2019-08-01T15:03:48Z #017 浸透実験池

#017 浸透実験池

長い間謎とされていた房総の古代魚半島、盤州干潟。先端に残る浸透実験池と共に様々残留物を検証していきます。戦後の産業基盤確立と税収、また県内初となる湾内工業地帯の開発。千葉県に大きな産業型人材需要を齎した企業誘致の歴史を基に、現在の周辺状況もご紹介したいと思います。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池
千葉県│八幡製鐵 工業用水浸透実験池

調査:2010年06月
再訪:2012年11月 / 2014年08月
公開:2010年07月25日
名称:正式名称→八幡製鐵 工業用水浸透実験池 / 通称→木更津フィッシュアイ
状態:長期間放置

千葉県木更津市、航空写真で見ると一瞥して目を引く一帯がある。新日本製鐵()が新事業参入の為に建設した浸透実験池と、その関連施設跡が在る盤州干潟がそれだ。また東京湾においては唯一後背湿地を残す自然干潟で実は非常に貴重な自然環境でもあります。

後背湿地 - ウィキペディア
http://archive.is/bOr3O

注意点
最初の探索時は統合前の為この名称でした、現在は新日鐵住金株式会社と社名を変更されています。

2000年代前半においてはこの浸透実験池と言う物件名も余り知られておらず、エントリーした当時は実に沢山の問い合わせがありました。現在は誰もが知るところであり、またドローンなどの空撮技術の一般化に伴って素敵な写真や動画をウェブ上に散見できます。

それらを踏まえ、当時のエントリー内容を現状の情報と併せてご紹介しようと思います。



スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

浸透実験池を擁する盤州干潟(小櫃川河口干潟/小櫃川河口三角州とも呼称)、小櫃川の河口から広がりを見せる比較的大規模な砂質干潟だ。上空からはまるで古代魚の頭部の様な姿が特徴的で、必ず記憶に残るだろうと思う。まずはこの盤州干潟の特徴から説明していきましょう。

東京湾に幾つか残る大規模な自然干潟の一つで生態の多様さでは他を圧倒するほど多くの生物が確認できる、少々古いサイトだけれどこの干潟の生物を詳細したサイトがあるので記載したい。

独立行政法人 港湾空港技術研究所 - 沿岸環境研究チーム 干潟の生物
http://archive.is/VJ068

注意点
文字化けする場合はエンコードを任意に変更して下さい

この場所、兎に角カニが凄いのです。右を向いても左を向いても後を振り向いてみても、勿論歩を進める前方には所狭しとカニの大群が右往左往。春先から夏場に掛けてはカニ天国と化す盤州干潟ですがそれだけの生物を擁するだけの豊かな生態系が構築されている事が解ります。

個人的に甲殻類の中で大好きなワレカラも生息しています、なんて素敵な干潟でしょうか。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

作図│盤洲干潟をまもる会

注意点
作図時期が恐らく20年位前かと思われ、現在では少々干潟の侵食具合が異なります。

水棲生物の他にもこの干潟には実に沢山の昆虫を見る事ができ、また時期に因りますが飛来する鳥類も多様と言えます。中でも特筆すべきは件の浸透実験池を拠点とするカワウの一大繁殖地()が形成されている事でしょうか、丁度古代魚の目玉の部分ですね。

注意点
地上、樹上双方にコロニーを形成、一時期は絶滅を危惧されるまでに個体数が減少しましたが現在では狩猟鳥として害獣駆除指定も受ける厄介者になってしまいました。

このカワウの繁殖は1970年代には確認されているので後述する浸透実験池の運用廃止後直ぐに集まりだしたのかもしれません、それでは干潟の中を少し歩いてみましょう。




スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

クリークに沿う様に獣道が残る、と言っても実験運用時は車道として簡易整備された1車線の道路でした。写真では人が通れる位になっていますが現在でも行政関係者が軽トラなどで現地視察()に訪れる事があります、なので極稀にではありますが計画除草された状態(車幅確保の為の伐採)も見る事がありました。

