#018 白石工業桑名工場

スゴログ 白石鉱山 白亜の迷宮

三重県│白石工業桑名工場 [ 2012年解体 ]

調査:2010年04月 / 2010年06月 / 2011年04月

【追跡記録】

2012年に解体されました(2015年完全撤去完了)

前年に計画された解体計画が進められ、2012年06月に解体が開始されました。同年09月に木造部分の殆どが解体され、翌年2013年の06月には主要部分の全てが解体されました。

2013年09月まで確認されていたサイロ設置側の建造物群及び、「特別管理産業廃棄物」として「PCB汚染物」を収納したコンテナも2014年前半に全てを撤去(PCB汚染物収納コンテナは2015年05月まで残っていました)、電気配線や工業用水管も同様に撤去されました。

※ PCBとは「ポリ塩化ビフェニル」の事で国内では1952年から生成が開始された合成油です。廃棄物として例に挙げられるのは蛍光灯の安定器、工業機械の潤滑油(当時)や熱媒体用工業油(当時)などです、現在では2001年にPCB特措法が施行されて以降2026年までに法が定める処理をしなければ成りません。

PCBに関しては以下のサイトを参考にして下さい。

群馬産業廃棄物情報 - PCB廃棄物とは
http://archive.is/LyZht

社団法人日本電機工業会
http://archive.is/4phn

解体時の様子をレポートしたウェブサイトがありました、貴重な解体中の写真も沢山掲載されています。

藤原(白石)鉱山一部解体
http://archive.fo/5HHuf



2010年当時、廃墟好きさんが掲げる国内三大鉱山廃墟と言う言葉がありました。それは廃墟の規模であったり、又は美しさであったり、様々な要素が幾つも絡み合って評価されていたのだと思います。

調べてみると成程、それぞれが大変美しくて歴史的価値もあり、来訪者を圧倒する鉱山でした。それらは「松尾鉱山」、「神岡鉱山」、「白石鉱山」と呼ばれており、今回レポートする白石鉱山はその三大鉱山廃墟の一角を担っていた大規模鉱山廃墟だった様です。

※ 2018年現在、残り2つの鉱山廃墟はまだ残っています。

白亜の迷宮と謳われた美しき廃墟、白石鉱山。その廃美と地位産業としての歴史、そして現在(2010年当時)を調査してみたいと思います。



この廃墟は非常に広大な敷地を有しております、航空写真に撮影場所を記載しながらレポートを進めたいと思います。

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付近には湧水地があり、実は地元の方にはとても有名な場所です。その湧水地は丁度廃墟の側面に位置しているので車内から廃墟全体を眺める事もできました。



それでは内部を見て行きましょう、最初は地図上の「出荷場」となります。

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通称「白石鉱山」と呼ばれているこの鉱山廃墟ですが実は様々な通名が存在していました、真っ白な棟内を評して「白亜の迷宮」や地名を絡めた「藤原鉱山(工場の場所が藤原地区の為)」など他にも色々とウェブ上には散見できました。

正式名称は「白石工業桑名工場」と言います、白石工業の藤原桑名地区の工場という事ですね。

写真は工場の搬入、搬出口(出荷場)で本来の工場正門は実は林道を走った先の裏手にあります。石垣と簡易舗装された一車線の細い道ですが工場建設時はその道路が正門への道として整備されていました。

更にその正門への道からの枝道には崩落寸前の廃屋が残されており、これはこの工場の母体企業である白石工業の創立者、白石兄弟の兄「白石恒二」の別邸(この地での本邸)です。

※ 母体企業に関しては最後尾に詳細を記載します

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出荷場

精製製造した「膠質炭酸カルシウム」をパッケージし、それを出荷する為の施設がこの出荷場です。正式には精製の為の含有材料を搬入していた場所でもあるのですが原材料(鉱石)の搬入口が別途用意されている事もあり、便宜上この場所は出荷用棟として機能していました。

