#016 古河鉱業水掛社宅

スゴログ 足尾 掛水社宅

栃木県│古河鉱業水掛社宅

調査:2010年07月 / 2014年05月

数ある足尾銅山の関連遺構の中でも長い間注目されずに現在でも残る社宅群がある(※2009年当事)、その存在を知ってから本山製錬所の撮影の際にでも寄ろうと考えていた物件でもありました。そして2010年07月、幾ばくかの事前情報と共に撮影に行く事に。

当事、実はこの地区が廃集落ではなくて現役で居住者が残っている事を知っていたので時間帯も考慮して注意点などを眼前の足尾駅の職員さんにお聞きしました。当然の事ながら周囲の住民はこの住宅群に人が済んでいる事実を認識しており、付近の撮影ポイントなども併せて教えて頂いたのを覚えています。

それでは少ない情報量ではありますが水掛社宅のレポートを始めましょう。



スゴログ 足尾 掛水社宅

この水掛社宅とその周辺地区は足尾駅の眼前とあって足尾銅山の盛繁期には主要な役割を持つ建造物が集中していました、と言っても事務的な役割を担う建造物ばかりで所謂工場的なものは街中とあって殆どありません。

この地区における遺構としては大きく分けて、

・水掛社宅(水掛役員社宅)
・足尾鉱業所付属倉庫
・古河掛水倶楽部
・銅山電話資料館

など。一般公開されているのは「水掛役員社宅」、「古河掛水倶楽部」、「銅山電話資料館」の3つ。これら物件は資料館としても機能していて公開は週末のみ行われている様です、以下詳細。

公開:土曜日・日曜日・祝日
時間:午前10時~午後3時
料金:大人300円・子供200円(20人以上の場合20%の団体割引)

※ 平日も事前予約にて応相談(拝観出来る場合も在る様です)
※ GWは平日も通しで公開
※ 12月上旬~3月下旬までは冬季休館

問い合わせ先が平日と休日で違います、ご注意を。

平日:0288-93-3255
休日:0288-93-2015

社宅群の中でも「水掛役員社宅」は南東側の6棟が連なる幹部職員用住宅の1つで現在はこの1棟のみ()が「鉱石資料館」として一般公開されている、保存状態は他の5棟より格段に良い状態だ。

※ 2018年現在、整備が進んで3棟が公開されています。

予約も行っていなかったので残念ながら撮影許可は降りませんでした。

スゴログ 足尾 掛水社宅

一般住宅群は11棟ありましたが現在では約半分の6棟が残るばかり、その内の1棟に現在でも人が住んでいるので廃集落とは成らずに一般的な撮影や取材も断られると言う状態です。

写真の様に既に人が離れた住居は草木が生い茂り、中はおろか庭先を確認するのも困難。ただ窓や戸などの施錠はしっかりとされていて最低限の管理は行き届いていると思われます。



※ ロールオーバーで画像を切り替えて下さい(PC閲覧時のみ)

1975年の航空写真と2014年の航空写真を見比べて頂けるとその移り変わりが解るだろう、周辺の道路、橋、それに住宅地としての姿。特に大きな開発は見て取れないけれど掛水社宅に関して言えば半数が解体されてしまっている。

そしてこの写真からも鉱山夫の社宅の敷地面積と南東の役員社宅()の敷地面積(しかも庭付き)とでは倍以上の開きハッキリと解る。

※ 正式名称を「古河鉱業会社足尾銅山掛水重役役宅」と呼称します

しかし、だ。

当事の世情とこの足尾銅山の景気を鑑みれば。周辺地域に住む一般住宅群より少々上位の間取りであった鉱山夫住宅、玄関先こそそう代わり映えしてる様には思えませんが…今で考えれば貧相な一軒屋とも思えるこの規模の家屋が当時は中階層の贅沢な家だったのです。

更に役員社宅とも成ればどれだけの贅だったことか。

※ 現在は県指定有形文化財と成りました

スゴログ 足尾 掛水社宅

貴重な昭和初期の町並みを残す地区としても歴史的価値があり、足尾銅山関連の保存運動ではその対象として上位にランクされている。が、現在でも住んでいる方が居る為に転居が完了しないとその保存対象として正式に名を連ねる事が出来ない状態とも聞く。

頻繁に人の出入がある事は轍を見れば一目瞭然で、行政として観光化したい思惑と現住されている方との地域の有り方に温度差があるのは否めない。

解体も計画された事があるこの地域、未だ残っている事は幸運とも言えるし他の足尾関連の廃集落同様に更地化される未来だって濃厚なのだ。地域の歴史的建造物としても産業遺構としても保存価値は十分に匂わせる掛水住宅群、上手く折衷案で着地したいところだ。