注意点
実際に遭遇した際にお話をお聞きしました(行政関係者)

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

実験運用時には車道の他に人道も数本簡易整備されていました、写真には中央から左右に2本の人道が写っていますが既に草木に覆われてその姿を確認する事は叶いません。

この様な人道は中央クリークから流れ込んだ海水によって地面が泥沼化してしまった箇所も含めると運用時の7割以上にも及び、現在残る歩ける場所は残りの3割以下()となっています。

注意点
盤州干潟保存連絡会からの提供資料による

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

この水溜りは侵食によるものではなく前日の雨が原因、多分に水分を含有している干潟は少量の雨でもアチらコチらにこの様な大きな水溜りを形成します。

この辺りは河口に程近く、地中には淡水と海水双方が含まれている思われますが草木の茂り具合をみると淡水比率が多いのかもしれません。確かに草木が増えれば増える程に淡水比率は向上するので当然と言えば当然ですが冬季にまたこの関係が逆転しないのかがとても不思議ですね。

注意点

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

浸透実験池へと歩を進める途中、何箇所かこの様な遺構とまでは言えない建築材の残骸を見る事があります。良く見ればコンクリート製の側溝やジョイントレールだったり、解体時の遺物かと思ったけれどどうやら新設用に在庫されていた未使用品の様でした。干潟内には浸透実験池とその計測などに使用された機器を設置する為の小さな小屋などを経由する為の側溝が作られていました()、更に実験が進められればその数は増えて電柱なども増設される予定だったとか。

注意点
盤州干潟保存連絡会からの提供資料による


現在残る電柱には勿論電線は付いていませんが運用当時は数十本の電柱と四方八方に延びた電線が眼前に広がっていた事でしょう、発見できませんでしたが実際に使われた側溝もまだ何処かに残っている筈です。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

夏場は歩く事を許さない湿地地帯、地面は泥濘でブッシュは人の背より高い。この場所が数年間だけの期間ではあるけれど綺麗サッパリ整地されていたなんて今では少々信じられません。

暫く歩くと眼前には一つの遺構が見えてきました、これが今回のメインレポートとなる浸透実験池と謎とされるコンクリート製の建造物です。



スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

最初の調査対象地域はこの辺り、浸透実験池とコンクリート製の建造物を見てみましょう。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

写真の池は「かわせみ池」と呼ばれる人工生成池、と言っても元々の池を造成して形を変えただけなので本来は自然池とそう変わりません。因みにこの池は浸透実験池の運用と直接関係はありません、極々初期に貯水目的で簡易造成された様ですが実際は手付かずだった様ですね。

そしてカニが凄いです。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

さて、皆さんが正体を知りたいこのコンクリート製の建造物。今回現役で新日鐵住金に勤めている方に協力して頂いて教えてもらいました、予想通りなのですがその答えは「揚水ポンプ場」。つまり眼前の河口から海水を引き込む為のポンプが設置されていた施設という事です。

モーターやタンクは撤去されていますがここから吸い上げられた海水は簡単な濾過フィルターを通って西側の浸透実験池へと送られていました。

そして恐らく、この建造物の謎を知りたいと思われる方が多かったのでしょう。近年では干潟入口の遊歩道脇に干潟を説明する看板が設置され、その看板内にもシッカリと「揚水ポンプ場跡」と掲載されていました。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

⑦の場所ですね、長い年月地元民はおろかこの場所に興味を持った方々には待望の情報と言えるでしょう。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

先程汲み上げられた海水はこの浸透実験池へ送られ、工場用水として利用できるか数年間実験が進められていました。

本来製鉄工場の工業用水は純水(超純水)と共に普通の水道水が使用されます、大規模な工場を運用する場合その水量は莫大で1960年代のインフラ状況を考えると付近にダムも無く、細い河川(小櫃川)からのみの用水汲み上げ量では計画されていた工場運用規模を賄えませんでした。