裏手には帳簿室、来訪時は既に朽ちて登れなかった階段の先には機械操作室なども在った様です。

販売する製品を取り扱う棟だったので大変大きな集塵機も設置されています、大型のファンも天井などに在った様です。

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一部隣の棟である「乾燥炉」と繋がる機器も、機械操作室はこの真上にあります。隣接する棟には手前に出荷待ちの商品が並べられ、奥には乾燥炉で使用する燃料が備蓄されていました。

更にその脇の敷地には駐車場が在った様です。

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二棟在る出荷場の連絡通路、左側は出荷棟で右側は備蓄倉庫としての役目もあった倉庫棟です。

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此方は出荷場の倉庫棟、置くに見えるのは簡易焼却炉。



この出荷場での説明を読まれて疑問に思われた方もいらっしゃると思います、実は物件名にもある通りこの廃墟、純粋な「鉱山」廃墟ではありません。

国内の三大鉱山廃墟に数えられていながら実は鉱山ではなくて「工場」がメインの廃墟なのです、では全くと鉱山要素が無いかと問われればまた別の話でして。この工場で精製している炭酸カルシウムを含む鉱石、その採掘現場も実はシッカリと隣接する様に在るのです。

この工場では試験採掘程度の規模ですが以下の地図を参照して下さい。



この場所が桑名工場の「採掘場」になります、実は工場建設時に本坑()から少々離れているものの工場敷地の確保と採掘地が都合よく確保出来るこの場所は後の工場運営を見ても合理的だったと言えるでしょう。

※ 鉱山としての本坑は別途残存しています、ただ現在そこへ向かうには崩落箇所が多くて大変危険な為オススメできません。

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出荷場を裏手より出て「研究/試験室」に向かいます、現在は倒壊しましたが工場運用時は試験室が二部屋在ったと言う情報もありますが現在残るのは研究室だけの様ですね。

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出荷場から移動して「研究/試験室」へ、殆ど隣接していますが一度階段をおりてから向かいます。工場自体が緩やかな斜面に建設されている為に場内には至る所に階段や地下通路などが用意されていました。

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研究/試験室

ここでは精製に関する調薬、調合研究が行われていました。白石工業の沿革資料から主要部分を抜粋すると、主に主力販売していたのは既述した「膠質炭酸カルシウム」。これは日本工業史的にも有名で国内初のナノテクノロジープロダクト、そもそも炭酸カルシウムは現在においても工業製品(プラスチック製品やゴム製品など)には欠かせないのです。

※ 本社研究所についてはこちらから

特にゴム産業に大きな変革を齎した白石工業の膠質炭酸カルシウム(商標登録名/白艶華)、1928年にアメリカで評価されたのを皮切りに1933年にはイギリスのタイヤメーカーが採用し、最近までは石油原料の合成ゴムが主流でしたが環境問題の提起に揺れる昨今。天然由来製品としての炭酸カルシウムが再度注目を浴びています。

この様に一世紀を駆ける産業として現在でもこの分野のパイオニアでもあります、また分析開発部門が「白石中央研究所」として独立して運用されていますがこれは得意分野の微粒子ナノテクノロジーに起因しています。日本で最初に電子顕微鏡を導入したのが白石工業であり、最新技術を取り入れたその研究結果が国内外の需要に繋がる大変素晴らしい企業だったのです。

※ 日本で最初に電子顕微鏡を開発したのが白石工業だとするサイトがありましたがそれは全くの事実誤認です、国内一号機は大阪大学の菅田榮治氏が1940年に開発しています。

電子顕微鏡 - ウィキペディア
http://archive.fo/zwKjL

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試験室と貯蔵庫を隔てる工場内軌道(トロッコ)、その地下には工場内洞道が整備されていました。主要は勿論人道なのですが工業排水路、用水管、電工管などが併設されていました。この工場の特徴として主要電源は地下に、主要用水は地上にと言う基本設計があるのですがその理由も後程まとめて記載します。

