#012 通洞動力所

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

栃木県│通洞動力所・新梨子油力発電所

調査:2010年05月 / 2011年08月 / 2013年05月 / 2014年05月

出版の仕事で取材した足尾銅山関連施設、その後個人的に興味が沸いて何度も来訪しました。町全体が産業遺構として観光資源にもなっており、日本の産業史として捉えても重要な鉱毒事件の該当地でもあります。現在過疎化が進み、文化遺産登録や関連施設の保護に乗り出したこの町に残る貴重な遺構を今回は紹介したいと思います。

隣接する今回の建造物は「通洞動力所」と「新梨子油力発電所」、双方とも崩落が進んでいて数年前より解体計画の話も持ち上がっています。保護対象とは成り得なかった足尾の残構、その現状をご覧頂きましょう。

【2011年現在】

初来訪の翌年、残念ながら通洞動力所の大部分が崩落しました。またそれに伴い、行政の確認作業も行われた様です。崩落後は少しづつその倒壊部分を広げ、2017年にはかなり進行していました。足尾銅山の保護遺構対象ではない為、そう遠くない内に安全上の理由で解体される可能性が高いと思われます。



まずはレンガ造りの外観が大変美しい「通洞動力所」からレポートしたいと思います、全倒壊の恐れがありますが初来訪時はその美しい原型を留めていました。

日光市教育委員会事務局の文化財課「世界遺産登録推進室」から頂いた資料によると、



動力所では、さく岩機の動力源である圧縮空気がコンプレッサーによって作られていました。

また、そのための電気は、間藤発電所(後に細尾発電所)から送られた高圧電力を併設の変電設備で変圧し、供給されていました。明治45年には、通洞動力所に大型コンプレッサー「インガーソルランドPE-2」が導入されました。このコンプレッサーは、当時の国内の鉱山では最大となる320馬力の出力を誇りました。大正3年には、本山動力所にも同型の大型コンプレッサーが導入されました。

本山動力所には現在もコンプレッサーが保管されています。



との事。当事の銅山施設としては最新技術を盛り込んだ意欲的な動力所として稼動していた様です。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

正面入口を開けて貰う為、隣接する「新梨子油力発電所」のゲートへ移動します。お話によると此方の新梨子油力発電所は現在地元の自治体の倉庫として使用されており、お祭りなどに使用する道具や担ぎ物(神輿の様な物)などが保管されているとの事。

祭事にはこのゲートを開放して準備をしますが通常は防犯の為にカメラなどを設置しているそうです、センサーも今後検討しているそうなので無許可の侵入はくれぐれもされない様ご注意下さい。

※ 2011年の崩落時に此方の部分崩壊も確認されていて大変危険です

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

新梨子油力発電所の扉を開錠してもらい、後程詳しく見分させてもらいますがまずは出版の取材対象だった「通洞動力所」へ。写真は中央の連絡通路の木製戸、実はこの戸にも施錠されています。

が、2011年の大崩落でガラスも大分落ちてしまった。この大崩落、勿論の事ですが「東日本大震災」の影響でした。この建造物に限らず、足尾銅山の関連遺構はその殆どで被害を蒙ったそうです。



道路から確認すると解り易い、この様に大崩落が発生してしまったのだ。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

こちらも稼動時は車道として使用されていた連絡通路でした、余り知られていませんがこの川沿い(写真右手は崖)の細道を車が往来していたのです。

岸壁の侵食と長い放置期間に因って現在では人が通る事さえ危険な場所になっています、また豪雨などで更に侵食が進んでいると教えて頂きました。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

この場所が車道だった頃の名残だろうか、乗っていた事もあるスバル360が朽ちていた。大分昔の事だから定かではないけれどエンジンルームを見る限り出力問題のあった初期型の様だ、N360のエンジン性能に押されて販売が伸び悩んだヤングSSも結局は技術革新には追いつけず。大衆車として人気を博したものの、その販売ラインは改良EKエンジンのR2へ移行する事になる。

個人的には排気量がやや増大仕様となる北米向けモデルが好きでした。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

何たる僥倖なのでしょう、工場系の廃墟は幾つも拝見しましたがこの場所はまた特別美しいです。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

改めて写真を確認すると2010年の時点で大分建造物が歪んでいた事に驚く、役場の方のお話(当事)では倒壊の危険性はずっと以前より指摘されており、2010年現在でまだこの様に形を残している事に驚いているのだとか。

地域住民からは危険性の指摘がやはり出ていて解体も持さずとの事だが一番の問題は予算なのだと言う、また順次解体を希望されても企業や地主などとの交渉もある様でそう簡単には行えないのだ。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

廃美が素晴らしい変圧器設置場所、以前まではこの場所に大きな変圧器があったのだが震災後の崩落を予想して関係者が屋根の崩落を見越して入口付近に移したとの情報も。と、いう事はあの変圧器は保存する予定なのだろうか。

確かに産業資料としてもここに設置されていた変圧器は重要なのかもしれない。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

日光市教育委員会事務局生涯学習課世界遺産登録推進室発行パンフレット「足尾銅山近代化産業遺構群」には、



明治45年には通洞動力所に大型コンプレッサー「インガーソルランドPE-2」が導入されました。このコンプレッサーは当時の国内の鉱山では最大となる320馬力の出力を誇りました。大正3年には、本山動力所にも同型の大型コンプレッサーが導入されました。本山動力所には現在もコンプレッサーが保管されています。