そこで比較的淡水含有率の高い河口付近の海水(汽水域)を濾過して工業用水に利用できないか、と言う試み開始されます。具体的な使用目体は精製ではなく機器の冷却用水、結局塩分濃度が高過ぎて機器へのダメージが懸念されて計画は断念。

この広大な敷地に予定していた工場建設も取り止めに成った事で現在まで盤州干潟として残る事()ができたのは幸運と言えるでしょう、それでは再度この盤州干潟がどの様な場所なのかお浚いしてみましょう。

注意点
1999年に一部の埋立地、約30000坪が売却されています(干潟面積はこの為に減少しています)。



盤州干潟は埋め立てではなくて元々自然の干潟としてこの場所に存在していまいた、既に多くの人に知られている工業用水確保の水質変化実験の為に「浸透実験池」が建造されましたがこの実験池だけではなく、小規模な施設も建造されています。

建設は八幡製鐵(新日本製鐵/新日鉄)で「第二次合理化(技術先進国からの技術導入による設備の近代化の二次計画)」に基づいて1960年に建設計画が発案、君津製鐵所建設も進められている中で企業力を国内外に示す為に急ピッチで建造する事を余儀なくされていた様です。

1964年、初期建設(浸透実験池と関連施設)がスタート。1966年には試験運用が開始されましたが海水の塩分濃度が余りに高く、冷却用水として海水を使用する計画は直ぐに頓挫します。

そもそもは君津市が大規模な企業誘致計画を発表してその代表企業として名の挙がった「八幡製鐵」が本格的に君津市の小糸川河口の造成を始めたのが切っ掛けです。市のみならず県が助成する形で関連企業やその後の他企業進出を勘案、結果大量の工業用水が必要となり、1日45万立方メートルもの工業用水が必要と見積もったのでした。

ここからは千葉県の県企業庁、永田一海施設管理室長のお話を纏めた新聞の記事を抜粋します。

県と同社は協力し、小糸川だけでなく、木更津市の小櫃川や富津市の湊川からも水を確保する計画を立てる。ただ3川はすでに農業用水として利用されており、水利権の調整が難しい。このため、小糸、小櫃両川の河口部の干潟を堤防で囲うように埋め立て、内部に巨大な淡水湖を作り、農閑期などに、工業用水をため込む構想が動き出した。

ただ、問題が一つあった。河口湖へ海水の浸透を防止する対策だ。工場内で使用する冷却水や洗浄水は淡水でなければならない。そこで、県は通産省(現経産省)や工業用水の確保に苦慮していた他県とともに、小櫃川河口の低地に「モデル河口湖」を作り、海水流入防止策の実験を始めた。これが、ドーナツ状の二重の池=浸透実験池なのだ。

毎日新聞 - 地方版から抜粋

更に追跡調査で毎日新聞がこの盤州干潟に触れているので抜粋引用しましょう。

ただ、問題が一つあった。河口湖へ海水の浸透を防止する対策だ。工場内で使用する冷却水や洗浄水は淡水でなければならない。そこで、県は通産省(現経産省)や工業用水の確保に苦慮していた他県とともに、小櫃川河口の低地に「モデル河口湖」を作り、海水流入防止策の実験を始めた。これが、ドーナツ状の二重の池=浸透実験池なのだ。

淡水で淡水を守る

さらに詳しい経緯を聞くべく「県の工業用水の生き字引」と紹介された木川進さん(86)を訪ねた。当時、県工業用水部工務課長で、河口湖の開発調査委員会のメンバーでもあった木川さんによると、実験池の仕組みはこうだ。

まず、二重の堤防の中央の深さ10メートル程度の丸い貯水池に小櫃川から取り入れた淡水を張る。しかし、放置すると、東京湾の海水が地中からしみ込むため、更にその周りにドーナツ状の池(外回り水路)をつくり、ここにも淡水を流した。