一先ず進みましょう。

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軌道は既に撤去されていましたが工場内には複数の工場内軌道が設置されていました、ゲージ規格はレールが撤去されていたので不明ですが当時の軌道ターレ(軌道運行用に改造されたターレットトラック)の主な軌道幅が762㎜ゲージだったのでこれも同様と思われます。

1970年代までは工場や鉱山でもこの様な改造ターレットがトロッコとして使用されていたそうで、他の鉱山廃墟でも類似使用されていたと思われる軌道ターレとして残されているのを見た事があります。

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正面から見るとこの様な顔をしていました、円状ボンネットは剥離していましたがどうみてもターレットトラック(水産市場で見られるターレ)です。製造メーカーによってはエレトラックとも呼ばれたそうで、しかも業種によって実に多くのバリエーションが生まれたのか画像検索するだけでも多種多様なターレを見る事ができました。



【追跡記録】

2019年01月

2018年の歳の瀬、情報精査の課程で貴重な記録をご提供頂いた。恐らくですがこの情報は鉄道業界にも殆ど知られておらず(覚えている方が殆ど居ない)、産業遺構の調査レポート的にも過去に記録がないものと推測されます(2019年現在)。

白石工業桑名工場専用線

この名称を発見した時の驚きの表現は難しい、白石工業でさえその存在を知らず(社内に記録も当時の事を知る社員も既に存在しないとのことです)…どこまで整合性が取れた内容かは保証できませんが工場解体から7年を経て齎された新たな史実を記載したいと思います。

まずはキッカケとなったブログエントリーを参照してほしい。

にしみやうしろ仮駅 - 白石工業桑名工場専用線(三岐鉄道西藤原駅)
http://archive.vn/MbSiA

※ コメントのやり取りを基に詳細な情報をオンラインサービス経由で頂きました

なんとこのエントリーには「白石工業桑名工場専用線」なる精製石灰や商品となる膠質炭酸カルシウムを運搬した専用線が存在した可能性がある、というのだ。そこで焦点となる三岐鉄道について少しだけ調べてみる事に、するとなかなかどうして専用線の存在確定までの道のりは困難なものだったのです。

三岐鉄道の成立ち

三岐鉄道は三重と岐阜を結ぶことを由来とした名称で鉄道事業の主な目的は小野田セメント(当時)系列の鉱山物資の運輸でした。この地域は石灰岩を中心に鉱山が盛んで古い時代より鉱石の採掘が行われており、近代産業史においてもその重要度は明らかです。

1927年、浅野セメントが藤原鉄道として、小野田セメントが員弁鉄道としてそれぞれ鉄道敷設免許を申請します。その後紆余曲折あって同年の11月に藤原鉄道として運用が開始、現在の太平洋セメントの関連物資輸送に貢献しました。

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資本の関係でほぼ鉱山専用線という事実はこの画像からも判断出来る、因みにその資本の出資者リストも公開されているで併せて掲載しよう。

昭和初期における地方鉄道事業の形成と産業資本(三重県・三岐鉄道の事例)P19より

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この出資者リストを見る限り、三岐鉄道と白石鉱山の関係は皆無だと思われるのだが検証を進めていく内に新たな関連性も見えてきます(後述)。

昭和初期における地方鉄道事業の形成と産業資本(三重県・三岐鉄道の事例)P14より

事実、この鉄道は鉱山夫の運搬や関連企業の物資運搬にも使用されていたのでこの時点で鉱山専用線とは言えませんが貨物輸送線として過去名を連ねた「西武鉄道」、「秩父鉄道」、「樽見鉄道」が全て廃線となった今は唯一の鉱山専用貨物輸送線なのかもしれません。

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※ ロールオーバーで画像を切り替えて下さい(PC閲覧時のみ)

この地図を見る限り基本的には件の出資リストに準拠した鉱山関連物資の輸送専用線として計画されている、既存の三岐鉄道最終駅となる西藤原駅から延びる「西藤原~関ヶ原延長計画」が実現していたら恐らくは「篠立停車場(駅)」が白石工業桑名工場専用線の引き込み地になった筈だ。

