発区域

#020 岡本川源流未開発区域

南房総の山中に千葉県特有の産業史がありました、バブル崩壊と共に消え去った娯楽施設の建設計画と地域住民との戦い。そして現地調査できた過去から今へ続く歴史を行政や地元新聞社の協力の下に解き明かしていきます、ビワの産地という特色以外で誰もが忘れた房総史の一端をお楽しみ下さい。

スゴログ 富浦町 廃道
千葉県│岡本川源流未開発区域

調査:2010年01月
再訪:2016年01月 / 2017年06月
公開:2010年08月28日
名称:正式名称→なし
状態:行政管理

スゴログに加入して1年目のメンバーに新人卒業の課題として調査物件の選定をしてもらいました、選定の為の決まりは「無理をしない地形である事」、「不測の事態におけるセルフレスキューが可能な場所である事」、「最低パーティ人数の2人で行ける事」の3点。

更に房総半島という大前提の中でメンバーが探した場所は今回の河川名称が不明でウェブ上の情報も全く無い廃道(沢)でした、地図と何度も睨み合いじっくりと探したようです。

これが予想以上に謎が多い場所でしてその後何度か来訪する事に、千葉県の南に位置する富浦町で独自調査が始まったこの未知なる廃道を皆さんにご紹介したいと思います。



河川地図にも「名称不明」として岡本川水系名称不明河川との記載がある一本の川、グーグルマップと航空写真を頼りに歩けそうな場所をひたすら探したのだそうです。

岡本川は南房総市の富浦町に河口をもつ県内二級河川で同水系の枝流も大きな川ではありません、その源流を詰めていくと名称不明河川が二本あってその内の一本が今回の謎解きの現場となります。

その名称不明の河川に沿う様に何やら廃道も存在している様でした、当初は沢登り的な課題を出す予定でしたが道が在るのならば歩いてみようと沢装備を装着した上での廃道歩きへ現地で変更に。

それでは廃道入口のストリートビューからレポートを開始したいと思います。



ストリートビューでも解る通り、一応廃道入口には柵が施されていた。南房総市建設環境部管理課に問い合わせたところ

「殆ど人の往来はないが害獣駆除の猟師が猟期に入っているのでその点に留意してほしい」

との注意を頂いた上で入林に関しては問題ない事を明言しておきましょう、千葉県には入山届の決まりはありませんがスゴログでは土地の管理が行政なのか、企業なのか、個人なのか(複合する場合もあります)を調べてた上で行動しています。

罰則が無い場合もありますが無許可での森林への進入は何卒お控え下さい()。

注意点
当サイトのレポートを基に無断進入(侵入)して警察のお世話になった方がいらっしゃいました

スゴログ 富浦町 廃道

航空写真で見るとこの様な周囲状況です、進行方向に民家は全く存在しません。上方の分かれ道から更に右側の細い獣道を辿るのですがグーグルマップと実際の現場状況(道筋)は大小異なっており、特に右側の道に関しては殆ど別物と言えました。

地図で位置関係を記しながら少しづつレポートを進めましょう。



スゴログ 富浦町 廃道

ストリートビューでも確認できた柵、ここが廃道の入口です。道に沿う様に10メートル程下方に細い川が流れています、件の名称不明の河川ですね。

スゴログ 富浦町 廃道

廃道に入ると砂利で踏み固められた歩き易い道が暫く続きます、右側の斜面はどうやら植林後に放置された様で杉を中心に規則正しく植えられていました。

が、余程長い間放置されたのか現在はこの有様です。





実は新人から課題の提出を受けた後、森林管理の管轄と地形に関する情報を得ておいた方が良いと判断して事前調査を行っていました。

何より一番引っ掛かっていた点はその周囲の地図…というか地形でして国土地理院や航空写真でも解る違和感です、その疑問点とは

「何の為の道なのか」

です。通常、廃道となる前は何かしらの役目があった筈。それは房総半島の山岳地帯で言えば製炭であったり林業であったり、ただこの地方では双方が産業として行われた記録はありません。また山間部を無駄に長い道が整備(簡易整備ですが)されているのも目を引く要因でした、何処とも繋がる事なく終わりを迎える細い道…これは何かありそうです。