この構造は、水路から地中に浸透した淡水が、地中で外から浸透する海水を押し戻し、内側の貯水池に海水が入るのを食い止める効果を期待したものだった。淡水で淡水を守るこの手法は地中に水の幕を張るような構造のため「ウオーターカーテン」と呼ばれた。四方からの海水浸透に対応するため、モデル湖は円形に作られた。

実験は64年から3年間続き、海面と貯水池や水路の水位の差や、土砂の粒子の細かさを変えながら、試行錯誤を続けた。浸透阻止を徹底するため、打ち込んだ板で、貯水池を囲う取り組みも試した。
500万平方メートルで、約3500万立方メートルを貯水できる二つの人工湖を作り、1日11万5000立方メートルの確保を目指した。千葉が頼みとする江戸川や利根川の利水は、古くから東京や埼玉、茨城などの都県と競合する。新日鉄自身も、君津への進出に関し「最も危惧したのは『水』の問題」(君津製鉄所25年史)と記しているほどだ。房総半島の中小河川から工業用水を調達できるかは、工業立県を目指す県政の重要課題だった。

ところが、その後、70年代前半にオイルショックが始まり、世界的な生産の減少が起きた。埋め立て計画や進出企業数、さらに、水需要予測も減り、すでに建設されていた豊英ダムと郡ダムなどの活用で十分間に合う見通しが立つ。70年代半ばには河口湖構想そのものが消えた。

65年に経済企画庁から出向し、高度成長期の県内の工業用水確保にまい進してきた木川さんは「確かに、実用化はされなかった。しかし、需要になんとか応えるため、技術者たちが、いかに苦悩したかを示すひとつのモニュメントです」と振り返った。

実験池では貴重なデータが収集され、報告書にまとめらたが、地形や地質の異なる他地域で、そのまま応用することは難しい上、河川の汚染が全国的に進み、河口湖を人工的に作る試みはなかなか実現しなかった。最近、佐賀県伊万里市に国内初の河口湖が建設され、09年から工業用水の給水が始まっている。

毎日新聞 - 地方版から抜粋



つまりは一度も本格運用される事もなく、現在は解体されなかった幾つかの遺構が残る広大な干潟という事だろう。約半世紀の月日で消えていった数々の遺構たち、だけれど現在航空写真で確認出来る小さな「気に成るモノ」は幾つか残っています。

そこで更にこの小さな遺物を探しに足を伸ばす事にしました。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

・樹木脇の白い何か

地図で見る限り小さな人工池(水貯め)かボートの様にも見える、グーグルマップや航空写真でもこの白い何かが写っている場合と写っていない場合があるのがとても不思議だったので確かめに行くとしよう。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

浸透実験池の外周から少し降りた所に航空写真で見れた樹木は発見出来た、しかしこの周辺を歩いてみても池なのかボートなのか…それらしきモノは見えない。ボートにしては不恰好だがそれにしても湿地帯とはいえこのブッシュを移動できるとも思えない。

人の手で移動するにしても随分と時間が掛かる筈だろう、残念ながら未発見の間々移動する事に。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

・まる池のボート

このまる池、実は海岸にも浸透実験池にも接していないも関わらず通年この場所に出現している結構大きい池なのだ。手前のかわせみ池はクリークの湿地帯沿いの小櫃川から入水しているけれど、このまる池は何処とも繋がっていない。

それなのにボートまで着岸しているとは一体どういう事だろうか。

注意点
YouTubeの空撮の動画内で南側に移動しているのを確認しました(2018年02月に撮影された動画)

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

池はありました、しかしボートは発見出来ず。北側の湿地帯と泥濘で繋がっていたので歩ける場所を探しながら浸透実験池を反時計回りに外周しても水源と思しき場所はやはりない…満潮時に海水が流入するとしても何故か際の草木は生い茂っていて特段変化もない、少々謎が残るが地下で湧水しているのだろうと結論を出す。