とある。当時国内のコンプレッサーの出力が軒並み100馬力前後だったのに対し、凡そ3倍となる大出力の320馬力。関連資料にはその出力を発揮して数多の関連事業に貢献した記されている。この「貢献」とは具体的にどういう事か、ほんの少しだけ記載しよう。

本山動力所で大型コンプレッサーがまだ稼動してなかった時期、この通洞動力所で作られた圧縮空気を利用して銅山での削岩機の動力源としていた。電力は遠方の細尾発電所から送られていた電力を使用(初期においては間藤発電所)し、送られて来た高圧電力は併設されている通洞変電所で変圧し供給されていた。

因みに通洞変電所は現在も稼動中の現役銅山施設だ。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

この動力所は2度の増築を重ねており、当初の木造建築からやや無茶振りのレンガ補強とコンクリートでの外装補強が施されています。内部や外見の所々に年代の違う建築方法が施されているのはその様な理由があったから、複数の建築方法を使用すると建造物自体の強度は落ちる様でこの動力所もその影響を散見出来ました。

銅山の掘削において中枢を担ったこの動力所、広い内部には幾重にも機材が置かれた痕跡が見て取れるのもこの廃墟の見所なので建造物としての物珍しさと並行して見分出来たのはとても幸運だと言えます。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

関係者からの説明を受けながら内部を見分していく、この後どっさりと執筆用の資料を渡されるのですが専門用語が多くて苦労する事に。

写真撮影時は兎に角この美しい建造物をどうにか保存出来ないか、観光資源として利用出来ないのかと意見交換を試みましたが企業としても行政としても負の遺産なので処分したい様でした。

現在過去の足尾関連施設跡など、解体後は国や県などが土地を買い上げて緑化する方針を打ち出しています。

特に本山以北に関しては以前よりその活動が進められています。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

稼動開始時期はハッキリとしないものの明治、大正、昭和と三時代を駆けた動力所は1959年(昭和34年)にその使命を終えて稼動停止となりました。それからは向う1年間で停止された関連施設への業務移管作業が続けられた事で行政の記録には「昭和34年頃に廃止」と残されています。

直接は関係ないのですが銅山関係の発電所や動力所は過去に沢山存在していて「通洞」と名の付く水力発電所も一時期稼動していました、1901年(明治34年)に開設した「通洞水力発電所」と言う発電所で1934年(昭和9年)に廃止されるまでこの通洞動力所とは切っても切れない関係に在ったのは言うまでもありません。

それではお隣の「新梨子油力発電所」へ移動しましょう。



スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

こちらは新梨子油力発電所、隣接する臨時発電を担う銅山発電所でした。と、言っても元々は工場として建造された建物でその時期も発電所の稼動が確認される1929年(昭和4年)より数年前の事。成程、関連資料に目を通せば付近の発電所との稼動時期など「何故この時期に臨時発電所を?」と思い当たる節は沢山あったのだがこれで納得。

内部の作りも凡そ発電所としての作りでは無いし、工場だと解ればその通りなのだと思える構造だ。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

工場としての役割は掘削機械の整備と木工製作で木工に至っては関係者の居住区の住居資材の加工まで行っていたと資料(行政から提供された非公開資料)にある、そして1929年からは更に臨時発電所としての役目も加わって一見広く感じる内部は随分と手狭だった様。

発電所としての役目は1954年で終了、一部の発電機器はお隣の通洞動力所と他の動力関係施設に移されました。発電所の稼動途中から場内クレーンと手動ホイストが設置され2階部分を増築、事務所と倉庫などとしても運用された様です。



因みにこの新梨子油力発電所は呼び名が3つ在り、ご存知「新梨子油力発電所」、旧名の「新梨子火力発電所」、そして日光市教育委員会事務局の文化財課の保管資料にも記載されている「通洞工場」と呼名も様々。歴史的にも行政には「工場」だったと認識されている様で今後印刷される一般向けの遺構群パンフレットにも「工場」として紹介されるのだとか。

工場工場と連呼してはいるけれどこの臨時発電所、国内では当事最大規模の1000キロワットを出力。勿論銅山関係の発電所の中でも最大でメインより予備稼動施設の発電所の方が出力が大きいと話題に挙がった事でも有名なのだ。

外壁はコンクリート製、戦時中は外壁全体に迷彩塗装が施されていたが今ではその殆どが退色してしまい、その配色を確認する事は難しい。

最後に日光市教育委員会事務局が公表している資料から抜粋しながら簡単な歴史を説明致しましょう。



資料を読む限り、この発電所は何をしていたかと言えば「不足の事態に備えた非常用電力供給発電の為の施設だった」と結論付けられる。公表では出力1000キロワットの高出力は最大規模と謳われているけどそれはあくまでピーク出力で在って非常用電力としてその全てを利用する物では無かったそう、大正4年に建設され昭和29年に廃止されるまで多方面で運用活用されたのでした。

スゴログ 通洞動力所 新梨子油力発電所

現在、足尾銅山関係の遺構に関しては「産業遺産」として価値の在る物件とそうでない物件の扱いが非常に顕著に現れている。特に近年になってからは倒壊している建造物や倒壊の危険が在る建造物は解体していく方針の様だ、この貴重な建造物資料が消えてしまう日も近いのかもしれません。

【参考・協力】

日光市教育委員会事務局の文化財課/世界遺産登録推進室
財団法人 日本経営史研究会
日光市役所足尾総合支所観光課
足尾行政センター
足尾町役場



【レポートの場所】



【注意点】

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

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