幻の専用線計画

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所蔵:国立公文書館
説明:写真の文言に「延期」の二文字が、これも数度の延期を経て取り消しとなる。

国立公文書館で公開されている三岐鉄道の鉄道敷設免許に関する既述を追っていくと事業規模と収益計画書の再提出を鉄道省から再三求められたそうです、これは出資率による収益回収が見込めない事で免許の延長申請は取り消されてしまいます(鉄道敷設申請却下)。

結局着工しなかったので白石工業桑名工場専用線が計画に盛り込まれていたのか、その事実を白石工業が認知していたのか、また関連企業が承認していたのかも既に霧散してしまったというのが現状と言えるでしょう。

昭和初期における地方鉄道事業の形成と産業資本(三重県・三岐鉄道の事例)P11より

画像引用:昭和初期における地方鉄道事業の形成と産業資本

ここまでの史実をまとめると凡そ白石工業桑名工場と三岐鉄道の関連性(白石工業桑名工場専用線)は見えてこない。

ただここで大きなヒントになるのが情報提供者が調査した時に目にした以下の内容です。

「免許書類には延期しても線路を敷設したい口実として「白瀬村ニハセメント工場の関係上鉄道実現を希望スル物ナルモ~」という白石工業桑名工場の貨物輸送需要を仄めかす記述も見られました。」

白瀬村とは1889年に志礼石新田・市場村・本郷村・山口村の区域が町村制によって発足した村で1955年に上記村群に東藤原村・西藤原村・立田村・中里村が合併する事で消滅したいなべ市藤原町の北西部の地域だ。

確かにこの白瀬村に白石工業桑名工場も含まれているのだが勿論藤原鉱山や当時稼動していた小規模の鉱山施設、セメント精製工場なども点在するのだ。

これが「白石工業桑名工場」を指すのであれば、計画段階だったとしても篠立停車場から桑名工場に延びる専用線が在っても不思議ではない筈。しかも地形を確認すると誂え向きに鉄道敷設に適した土地(現在の田園地帯)が見て取れる。

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所蔵:国立公文書館
説明:敷設資料に散見する「石灰製造工場建設」の文字、桑名工場操業年代との差があるのでどの企業を指したかは不明だが恐らくセメント工場の方だろう。

そして桑名工場南東には「出荷場」とは別にトラックステーションと思しき比較的広い土地が用意されていた事も白石工業の関連資料から判明している。

その存在は明らかではないのですが…、現段階では推測の域を出ない状況は重々承知でも「白石工業桑名工場専用線」が書類上だけでも存在したのではないかと、そう思わずにいられません。

因みに工場内軌道とのバイパスは地形的にも規格的にも不可能だったので「出荷場」の有用性は変わらなかった事でしょう、事実出荷場から運ばれた膠質炭酸カルシウムは西藤原にて積み込まれています(北勢鉄道も利用)。

情報提供者

サイト:にしみやうしろ仮駅
提供者:にしみやうしろ様

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それではこの工場を一躍有名にし、「白亜の迷宮」と謳われる要因となった石灰の貯蔵庫へ移動したいと思います。

来訪時に既に三割程度が崩落していましたがお目当ての部屋は健在でした、それでは早速お邪魔しましょう。

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貯蔵庫

貯蔵庫はこの工場で恐らく一番大きな建造物です、三棟が連なっていて隣接部分にも石灰を運ぶ為のギミック(この場所では生石灰から消石灰を精製する行程を担う)が設置されています。

粉末状の石灰を貯蔵していた所為か至る所が白くなっていました、白石工業が精製していた石灰粉は非常の細かく、それ故に付着するとその細かな粒子が奥深く入り込むので本当に真っ白です。

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こちらは有名な貯蔵部屋のお隣です、2009年に小火騒ぎがあったのもこの場所で部屋中の彼方此方が煤けていました。