だけれどボートは一体何処から何処へ…。

注意点
読者から満潮時に浮いて移動しているのではないかとご意見を頂きましたが調査している場所は満潮時にも海水は流入しておらず、海流による移動は考え難いと思われます。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

・人工的な貯水プール

この周辺は酷い泥濘でどうにも近づけないので何度か藪漕ぎしたのですが結局確認できず、しかし近年のドローンブームでこの浸透実験池を撮影している方が沢山おられます。その中からこの貯水プールが確認できる映像を掲載したいと思います。



注意点
まる池のボートも写っています

どうやら人工的な貯水プールは実在している様です、ある情報によると潮位観測用のプールとの事ですが映像からは判断できないのでご存知の方がいらっしゃいましたら是非情報提供をお願い致します。

注意点
潮位観測装置や類似するシステムはこの様なプールは使用しないと思われます



さて、このエリアは凡そ見て周りましたが机上調査において実に沢山のレポートを残されている団体が存在します。この団体は古くからこの干潟の重要性を説き、清掃活動やイベントを通して保存に尽力してきた素晴らしい活動を今でも続けておられます。

小櫃川河口 - 盤州干潟をまもる会
http://archive.fo/Drsxp

この「盤州干潟をまもる会」の代表、田村満会長さんのインタビュー記事を見つけたので記載しましょう。

20年以上にわたりこの干潟の生態を守る活動に取り組む「盤州干潟をまもる会」の田村満会長によると、堤防上に育った木々には、90年代半ばから、研究員も驚いたカワウの大群の営巣が始まった。使命を終えた実験池は、利用目的も決まらず荒廃が進み、一時は更地にする計画もあったが、同会の活動もあり、自然保護の視点から、実験池の堤防などの構築物は、そのままの状態で残されており、カワウの巣の数は現在、500個程度にもなるという。

盤洲干潟は、自然の干潟が少なくなった東京湾岸で、淡水と海水が混在した汽水域にしか生息しない貴重な動植物を育んでいる。実験池周辺にも、1平方メートル当たり50から100個という無数の穴が開いている。珍しいチゴガニのすみかで、多くの雄ガニが白い爪を振り上げ、雌にアピールする姿が見られる。シオクグやハママツナなどの貴重な植物の群落もある。

豊かな自然環境が、干潟を埋め立て「淡水湖」に変える高度成長期のプロジェクトの遺構をのみ込み、50年の時を超えて残存させる結果となった。田村会長は「実験地の周辺はすでに貴重な生態系の宝庫。このままの形で、残したいものです」と話している。



スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

・この場所に人工見物があった?

2000年代後半、この先端部分に人工建造物があったのではないかと言う噂が極一部で流れた事がありました。丁度当時のグーグルマップの航空写真でも碁盤の目の基礎部分(と思える)様に見えていた事から「何故解体されたのか」、「当時の工場建設計画と関連性はあるのか」など疑問が噴出。

それならば、と干潮時を狙ってこの先端部分へ調査に向かいました。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

この部分です、写真に因りますがこの様に樹木が茂っていて地表を確認する事はできません。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

国土地理院で確認しても何も描かれていません、昔の航空写真を確認しても年代が飛んでいるので知りたい時期の航空写真が残されているとも限らず…結局この場所に建造物があったと思われる写真も発見できませんでした。



満潮時は海水で分断されていますが干潮時なら渡る事ができます、滅多に人が入らないとの事ですが漁業関係者は海からもアクセスしている様ですし地元の子供などは犬の散歩などで海岸を良く歩くと聞き取り調査で判明していました。

特に危険はないと判断、対岸へ歩き出します。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

向こう側に見えるのが問題のエリア、果たして人工物の手掛かりは残されているのか。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

海岸沿いを歩いて振り向いたところ、奥に見えるのはホテル三日月(竜宮城)。右側の樹木エリアは高台になっていて登れる場所を探しながら更に回り込む、もう直ぐ先端部分に到着しそうだ。