スゴログ 富浦町 廃道

1975年の航空写真です、なんと今では見る影もありませんが田畑が整備されていて西側の斜面はズリ山化しているではないですか。これには大変驚きました、過去に大規模な開発が行われていたのです

更に周囲の過去を調べてみます。

1930年代では全くと手付かずだったこの山間部(地元住民の農地としての運用は小規模で幾つか存在していた)でしたが1940年代、人口増加(戦争の為に下総地域からの流入)に伴って田畑の拡大を余儀なくされて開発を開始。流入時期がハッキリしないので戦争中の移動流入なのか戦後の移住流入なのかは判明しませんでしたが現地住民の聞き取り調査の限りではその時期に人口増加が確かにあった様です。

またその聞き取りの中から山中の削られた土砂は東京湾の湾岸埋立に利用され()、山間部の土砂利用と田畑拡大の相互利点が開発速度を速めながらこの地一帯の姿を変えていったと解りました。

注意点
この埋立利用が勘違いと後程判明します

この時点で1975年の航空写真の謎は判明しました、新たな農地開拓と土砂掘削の為の山岳森林区域の運用だったのでした。

しかし戦後経済の中心が再び下総から更に都心部に集中した事で開発速度は低下、良質の土砂の確保が富津市や君津市に見つかった事で土砂掘削は中止に。その後は残された田畑を地元住民が細々と運用、掘削を逃れた森林区域ではビワの栽培が行われました()。

注意点
富浦町のビワは有名で現在では特産品です

スゴログ 富浦町 廃道

経済・産業の都市部移行で全国規模で山岳区域における田畑の運用が低下した1980年代、写真は1982年のもので時代背景を色極く映し出していました。1975年と比較すると顕著でホンの数年で田畑は廃田に、ズリ山部分は再緑化。土砂運搬の為に拡張していたこの道もすっかりと獣道へ、人の管理が潰えた為か水場を中心に崩落箇所も増えていった様です。

戦後からやっとの事で静けさを取り戻したこの場所で再び騒動が勃発します。



南房総市の総務課さんから提供された情報によると田畑の拡大や土砂掘削の開発を終えて現地がゆっくりと自然に還ろうとしたその矢先、再度この地に開発の波が押し寄せました。

駒沢大学がこの山間部にセミナーハウスの建設を計画、程なくして大学側が県有林を購入。しかし地元住民からの大反対を受けて、計画は一時保留となります。富浦町は同じ町内の海側に位置する大房岬入口にあたる県有地を千葉県から譲り受け、その場所とこの山間部の土地を交換。その後、駒沢大学のセミナーハウスは大房岬に建設されて現在も運営されています。

駒澤大学 富浦セミナーハウス
http://archive.is/AraiQ

場所はここです。



この様に1940年代~1980年代に掛けて右往左往した開発経緯を辿った岡本川の支流とそれを要する山間区域、それだけでも興味をそそる廃道の歴史と言えます。

第一回目の来訪を終えた時点でこの場所は「新人卒業研修」から「富浦町の山間部における産業史調査」に変わりつつありました、そして更に謎の遺構を発見する事で調査は進んでいくのでした。

スゴログ 富浦町 廃道

この場所を大型トラックが往来した事がどうしても信じられません、崩落箇所も多くて今では人がどうにか歩ける状態です。

写真の場所は谷側が大きく崩落してしまった様で道が半分しかありませんでした。

スゴログ 富浦町 廃道

この辺りで既にGPSに描かれている道筋と随分離れてきました、崩落後に数少ない来訪者(猟師など)が踏み固めた細い獣道を進みます。

本来であれば現在谷になっている所を道路が通っていた筈です。

スゴログ 富浦町 廃道

スゴログ 富浦町 廃道

少しだけ標高を稼いだ後、暫くは細い平地の獣道が続きます。ここまで来ると車が通れる様な道路幅が存在したと言う現実が全く信じられません、中央に太いが生えている事もありました。