スゴログ 足尾 掛水社宅

1910年の周辺地図、この足尾駅周辺が地域の中心だった事が解る位に建造物が集中している。明治で言えば43年、明治40年の足尾暴動以降の計画で事業所中枢部が掛水に集約されたのを期にこの地域には事業の折衝事や役員達の一極集中化の他にも行政運用に関しても特別な地区とされていたとか。

役員住宅で言えば課長役()や所長役()がこの地におり、隣接された古河掛水倶楽部での会議や宴会を円滑に行える配慮も。

※ 社宅が共に県指定有形文化財に成りました

他には冒頭で書いた「足尾鉱業所事務所付属倉庫(県指定有形文化財)」や「銅山電話資料館」など実は観光名所としての見所も豊富にある場所でもあります。



足尾鉱業所事務所付属倉庫

足尾鉱業所付属倉庫、管理物件ではあるけれど外壁の老朽化は隠せる段階を当に過ぎていて所々の崩落が見て取れる程。現在観光地化された古河掛水倶楽部の敷地内にある建造物ですが残念な事に非公開、早急な整備が待たれます。

記録では1910年に建築され、元々は本山抗口の敷地内に在った本山鉱業事務所が1907年の暴動()によって焼失。兼ねてからの事業拡大も兼ねて現場から離れた交通の便の良い水掛地区に事務所を移転新築、時期を同じくして1910年にこの倉庫も建造された事に成る。

※ 先ほど古い地図で説明した足尾暴動の事

事務所は1921年に足利市役所庁舎として売却され、その後老朽化に伴い解体。同じ建造時期でも煉瓦造りだった事で辛うじて現存出来た様子、因みに大きな洋館だった事務所は解体後は現在の更地(テニスコートとして運用中)に成って新しい建造物の計画は全く無いとの事だ。

スゴログ 足尾 掛水社宅

足尾の地域と産業においては重要な拠点だったこの掛水地区、それなのに足尾の歴史を追い始めるとどうしても鉱毒事件へ目が向いてしまう。それはそれで正しい着眼点だし忘れてならない産業事件だったのだろう、だけれども。

この様な小規模ながらも美しい町並みが残るこの場所も同じく産業遺構だし、後世に残さねばならない貴重な歴史的資産だと思うのです。

年間、沢山の人が訪れる足尾。ただこの住宅群の本当の価値は未だ保存活動が行われていないこの鉱山夫住宅の町並みでは、そう思えてなりません。



さて、最後にもう少し古河掛水倶楽部について語りましょう。

古河掛水倶楽部は1899年、関連企業の重役や国の役職を迎える迎賓館として建造されました。国内では最高峰の銅山規模と最先端の技術を投入した産業で得た莫大な資金力を活かし、この迎賓館は贅の限りを尽くして設計、建造されたそうです。

建造当初は和洋折衷の造りでしたが1910年に事業拡大(暴動によって本山鉱業事務所が焼失も移転新築の要因の一つ)を念頭に置いた鉱業所新築が行われ、掛水事務所がこの水掛地区に置かれると同時期に古河掛水倶楽部も和風部分を洋風に改築。正面玄関は洋風2階建て、庭園側は石造りの部分も含め3階建てと成って現在に至ります。

因みに休日の一般公開以外の平日は現役稼動施設の「古河機械金属株式会社福利厚生施設」として現役職員が使用しているのは余り知られていません。

公開されている幹部職員用住宅の鉱石資料館、この住宅に関しても館内のパンフレットに大まかな歴史が記載されているので転載しておきましょう。

「この建物は明治44年(1911年)、幹部社員向けに建設された社宅で、床面積は約42坪あり、10畳間1室、8畳間3室、6畳間1室、3畳間1室、勝手、浴室となっており、6畳間は書生部屋、3畳間は女中部屋に使用された。

庭園部分は約216坪で、第2次世界大戦の時には「古河家」の疎開に使用された事から、庭には防空壕が作られている。

掛水地区の社宅は明治末期から大正初期に建設され、今もそのほとんどが使用されており、板塀、砂利道、木製電柱等、町並みそのものが古いまま残っており、貴重な建物群である。」

【参考・協力】

銅山の町足尾を歩く/わたらせ川協会 随想舎
足尾行政センター
足尾町役場
古河掛水倶楽部



【レポートの場所】



【注意点】

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

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