この一帯は漂流物が多くて若干景観は汚い、が実は漁業権がシッカリと設定されていて一般の釣りなどは禁止されているのでご注意を。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池



場所は地図でも解る通り最先端、石積みで小さいながら湾岸化されていた。

さて、ここを周り込んでこの樹木エリアに入るとしよう。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池



やはりと言うべきか、このエリアには何もない。人工物と言えば満潮時に流れ込んだのか小さな漂流物とゴミばかりでした、地図を確認するとクロマツ林と記載されていて調べてみても過去この場所に建造物が建築された資料は出てきませんでした。

注意点
建造物の認可など関連する書類も存在しない様です

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

更にブッシュの深い中央部分まで足を運びましたがこの通り、どうやら噂はただの偽情報だった様ですね。一応行政にも確認しましたがこの地での開発は行われていないとの事でした。



期待した遺構はありませんでしたが盤州干潟を良く知る切っ掛けにはなったかと思います。実はまだまだ資料は沢山在るのです、各方面に協力してもらって紙媒体やPDFで色々と送って頂けました。本当に協力して頂いた各方面の方には感謝しております、有難う御座いました。

最後に参考に成りそうなウェブ資料を置いておきます、興味が在る方は是非。

小櫃川河口・盤洲干潟を守る連絡会 - 盤洲干潟通信1号(発行2001.07.30)
http://archive.fo/OT2zk

小櫃川河口・盤洲干潟を守る連絡会 - 盤洲干潟通信2号(発行2001.09.21)
http://archive.fo/vwGd8

小櫃川河口・盤洲干潟を守る連絡会 - 盤洲干潟通信3号(発行2001.10.22)
http://archive.fo/xB0fw



以下、2014年の追跡調査で判明した事を記載します。

最近(2014年現在)ではニュースや書籍などでもその名前や映像など目にする機会が多い盤洲干潟、実はその姿は大きく変化し続けていて水位や地形などを含めたこの干潟自体が消滅(本来の姿に戻ろうとしている)に向かっている事に気付いている人は少ない。

行政から提供された資料を元に測量会社さんから頂いたデータと複数提供頂いた情報を交えて記載していきます。

調査内容は、

① 揚水ポンプ場は稼動したのか
② 何故この場所に工場建設が計画されたのか

の2点です。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

1961年09月28日に撮影された航空写真、そこにはまだ古代魚の目玉は描かれていない。1964年から建設が開始され翌年には一部施設が稼動開始、1965年に当初の計画施設の殆どが稼動開始。正式に実験施設として稼動が公に記録され始めたのが1966年に入ってからの事だ、この工事期間()で一体何を建造したのだろうか。

注意点
1964年~1966年の3年間

良く考えてみて欲しい、その後にできた施設を考慮しても3年間もの工事期間を必要とするモノが果たして現場に在っただろうか。そしてその後解体されたとして何処にその形跡が見て取れるだろう、答えは歴然。この場所は干潟、つまり約3年間に及ぶ工期の中で大部分を占めたもの…

そう、それは地盤造成と埋め立て。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

1961年に撮影された航空写真と比べてみて頂けるだろうか、1970年05月22日に撮影された干潟の形自体は変わらないまでも地表面部分が変化していると解ります。

干潟の様な湿地帯は兎に角整地造成が難しいとの事、基礎工事には多大な時間が掛かるだろう。先行して施設が稼動した事を考慮すると最低限の移動用車道を整備し、実験開始を優先させたと推察出来る。

そしてこの2枚の写真で一番疑問に思う事、それは「浸透実験池が建造されているのも関わらず、浸透実験池へ水を送る筈の揚水ポンプ場が建設されていない」と言うおかしな点。

そもそもこの揚水施設がなければ浸透実験池を水で満たす事も出来ない…となると、実際に「浸透実験」が行われていたのかと言う疑問に行き着きます。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