相変わらずGPSとは合致せず。

スゴログ 富浦町 廃道

大して危なくは無いですがこの廃道では一番の難所です、薄い獣道をトラバースする様に歩きますが結構な急斜面で足を滑らせれば20メートル程滑落するでしょう。

日陰の為にか常にマディの様です。

スゴログ 富浦町 廃道

スゴログ 富浦町 廃道

細い道の区間を越えて暫く、急に広い道幅になりました。これは確かに車道として使用できそうな広さです、しかも地面がしっかりと固められていています()。

注意点
土砂が堆積していますがその下には堅い地面が残っていました

スゴログ 富浦町 廃道

スゴログ 富浦町 廃道

昔の航空写真で写し出されていた一番大きな水田、地図上では向こう岸(写真左側)に更に田畑が存在して道が在る筈ですが既に自然に還ってしまった様です。更にこの辺りからGPSと現地の乖離具合が大きくなります、描かれた道は既に無くなってしまったのかもしれません()。

注意点
周囲には無数に枝(作業道)と思われる細い踏み跡があります、それが猟期に猟師が歩いた後なのか当時の物なのか判断出来ませんでした。地図にも測量資料にも描かれていない道は確認出来ただけでも5本、聞き取り調査では20本以上あると予想されます。

スゴログ 富浦町 廃道

1975年に撮影された航空写真では綺麗に運用されている水田や畑が見て取れます。そして恐らくですがこの写真の田畑を囲む道路の左側が今歩いている場所なのかと予測、本来メインだった右側が土砂崩れなどで埋没したなどの理由で消失したのだと思われます。

スゴログ 富浦町 廃道

近年の測量(1980年代)資料は国土地理院に残っていてそれを元に地図が描かれている筈…なのですが、ここ30年程で劇的に地形が変化したか、兎に角現地の状況を優先して慎重に周囲を観察していきます。

スゴログ 富浦町 廃道

この場所に来て急に人工物が目立つ様になりました、やはり上空から見た一番大きな水田だったので他の田畑への水路などが集中しているのでしょう。また滝の水流を利用した細い水路などもあり、工夫を感じます。

写真は農業用水路の側溝で浅く見えますが枯葉を除くと意外と深い事が解ります。

スゴログ 富浦町 廃道

名も無き10メートル落差程の段瀑、3段からなる緩やかな落ち込みですがこの流れを利用する形で水路が設けられれいた。

スゴログ 富浦町 廃道

少し進むと思わず驚く現状を目にしました、道路が広い状態で残っています。

そして縁石らしい人工整備痕も、どうやら両岸の傾斜が緩いお陰で土砂などが流れ込まずに道路を残していたのだと予測。確かにこの広さなら工事用の大型車両も通行出来た筈。

幅にして約6メートル、ダンプも通行可能ですが本当にこんな山奥まで来たのかどうしても疑問に思ってしまいます。航空写真でズリ山が確認できるので間違いはないのですが…。

スゴログ 富浦町 廃道

更に移動します、そしてここでこの廃道一番の発見が在りました。

スゴログ 富浦町 廃道

アレはなんだろう?

家の様に見える、小さいですがプレハブとは違いますね。

草木に覆われて危うく通り過ぎるところでしたが発見できて良かったです、しかしこんな場所に建造物が建っているという事はやはり今迄の獣道はかつて車道だったのだと証明されました。

スゴログ 富浦町 廃道

ブッシュを避けて建造物の前へ。

一見倉庫の様にも見えますが作りは家そのものでした、恐らくプロパンガスを使用したと思われる台所裏やトイレ(自然浄化漕)、六畳一間と押入れという間取りです。

スゴログ 富浦町 廃道

内部の壁は崩落していて玄関と台所、それに部屋が繋がっていました。押入れには布団が二組、衣服も数着散乱しています。

ただ照明が有りません、簡易発電機か灯油照明だったのだろうか。

水道に関しては貯水タンクが無いので判断できませんが自然水を浄化…という訳にはいかないので過去に撤去されたのでしょう。

スゴログ 富浦町 廃道

車のホイール、そしてタイヤ。バッテリーやその他の工事車両関連と思われる沢山の残留物が周囲に散乱しています。

スゴログ 富浦町 廃道

ここで更に驚く発見がありました、一般家屋で使用する屋根の瓦です。1970年代~1980年代によく使用されたカラーの瓦、しかし付近には瓦を使用する様な建造物は在りません。勿論この小さな小屋のものではない事は一目瞭然です。

