#013 細尾第一発電所

スゴログ 細尾第一発電所

栃木県│細尾第一発電所

調査:2010年05月 / 2013年05月 / 2014年05月

2010年のムック出版に伴う取材時に足尾銅山の関連施設は色々と訪れました、当時はまだ廃墟などがトレンドとして取り上げられる事は少なくてこの様な産業遺構は歴史好きの間で資料写真の撮影対象とされていた様です。実際出版社の名前を出せば撮影許可は容易で観光協会や教育委員会などもとても協力的でした、それが2013年頃から急に取材撮影が厳しくなり始めます。

その後この建造物には立入禁止の柵が設置され、私達も中に入っての撮影は出来なくなりました。

どの様な経緯でそう至ったかは容易に想像出来ますが近い将来、また正規ルートにて撮影許可が取れる様に私達スゴログも働き掛けていきたいと思います。



さてさて、今回の足尾銅山関連施設ですがとっても有名な細尾第一発電所です。歴史を遡るとなんと建設申請は驚きの1893年、まだ明治時代半ばの頃です。

国内においては歴史的価値の有る建造物で、全国で三番目に古い発電所としても知られています。また近年ではこの発電所跡の敷地内へ渡されている橋も安全上の問題から渡橋禁止となり、いよいよ近くからの撮影も不可能となりました。

※ 2014年より本格的な保存活動が開始され、倒壊防止措置の強化や内部の清掃、立入禁止柵の設置などが順次進められました。2015年頃には渡橋禁止となっています。

※ 2016年現在、防犯カメラと防犯センサーが設置されています。

それでは2010年、公開当事のレポートをご紹介致しましょう。



スゴログ 細尾第一発電所

シンメトリーが美しいレンガ造りの発電所、細尾第一発電所です。建造物としてだけでも一見の価値があると、そう思わせてくれる細部の拘りを感じます。

そして何処か親近感と言うか、皆さんが知っている大都市に残されている有名な建造物と似ていると思いませんか。その答え合わせはまた後程に、まずは簡単な運用当事のスペックを記載するとしましょう。

取水河川:大谷川
放水河川:大谷川支流
認可出力:2000kw
有効落差:188m
発電形式:水路式
発電方式:調整池式
送電電圧:11kv

運用途中で改修工事が行われ、発電機などが交換されています。しかし発電能力や送電電圧に変わりは無く、運用形態に関しても大きな変化はありませんでした。

スゴログ 細尾第一発電所

近年は現在の細尾発電所の廃材置場として利用されていました、少なくとも2010年頃までの内部はとてもではありませんがフォトジェニックなロケーションとは乖離した汚らしい野外倉庫の体でした。

足尾銅山の関連施設の保存活動が活発化したのが2013年頃、それまでは注目される事もなく放置されていた状態と言えます。

しかし廃墟ブームで一辺、この発電所跡に限らず無断で侵入、撮影する方が増えた為に企業責任としての保安問題の対応に関係各所が乗り出します()。

※ 冒頭の対応策がこの保安問題の対応となります

スゴログ 細尾第一発電所

少しだけこの発電所の歴史を記載します、有名物件なのでご存知の方が多いと思いますがお付き合い下さい。

足尾銅山が供給のピークを迎え、不足する電力を補う為に「細尾第一発電所」は建設されました。冒頭でも少し触れましたが国内の発電所としては三番目に古い非常に貴重な建造物です。1906年建造(同年12月より運用開始)という事で建てられてからは既に100年以上が経過しています、現在では屋根などの崩落が進んで保存の為の補修工事も予定されていそうです。

古河日光発電株式会社のサイトではこの発電所の歴史に少しだけですが触れられていました。

古河日光発電株式会社 - 当社水力発電の歴史
http://archive.is/VMTpk
http://archive.fo/VuakY

沿革を見るに、その歴史はとても一筋縄では行かなかった様で建設までの企業努力が感じられます。発案から申請までの正確な時期を記した資料は失われている様ですが申請時からの年表は残っています。

1893年 04月00日 細尾第一発電所建設申請
1894年 00月00日 細尾第一発電所資金難の為に中止
1897年 00月00日 足尾鉱毒予防工事命令起業工事一切禁止
1904年 07月00日 細尾第一発電所用地買収完了
1904年 07月00日 細尾第一発電所建設山道着手
1904年 09月00日 日光臨時電力工事部設立
1905年 02月00日 細尾隧道削岩機試運転
1905年 03月00日 細尾隧道削岩開始
1905年 04月00日 細尾第一発電所起工
1906年 04月15日 細尾第三号隧道貫通
1906年 04月25日 細尾第二号隧道貫通
1906年 06月00日 細尾第一号電所竣工
1906年 07月04日 細尾隧道竣工
1906年 07月04日 細尾隧道大土呂澤より四号隧道より通水開始
1906年 07月07日 細尾第一発電所送電開始
1906年 07月17日 細尾第一発電所大洪水により取水口埋没/通水停止
1906年 07月17日 細尾第一発電所電信線寸断 水源番人と音信不通
1906年 07月17日 細尾第一発電所通水不能により13時間停電/足尾坑内ポンプ停止水没
1908年 04月00日 細尾第二発電所起工
1909年 00月00日 細尾第一発電所鉄管変更
1910年 04月00日 細尾第二発電所竣工
1935年 00月00日 細尾第一発電所第二へ移設の為に廃止