航空写真で確認が出来るのは1975年01月06日の撮影画像になってから、1月初頭を考慮して少なくても1970年05月~1974年12月までの間に建設された事は間違いない。

浸透実験池と関連施設の一番の存在意義は「実験池」なのは間違いない、と言う事はこの施設全体が稼動してから幾ばくかの歳月が経過した後に新たに作られたと言う事にならないか。元々必要ならば当初から建設する筈、では一体この浸透実験池と言う名の施設は何なのだろう。

このコンクリート製の施設が「揚水ポンプ場」という事は判明しています、資料や合併後の企業にも確認済みなので正確な情報でしょう。しかし揚水が必要ならば最初から建造している筈ではないでしょうか、そしてもう一つの記録を掻い摘んで記載します。

東京湾平均海面(水準原点の標高の変動)

1891年 24.5000 m
1923年 24.4140 m
2011年 24.3900 m

若干降下気味だけれど100年以上その水位に大きな変化は無い、だがこの干潟において一つ大きな変化をもたらした事が在ったのです。

「干潟の湿地帯整地造成」

そうなのです、この実験施設を作る為に大きな造成が行われ、干潟の土壌(水の含有率)と周囲の地形が変化してしまっていたのです。ならば幾つかの資料に記載されている「揚水ポンプ場」と言う存在自体が必要であったのか、そもそも実際に稼動していたのかが怪しくなってくるのです。

最後までこの揚水ポンプ場に関する謎は残りました、当初は名称すら解らず、それが判明しても稼動事実の確認が取れない。当時の稼働状況と航空写真を照らし合わせると建設時期がどうしてもおかしい…何れこれらの疑問点も解決したいと考えています。

次に「何故この場所に施設が建設されたのか」を検証したいと思います。

スゴログ 盤州干潟 浸透実験池

これに関しては至極簡単で東京湾において大規模な「海水と淡水の境界」と成る場所を検討した結果と言えるでしょう。手付かずの状態で1950年の東京湾、この湾内の海岸線沿いをぐるっと航空写真(上の写真は1955年に撮影された物)で見てみれば一目瞭然。この盤州干潟が選ばれた事は当然のとも言えるのでした。



それでは追跡調査の冒頭で記載した「この盤州干潟自体が消滅(本来の姿に戻ろうとしている)に向かっている」と言う文言に関して説明してこの浸透実験池のレポートを終わりたいと思います。

このい干潟、施設建造によってその土壌を大きく変化させた事は既に記載しました。自然の力は人知の及ばぬそれはそれは素晴らしい回帰能力を持っている様でして。湾内水位に変化は無いものの年々「相対水位」は変化し続けているそうです、環境保護を目的とした北関東のNPO団体の資料によればこの盤州干潟、その相対水位を「浸透実験池建設前の状態まで戻す」のでは無いかと予想しているのだとか。

1986年()に人の手を離れて数十年、この盤州干潟は今在る姿を消滅させて本来の自然の干潟へ還ろうとしている途中だと言うのです。冒頭で説明したとおり、この干潟は豊かな生態系と東京湾では唯一と言う自然環境を残す貴重な場所でもあり、人の手と共に自然の力で本来の姿に移り行く様を目にする事ができるのは実はとても幸運だと言えないでしょうか。

今後の盤州干潟を本格的に保護しようという動きも見られます、スゴログも今後保護活動に協力しようと考えております。もしこの干潟に行かれる方はその素晴らしい自然環境に十分考慮して頂き、沢山の動植物を観察してみては如何でしょうか。

注意点
この施設は1986年に完全閉鎖、その後幾つかの解体工事を経て現在に至ります。

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参考・協力

新日本製鉄株式会杜(現・新日鐵住金株式会社)
盤州干潟をまもる会
NPO盤州干潟保存連絡会(解散)
独立行政法人 港湾空港技術研究所
木更津市役所



レポートの場所



注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html



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