スゴログ 富浦町 廃道

因みに建設が予定されていた「駒澤大学 富浦セミナーハウス」の建築材でもありません、確かに予定地として候補に挙がり、地域住民と揉めましたが建設段階まで計画が進む前に解決したので建築材料がここまで運搬される筈がないのです。

それでは一体この瓦は何処から運ばれ、何に使用される為の物なのだろうか。

東京湾の埋め立ての為のズリ山への道は手前で分岐しており、そもそも建造物の建設予定もありませんでした。そもそもそのズリ山に関してもこの瓦が製造された年代と異なります、セミナーハウスとも関係がない事を考えると謎は深まるばかり。

田畑の運用に関しても1980年代に入る頃には殆どが廃田状態なので作業小屋などを新しく建築する理由もなく、またこの瓦を使用する程の大規模な建造物は必要ありません。

一先ずこの謎は持ち帰って机上調査に回すとしよう。

スゴログ 富浦町 廃道

小屋を回りこむとやはり電線や水道管などのインフラは発見できず、定住者がいた家屋ではない様だ。田畑の関係者かと再考したけどこの区域の農業管理者は全て廃道入口付近の居倉地区の方々、この場所に小屋を建設意味もない。

周囲に何かヒントがないか調べる事にします、すると周囲には不自然にミカンの木が多い事が解りました。それも数本レベルでなくて数百本、背の高いミカンの木を見上げると幾つものミカンが実を付けていた。

また足元に沢山の麻袋が散乱していることにも気が付きました。

スゴログ 富浦町 廃道

麻袋には、

・房州ビワ864
・房州ビワ専用複合(以降判別不可)
・北平特産株式会社小名浜工場
・福島県いわき市小名浜字高山34番地

などの文字が。確かにこの富浦町は房総半島でも有名なビワの栽培地、であれば先程の作業小屋はこのビワの栽培に関係しているのだろうか。

その後の調査でこの麻袋から判明した内容を少し纏めます。

房州ビワは千葉県でも上総地方特産として知られている果物です、1970年代の田畑運用時にこの地域でビワの栽培が行われていた事は行政記録にも残っていました。そしてビワと並行してミカン畑も作られており、1940年代~1970年代までは相当な量のミカンが出荷されていました。

スゴログ 富浦町 廃道

現在は土壌の状態も良くなく、すっかりと自然に戻ってしまい採取したミカンは皮が厚くて味も非常に酸味の強い実でした。試しに役所の方にも差し入れして食べて貰いましたが一言、

「これは不味いですね」

と大自然の味を堪能して頂けた様でした。

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行政記録に残っている事でこの麻袋が当時のものであることは判明しました、それでは数々のヒントが記載されていた内容を一つづつ解明するとしましょう。

房州ビワ864の「864」の番号の詳細は解りませんでした、恐らくですがペレットタイプの肥料の種類(名前)だと思われます。類似品で「863」という物が使用されているそうで「複合肥料」の一種だとの情報を得る事ができました。なので「房州ビワ専用複合~」の「~部分」を補足すると「房州ビワ専用複合肥料」なのだと推測、ただ不思議なのは付近にビワの木がない事です。

次に「北平特産株式会社小名浜工場」という表記、これは上記の肥料の製造会社だと思われます。併記されていた住所「福島県いわき市小名浜字高山34番地」をグーグルマップで表示すると…



日本化成株式会社小名浜工場とあります()。

当時の肥料製造企業とは全くの無関係の様ですね、一応調べてみましたが肥料製造企業が既に存在していない事や関連事業リストにも登録されてもいませんでした。

注意点
2018年04月01日に三菱ケミカルに吸収合併されました

しかしここで大きな疑問に足止めされます。

この日本化成株式会社小名浜工場、沿革を確認すると1939年12月から操業を開始している。この地域での農地運用は1930年代に入ってからですしビワに関しては1940年代からと記録にあります、「北平特産株式会社」が1938年(若しくは1939年まで)まで同所で工場を運営したとしてこの肥料は何時製造()されたのだろうか。