地元の方にお話をお聞きしましたがその方が知っているだけでも三回ほど火事が有ったそうで、また実際に焼失した棟もあるのだとか。

この貯蔵庫や風乾棟は全て古い木造なので火の手が回れば燃え上がるのは一瞬だった事でしょう。

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貯蔵庫の他の部屋にもこの様な焚火の跡を発見しました、そして脇に見えるのは恐らくですが先程のターレのボンネットです。

少々気分が落ちましたがあの「真っ白」な部屋へ向かいます。

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これは確かに圧巻です、基本的に廃墟も秘境も地域民俗学をベースに来訪地を歩きますがこの部屋を見る為に「廃墟」と言うカテゴリーのみに特化して訪れる方がいるという事に納得してしまいました。

初めて「廃美」という感情に目覚めた場所です。

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しかしここでも焦げ跡が残っており、兎に角残念な気持ちになります。

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圧倒された貯蔵庫を堪能しました、本当に素晴らしい景観で人気の廃墟スポットだと実感できたのは良いのですが余りにも無断で侵入する方が多いのか…最近(2010年現在)になって複数のセキュリティシステム(機械警備)が導入されました。

企業側も度重なる火災などで問題視している様です、この廃墟の来訪に関しては個人での撮影許可はかなり難しく、法人か地元新聞社の協力が不可欠となります。またシッカリとメディアの後ろ盾が確立できれば取材撮影は可能という事です、もし興味がある場合はご連絡頂ければ地元メディア(新聞社及び地元テレビ局)をご紹介する事は可能です()。

※ 現在は行っておりません、またご紹介できるのはNPO団体に限り行っておりました。

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風乾庫

此方では精製石灰の乾燥を行っておりました、商品化の為の準備段階という事もあり、この工場で一番大きな占有面積を誇ります。地面もそうですが外部と完全遮断されていないところを考慮(水との反応)すると水酸化カルシウムでしょうか。

さて、ここで一つ余談を挟みましょう。

この廃墟は時に「藤原鉱山」とも呼ばれていました、しかしこの名称…実は別の場所に白石工業とは無関係の企業が運営する本物の「藤原鉱山」が存在する事は余り知られていません。

同地域のセメント関連企業が採掘している現役の鉱山、藤原鉱山()は実際に存在しているのです。

※ グーグルマップなどに記載されている「白石藤原鉱山」と言う名称、これは実在も根拠も全く無い記載です(誤表記)。



場所はここです。

桑名工場から直線距離で南南東約6キロ、この場所に藤原鉱山は存在します。しかも現役(2018年現在)稼動鉱山です、採掘される主要鉱物は白石工業と同様で石灰ですがこちらは用途がセメントになります。

鉱山からは直接「太平洋セメント藤原工場()」へ専用道路が整備されており、白石工業と全く別企業だと解ります。

※ 元々は小野田セメント藤原工場と言う名称でしたが運営企業が変わり、太平洋セメント藤原工場になりました。この太平洋セメント、廃墟フリークには有名な通称ニッチツ(秩父鉱山)と同じ母体でもあります。

因みにこの鉱山を擁する藤原岳ですが、この企業の採掘が余りに過剰な為に近い将来「山が消滅する」と危惧されています。この地域の山間部における岩盤質は石灰系という事もあり、類似企業が挙ってズリ山にした過去もあります。この辺の話題に関しては「藤原岳鉱山拡張問題」で検索して下さい、色々と問題点を指摘したウェブサイトが見て取れるかと思います。

閑話休題、それでは本筋に戻しましょう。

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来た道を戻り、向上中央の貯水槽脇を歩きます。

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貯水槽

この辺りは大きな崩落はありませんが自然侵食が大変進んでいます、コンクリートに関しては昭和中期に大規模な補修改善工事が行われた様で放置のダメージはあるもののまだ形を残していました。

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見上げるとサイト四兄弟(焼却炉/焼塊槽)が良く見えました、後方の岩盤は試験採掘現場上方となります。