中禅寺湖を貯水池に見立てて取水してた様だ、これは効率的。

スゴログ 細尾第一発電所

関係者からのヒアリングでは、



備品の持出し(窃盗行為)や夏季にここで花火などを行って警察に来て頂いた事も在る、今後の保存計画も多方面から意見を聞いて検討中。



との事で解体も視野に入れて検討中なのだとか、別案件で土木学会の方にお話を聞く機会が在りましたが一時期は保存の方向で資料を提供した事も在るそう。土木学会のサイトにこの発電所の紹介ページを発見、一応リンクを掲載します。

土木学会 - 日光街道 関東支部栃木会
http://archive.is/Yom98

また2003年(平成106月号)の「広報あしお」にこの発電所について幾つかの記述が在ります、興味が在る方は是非確認して頂きたいと思います。

広報あしお - 足尾の産業遺跡⑱
http://bit.ly/2NWHPZG



更に栃木県の土木遺産をウェブ資料化している「栃木県の土木遺産」からこの発電所の説明箇所を引用するので記述の沿革などと整合性を確認してほしい。



古河鉱業㈱(現在の古河機械金属㈱)は、足尾銅山の動力電化のため、明治23年(1890) 12月、足尾に間藤水力発電所(90kw)を建設しました。自家用発電所としては、宮城紡績(宮城県仙台市)、下野麻紡績(栃木県鹿沼市)に次ぐ全国三番目に古い歴史ある発電所です。

その後、銅山の急速な発展と日光電気精銅所の建設に伴って、急増する自家用電力の需要を満たすため、さらに有利で豊富な水利地点を求めて、明治39年(1906)日光町細尾に細尾第一発電所を建設し、次に、明治43年(1910)には細尾第二発電所を建設しました。後に、第一発電所を移転し、第二発電所と合併して、細尾発電所と名称を変更しました。以来、大谷川上流部に発電所を開発し、上流から順に馬道・背戸山・細尾・上の代の4発電所があります。

水源は中禅寺湖の水を華厳滝直下から取水し、さらに、年間流量の変わらない白雲滝・般若滝・方等滝からも取水していることから効率の良い安定した操業を行っています。

発生電力は、足尾地区の当社足尾工場で自家消費するほか、日光地区の古河電気工業㈱及び東京電力㈱に供給しています。

引用:栃木の土木遺産 - 細尾発電所 471686



スゴログ 細尾第一発電所

この写真、古河機械金属が公開している資料にある1936年に撮影された細尾第一発電所(※)だ。この写真を見ると隣接するように取水施設が建てられていた事が解るだろう、元は二棟からなる複合発電所施設だったのだ、この事実は若い世代には余り知られていない事だろう。

※ 前年に稼動終了の為に無人の状態

更に驚く事実をもう一つ、冒頭で「皆さんが知っている大都市に残されている有名な建造物」に似ているのではと問いかけたこの発電所。当事としてはモダン海外の発電所を意識したデザイン、その建築家こそ「辰野金吾」だ。その功績を挙げればキリがないのだけれど有名な建築物として一番最初に浮かぶのが「東京駅丸の内口駅舎」、似てると思いませんか…東京駅に。

辰野金吾 - ウィキペディア
http://archive.is/tjXuo

スゴログ 細尾第一発電所

こちらは1915年に撮影された発電所内部、上の写真と同じく古河機械金属が公開している資料に掲載されている。隣接する取水施設の中通路(階段部分)を左手に写している様だ、この写真の数年前に細尾第二発電所が稼動を開始しているので同時期に内部の改修も行われている。

第一と命名されているものの、実は第二発電所を基軸に発電所建造計画が進められて居た為に規模も小さく、第二発電所の稼動後は発電優先順位が第二に移行してしまった事で無理矢理な増設工事も行われたそうだ。

なので今に残る第一発電所跡を注意深く見ると不合理な取り壊し跡が幾つか発見出来るだろう、それは送菅口であったり基礎部分(現在は埋没)であったりと報われない我慢を強いられる兄の様な存在だったのだ。更に言えば第二の弟は現在新しい建造物として現役の細尾発電所として絶賛稼働中という有様、歴史的には貴重であっても兄の不遇はどうやらまだ続く模様です。



足尾銅山は本来の意味で2010年03月、その姿を完全に無くしました。日本国内では最大級の銅山で周囲には専業鉱夫住居地区が設けられ、関連施設も沢山建設されました。1980年代に操業停止し、地域産業史としても終止符を打った現在、あの素晴らしい遺構群を見る機会は永遠に失われたのは残念で成りません。

【参考・協力】

創業100年史 古河鉱業株式会社
財団法人 日本経営史研究会
足尾行政センター
足尾町役場



【レポートの場所】



【注意点】

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

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