注意点
読者からの情報提供で「肥料には厳正な使用期限はないが有効成分は希薄化してしまう、基本的にはワンシーズンで使い切る」と教えて頂きました。ならばこの麻袋に入っていた肥料は北平特産株式会社小名浜工場最後の出荷肥料ということでしょう。

さて、これにて現地での調査は終了です。これから調べなくてはならない事が

① 名称不明の河川名
② この廃道の整備目的
③ 用途不明な小屋
④ 放置されていた瓦

以上の4点、ただどうしてもウェブ上だけでは歴史を辿る事ができません。ならば協力者を募るだけです、今回拝み倒して沢山の方に情報を集めて頂きました。

行政からは南房総市の管理課、総務課、担当して頂いた総務課のお父様が開発計画当時の情報を。また房日新聞の記者の方で開発問題時に取材したと言う人を建設環境部管理課の方から紹介して頂き、山岳会でこの辺り昔(開発計画当時)歩いたことがあるという方にもお会いしました。

平成大合併以前の町歴や行政、新聞社などの情報も交えて机上調査の結果を以下に記したいと思います。

注意点
お借りした資料や頂いた資料が大変貴重なものであり、今回の調査に大いに役立った事を感謝致します。



岡本川支流富浦町/居倉地区大津地区境界線上の廃道

この地域は富浦町の居倉地区と大津地区の丁度境界線、地域を跨ぐ様に流れる川に沿う様に廃道が残っています。所々で川と廃道が居倉地区と大津地区を行き来しますが殆どは居倉地区に存在します。

開発は双方の地区をやはり跨ぐ様に行われていましが居倉地区では土砂掘削、大津地区では農地運用がされていました。1930年代から作業道は存在しましたが行政の道路整備記録には残っておらず、この辺に関しては後程改めて記載します。

土砂掘削規模は小さく、山間部での開発は農地が殆どで1940年代に馬車などが通れる道として地域住民が農業用に再整備したそうです()。車道として更に整備されたのは1960年代後半、しかしこれは確たる証拠が残っていません。

注意点
農業運用された時期と一致するので間違いない様です

ここから本題なのですがとても幸運な巡り会わせがありました。

今回協力して頂いた南房総市の総務課Nさんとそのお父様が偶然にもこの地域の出身だったので詳しく話を聞く事ができました。行政が把握している「富浦町史」には該当地区の記載は無く、上記の通り地元民であるNさんとNさんのお父様のお話しが何より重要な情報となりました。

・この土地は昔より農地と共有林だった
・1980年代に駒澤大学が一部を買い取った(レポート内に詳細あり)
・道路は1920年代には作業道として存在した

駒沢大学の件に関してはやはり地元でも問題になり反対運動によって大房岬へ計画が変更されたのは既述内容と一致する、しかし土砂掘削のズリ山の情報が一切出て来ないのです。他の証言(この土地ではない近隣の出身者の聞き取り)では知られているのにこの土地の方が知らない筈がありません、連なる別の山かと思って情報提供者(ズリ山の証言者)に確認しましたがこの廃道の奥の山で間違いないと言う。これは一体どういうことなのだろうか。

さて、この聞き取り時に行政保存の古い地図に河川名が記載されていて名称不明の川の名前があっさりと判明しました(①名称不明の河川名)。

岡本川水系七曲川(ななまがりがわ)

名前の由来かと思いまして川の曲がりを数えたら20ヶ所以上、これはどうやら別の意味がありそうですが今回はここまでにしましょう。

次に問題の廃道。

整備経緯に関しては謎の多いこの廃道、聞き取り情報を纏めると相当古い時代から作業道(山を越えた農村との往来にも利用)として獣道があったそう。それが山間部の農地開拓と共に拡張していったのだと推測したのですが…いや、これは確かにオカシイ。