この季節(夏季)の桑名工場は貯蔵庫はもとより外観さえも大変美しいと言えます。

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貯水槽より階段を登り、沈殿槽へ向かいます。

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沈殿槽

写真は沈殿槽の管理棟です、大きな崩落がありますがこれは台風によるもので1990年代後半には屋根が吹き飛び、2000年代前半には既にこの様な姿だった様です。

斜面にへばり付く様に建設されており、段状に建設されているので解り辛いですが4階構造で中々興味深い棟でもります。

それではここでも余談を一つ。

この桑名工場、試験採掘現場から山間部の斜面に建設されています。当然ながら、通常この様な生成工場は平地に建設されるか斜面でも平地整備してから建設されるものと思われるますが実は違うのです。

海外では1900年代の初頭にこの様な斜面に建設される工場が存在していました、運用形態はやはり同種の鉱山です。

これは山間部における水の利用を土地の形状に合わせた「地の利を生かす」工場設計といえます、国内でも1920年代から同様の地形を利用した工場が建設されていますが理由はこうです。

川の上流より工業用水を取り入れ、電気による用水管理を合理化。更に精製行程さえも岩盤掘削から考慮して分別、精製、製品化と上方より下方へシステム化するプラントデザイン、これはアメリカの鉱山施設から学んだ産業工学なのでしょう。

山深い場所での水、電気の運用は現在ならばインフラ整備が容易かもしれませんが1900年代前半の日本においてはとても難しい問題でした。更に、各種電源が地下で用水が地上の理由もこれらが関係しています。水の流れを一度下方へ向けると汲み上げる為に電力が必要になります、何かと水が入用だったこの工場ですから基本設計において絶えず水の流れを地上に置いたのは必然的と言えるでしょう。

※ 一度地下に引き込んだ用水は更に下方の河川へ放水する様に設計されています

電源に関しては従来の電柱でも問題無かった筈ですが先進的な白石工業が送電方法を模索した結果、現在では安全性の高いとされる地下へ送電設備を設置を選んだのはやはり必然だったのかもしれません。

※ 桑名工場の電力は自社建設した時山第一発電所で発電した電力を東邦電力(後の九州電力)へ売電し、その売電量に準ずる電力を工場へ送電(買電)する形で賄っていました。つまり自給電力ではなかったのですが時山第二発電所を建設してからは時山篠立間送電線路を利用して直接電力供給するに至りました、詳細を記したサイトがあるので下記URLより参照して下さい。



第01通路 篠立林道(時山篠立間送電敷設巡視路)
http://archive.is/yCjaa

第2809號 白石工業株式会社 時第二発電所
http://archive.fo/9IUG9

※ スゴログの調査内容と名称及び見解が少々異なります

白石工業の発電、送電に関する解り易い年表が上記参考サイトの「第2809號 白石工業株式会社 時第二発電所」最後尾に記載されています。必見です。

スゴログ 白石鉱山 白亜の迷宮

参考までに桑名工場と各発電所の位置関係を地図でご覧下さい、最初の売電(買電)状況から第一発電所を建設し、更に第二発電所を計画した時点で既述の通り時山篠立間送電敷設巡視路も同時整備される事になります。

林道の詳細、ルートなどに関しては興味の沸いた方自身でお調べ下さい。

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写真は時山発電所送電敷設巡視路(時山発電所へ向かう為の専用路)入口です、ここから程なく第一発電所が、更に山道を30分程登ると第二発電所が今(2012年現在)でも残っています。

第一発電所は度重なる悪戯の為にブルーシート及びコンパネで塞がれ()、第二発電所は非常に汚い悪戯描きの為に撮影を断念しました。

※ 第一発電所の内部も実は見れましたが大分荒らされており、撮影を断念しました。

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再び歩を戻して最初の出荷場方面へ、これには理由があって下段から上段へ登り返して工場西側へ向かう為なのです。