そもそも車道として整備されたのは1960年代(仮説)、ですが1947年の航空写真(提供資料の写真で今回のレポートに掲載していません)にはズリ山が確認できます。山の斜面から掘削された土砂は一体どうやって運搬されたのでしょうか、掘削重機を運搬するにも掘り出された土砂を運ぶにも大型のトラックが通行できる道が必要だ。

ここで資料と地元住民の方々とで記憶の刷り合わせが行われます。

出た結論はこうでした。

「掘削事業」など実は存在せず、古い航空写真に移っているズリ山部分は「農地開拓」であったのではないか、それならばそもそも運搬する土砂も大規模な道路整備も必要ない。東京湾の埋立て事業を調べてみても富浦町からの土砂運搬に関する記録は発見できず、どうやら農業とは無関係の地域住民が湾内埋立ての話題と山岳部の農地開拓を混同したのが原因ではないか…と。

そしてこれを裏付ける様に農地開拓に関する情報が入ります。

大きな湿地帯が最大規模の田畑であった事は現地の状況からも判断できた、小屋の周りにミカンの木が多かったのも提供情報に「この付近でのミカン栽培あり(地図に丸印)」とあり、地図上では更に東側に大規模なミカン畑があった事が解ります。

そして件のズリ山部分、この場所こそ「ビワ」の栽培地だったのです、成程…だから小屋周辺には肥料の麻袋だけでビワの木が無かったのか。

しかし一向に答えが出ないこの「廃道」の用途、この答えを得た時点で残りの疑問(②この廃道の整備目的・③用途不明な小屋・④放置されていた瓦)全てが判明します。



レポート内でも解る様に1980年代にはこの区域の農業運用は衰退しています、1982年の航空写真でもそれはお解かり頂ける事でしょう。

1980年代後、この富浦町に大規模な「ゴルフ場建設」の計画が持ち上がります。当時房総半島はゴルフ場銀座と呼ばれており、ゴルフ場建設ラッシュの波に乗っていました。そしてこの富浦町において目をつけられたのは…そうです、この廃田地帯だったのです。

1990年にはゴルフ場建設の計画が進行したものの地元住民から激しい反対活動が巻き起こります、事業計画として不備が無ければ行政は着工許可を出すしかありません。ですが時代の流れが味方となって建設は瀬戸際で回避されます。

1991年後半、バブルの崩壊です。

この廃道、ゴルフ場建設を目的とした再整備されたものだったのです。着工許可が出ていても住民の反対運動の為に工事は進みませんでした、その当時の事は南房総市建設環境部管理課から紹介された房日新聞社の記者Oさんが語ってくれました。

ゴルフ場建設の計画が表面化し、反対運動が起きた当時。房日新聞社の記者として取材にこの地を実際に訪れたそうです、バブル崩壊で業者が撤退するまで建設予定地と隣接する土地の所有者が反対活動を続けられていたそうでして。

何時工事が開始されるかも解らない状況下では開発される現地に目を光らせる他無かったのでしょう、その反対運動に使用されたのがあの小屋、ではないかと。

注意点
ゴルフ場建設取りやめと共に建設予定の土地は元の所有者に返還されています

最後の疑問の瓦ですが、どうやらゴルフ場関係の建造物に使用される予定だったとか。業者嫌がらせか…その判断は今では解りませんがあの小屋の前に大量に残されてしまったそうです。

この道は町歴としては近代町史の記録を開始した時点で「町道」に指定、南房総市の建設部管理課によれば1993年06月15日に町道認定を廃止したそうです。

それまでは車道として機能していたこの廃道が今では人が歩くのも危険な状態になるとは、自然の力はやはり侮れません。



大変長いレポートとなりましたが如何でしたか、新人卒業研修の場が一転して大変な調査物件になったこの廃道。

場所に限らずどんな道にも歴史はあります、皆さんもご近所の細い道を改めて歩くと新しい発見があるかもしれませんね。

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参考・協力

南房総市総務課(担当N様とそのお父様)
南房総市建設部管理課
南房総市建設環境部管理課
富浦町居倉地区の方
房日新聞社(記者O様)



レポートの場所



注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html



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