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乾燥炉

乾燥炉は出荷場の裏手に隣接している大規模な石灰乾燥施設です、商品化前の風乾された精製炭酸カルシウムをこの施設で完全乾燥させます。

完全乾燥された炭酸カルシウムはパッケージ化されて出荷されると言う流れでした。

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裏手を歩き、物理選別場へ向かいます。

スゴログ 白石鉱山 白亜の迷宮

工場最北端、粉砕/物理選別場は石灰石採掘後の初期処理施設の一部です。この場所もウェブ上ででは「白亜の迷宮」の一端を担っていた様で天地不覚と評される程でした、と言うのも撮影アングルに因っては本当に上下が判別できない写真ができあがるからです。

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本来の入口ではありませんが噂の物理選別場へお邪魔します。

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粉砕/物理選別場

成程、天地不覚とまでいかなくとも複雑に入り組んだこの構造は大変面白いと言えないでしょうか。この物理選別場に関しては資料が乏しく、また設置されていたであろう機械設備も撤去されているので現状から上手く当時の模様を説明できません。

ただ貯蔵庫と並び、この廃墟の撮影ポイントだとは理解できました。

スゴログ 白石鉱山 白亜の迷宮

物理選別場を出ると眼前には焼却炉/焼塊槽とされるサイロ四兄弟が、余り見掛けませんがこの中に入る事も登る事も可能です。

更に言えばこの工場廃墟で一番俯瞰撮影できるポイントでもあります、内部も中々面白いのですが簡単に説明すると向かって左側の錆びている方が焼却、右側が焼塊とそれぞれの役を担っていた様です。

最上階には簡易操作室が有りました。

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何かして消化場へ向かいます、沈殿槽と隣接していますが斜面という事もあって此方の設備は一段上方に設置されています。

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消化場

この消化場は実は隣接する沈殿槽と貯水槽と連動していて採掘された石灰石を粉砕/物理選別場で選別、その後焼成して生石灰を精製していた場所と思われます。設備と行程を合理的に考えるならば更に消石灰まで精製していたのでしょう、それであればこの貯水槽なども説明がつきます。

自然の侵食が設備内部まで進んでおり、この様な景観を創り出しています。この工場廃墟に来訪し、本当に廃墟の美しさを学びました。

これでこの工場の主な設備群は撮影しました、それぞれの役割も収集した資料に詳細が纏められていますが冗長たる説明に終始しそうですので割愛させて下さい。

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大きく移動して最初の出荷場脇の守衛室へお邪魔します。

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守衛室(休憩所/共同浴場)

こちらの守衛室は名ばかりでして主に休憩室として利用されていたとか、その証拠に隣接施設はなんと共同浴場です。

守衛室の更に隣にはボイラー室も残っていたので間違いないかと思われます、また搬入及び出荷に関する簡易的な事務手続きも行っていたのかもしれません。

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最後に事務所へ伺います。

スゴログ 白石鉱山 白亜の迷宮

事務所

工場最東端の事務所へ、内部には結構多くの書類が残されていました。場所的には此方が守衛室でも良さそうですが内部を見る限り事務所として使用されていた様です。

※ 実はこの他にも事務所として使用されていた棟があります、撮影しておらずお見せする事ができませんでした。



スゴログ 白石鉱山 白亜の迷宮

来訪回数3回と言う、スゴログとして初めての本格廃墟調査物件だった白石工業桑名工場。机上調査を纏めてからの方がより多くの謎が深まり、再訪を考えていた矢先の解体情報。既に見る事が叶わなくなった貴重な産業遺構でしたが今回のレポートで沢山の方が興味を持って頂ければ幸いです。

因みにスゴログで現地調査したかったのは、

・未確認の地下作業道
・白石恒二の別邸
・採掘現場及び本坑
・上流の送電施設跡
・書類倉庫とされる建造物(

※ 解体後5年経過していますがこの建造物だけは何故か現存しています

の5箇所。別邸は来訪時あまり重要性を感じずに作業道の枝道ばかり探しており、邸宅内部をシッカリと調査しなかった事が最大の後悔です。採掘現場や本坑(この場所から少々離れています)や上流の送電施設跡は現在でも来訪可能ですが工場自体が無くなった今となっては再訪するまでの気力も無く、初来訪から数年の年月が経過した故の興味の低下も正直な気持ちです。

ただ、やはり気になるのは。



何故か解体されなかったこの建造物でしょうか。

※ 資料では書庫(資料庫)と記載がありましたがスゴログの見解では送電施設と関係があったのではないかと予想しています

しかも私達にとっては大変有意義となる鍾乳洞が直ぐそばに存在します、現地NPO団体と行政との協力が構築出来れば鍾乳洞(篠立ての風穴)の調査のついでとして再訪しても良いかもしれません。

篠立ての風穴はこの場所です。





それでは工場がどの様な構造だったのかを少しご説明しましょう、建造物が残っていた当時はこの様な構造でした。

スゴログ 白石鉱山 白亜の迷宮

廃墟化してからの国土地理院地図ですので建造物の数は半分以下と成っています。



※ ロールオーバーで画像を切り替えて下さい(PC閲覧時のみ)

1975年に撮影された航空写真と2009年の航空写真を比べると随分と建造物が崩落してしまった事がよく解ります、全てが自然崩落ではなくて一部は火事による崩壊と土地分譲による企業側の撤去が含まれています。

更に工場運用時は更に東側(現在は田畑の部分)まで敷地を確保しており、如何に大きな工場であったが伺えるでしょう。

1975年当時の航空写真について

操業停止後6年、それからの数年は多くの人が残務処理でこの工場に訪れていた事を考えると該当写真は廃墟になってほんの2~3年の時の姿かと思われます。建造物も殆どが残っているし道もしっかりと見て取れます、これが後に国内三大鉱山廃墟として名を馳せると社員の方達は誰も予想しなかったことでしょう。

YouTubeで解体後の白石工業桑名工場をドローン撮影した動画を見つけました、複数ありましたが一番参考になりそうなものを以下に。


動画を見ていて採掘現場の壁面上部にチラチラ見えるガードレールに気付かれたでしょうか、実はこの採掘現場を擁する狗留孫岳には白石工業が整備した地図には描かれていない林道が今でも残っています(採掘現場上方壁面で崩落して現在は通行止め)。

行政上の名称は篠立林道(既存の林道と併用)、その正規名称は「時山篠立間送電敷設巡視路」と言います。これは工場直下にも流れる員弁川の上流から取水し、導水路や上水槽までの整備路(一番最初は整備工事の為の作業路)として作られました。

また山中には用水路を通す為の隧道も掘られています(人道としては使用できない小さい専用隧道)、これらは後に狗留孫岳を迂回する様に延長されます。更には白石工業が後に建設する第一・第二時山発電所入口までの延びる事になります()。

※ これは既存の登山道(烏帽子岳経由)を利用する形になりました
※ 初期整備は1918年の時山第二発電所の建設計画時に行われます



最後にこの工場の運営企業だった白石工業について簡単に説明してレポートを終えたいと思います。

白石工業桑名工場は国内産業においてもとても重要な役割を担った工場でした、その一端は今回のレポートで既述した通りなのですがやはり海外へ向けた研究が為されていた事は時代背景を考慮しても特筆すべきかと思います。

1909年、前身である白石兄弟商会が設立され主要商材だった膠質炭酸カルシウム。その需要は国内よりも先に海外で注目され、逆輸入される形で国内需要が高まった最先端技術の結晶でした。また国内初の導入を切欠に電子顕微鏡での多方面に渡る研究とその技術は別部門が設立される程。その後は合成化学資材の開発としては国内最大規模で有名になり、発展していきました。

現在の白石工業として創業したのは1919年、その2年後の1921年には桑名工場が操業を開始して本格的な研究、生産を開始しました。

1969年の桑名工場操業停止まで国内の一分野の礎を作り、固め、支え続け、現在においてもその優れた技術力は世界へ向けられています。

白石カルシウム株式会社 - 沿革
http://archive.is/a191q

【参考・協力】

白石工業株式会社(関連ウェブサイト含む)
科学技術振興機構
藤原町史PDF版
いなべ市役所
いなべ市観光協会



【レポートの場所】



【注意点】

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。