#009 深沢集落

スゴログ 足尾銅山 深沢

栃木県│深沢集落 [ 2011年解体 ]

調査:2010年05月 / 2010年07月

数々の工業問題を発生させた地として未だに語り継がれている足尾銅山、前回「愛宕下集落」をご紹介したが今回は引き続き関連施設群として銅山鉱夫達の住宅跡をまとめるとしよう。

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リンクした愛宕下集落同様、この集落も飛火の火事によって集落全体が焼失。件の愛宕下集落は1887年だったがこちらは1902年、鉱山や銅山の歴史では珍しくは無いのだけれどこういった隣接する鉱夫などの関係者住宅が被害に合う事は対策不足と言えなくも無い。防火壁など具体策が取られて行く仮定でどれだけの被害が在ったかは予想に容易い、当事としては近代的な集落群だったし消火活動が比較的簡易な街中だった事が唯一の救いとも言える。

鉱夫住宅群としても大きな敷地と言える深沢集落、それなのに最盛期で愛宕下地区の居住人数より少ないというのも興味深い。世に沢山のレポートが所狭しと並べられているが今一度、この集落を知る機会として読み進めて頂ければ幸いです。



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深沢左岸に道路を隔てて建設されていた深沢集落、その歴史は先の愛宕下集落より古く建設開始は1885年頃だとされている。陰りが見え始めていた足尾銅山に有望鉱脈が発見され、更に1884年の大富鉱が続けて発見された事で全国から集まる鉱夫達の集落を建設する事に。

例に漏れずこの集落入口にも防火壁が設置されている、が他と違う点は見ての通り。この足尾銅山の集落群の防火壁はカラミを使用しているが写真を見て頂ければ解るだろう…そう、レンガ製なのだ。

これには幾つか理由が在る様だけれど明言された情報源が無かったのでここでは割愛しよう。

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1550年から続く足尾銅山の歴史の中で江戸時代末期までは山間部の農耕地として利用されていたこの地、紐解けば住居が建ち並ぶ様に成ったのは1870年代に成ってから。1878年には日光との物資運搬を目的とした産業道路を敷く為に本山~神子内間の開発が開始、その後暫くは当初の目的通りに産業道路として利用された様だ。

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既述の通り、1885年辺りから少しづつ鉱夫が集まりはしていたがこの地の主要は眼前の産業道路であった。しかし1891年に馬車鉄道が新たに敷かれからは次第に利用頻度は減少、間もなくして道路の整備はされなくなり道路途中に鉱泥の堆積場を作り、その運搬に使われる程度と成った。

この頃、深沢集落には12~13戸の住宅が在ったが冒頭の火事によって全焼。しかしその全焼が本格的な鉱夫住宅建設のトリガーと成って住宅群は次第に大規模に、最盛期と思われる1964年には84世帯353人もの関係者が居住していた。

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来訪時の2010年、解体間近の深沢集落。この時は同年に解体されるとも知らずに詳細な写真を撮らなかった事が悔やまれる、藪が薄くなった時期に再訪して建造物や内部をゆっくりと撮影しようと計画していたのだがその願いが叶う事は無かった。

翌年再訪した時の放心、なんとも筆舌に尽くし難い。

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集落内部は直線的な作りで主要道路から枝路を延ばして綺麗に並ぶ様に建設されていた、これは足尾銅山のどの住宅群にも言える様式美だった。

建設時期もそう離れていない所為か建築物も統一性が見られ、内部の生活痕もやはり同様に統一性が見られていた。当事の銅山鉱夫は足尾に限らず大変な収入を得ていた様で危険な仕事ではあったけれど沢山の鉱夫がこの地にも集まっていた、それだけ銅山に夢があった時代だったのだ。

故に鉱山や銅山の関係者達が住む住宅はどれも当事としては富裕層と同等か、一時においてはそれ以上の生活を送っていたと記録に在る。

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集落の奥、少し標高を稼いだ所まで来た。

この先は「深沢古道」と呼ばれる古い道を歩く事も可能だ、そう先程説明した産業道路もその一つ。更には中善寺湖に抜ける事も出来るこの古道はトレッキング愛好家にとっても魅力的な道だ。

半月道とも呼ばれ、半月峠を越えて中善寺に至る山道は意外と険しくて獣を多い。毎年の事ながらツキノワグマの目撃情報も頻繁で冬眠前や後の時期には熊棚を彼方此方に見る事が出来るだろう。

途中、二の茶屋跡や深沢大滝などの見所も。因みにかつては初の茶屋、一の茶屋、二の茶屋、金山茶屋、見晴らし茶屋と五軒の茶屋があり、現在では一の茶屋、二の茶屋のランドマークと言える灯篭が残っています。

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深沢地区における銅山関係者の寄合所、家屋設計に近いが集会所として利用されていた形跡が残っていた。足尾銅山には何かと共通項が多いのだけれどこの「集会所」もその一つ、どの住宅群にも必ず集会所が設置されていた。

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自然に飲み込まれつつある廃墟群、実に美しくはあるけれどやはり興味の要はその歴史だ。元々が農耕地で産業道路により発展、銅山拡張で住宅群を設置して事業縮小で無人化に至るとは…何とも産業の栄華衰退を垣間見た様で実に興味深い。

銅山需要と共に栄華を誇ったこの深沢集落も1996年、とうとう無人となり2010年には集落群全てが解体された。

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解体を待たずとも崩落寸前だったこの集落、そこには沢山の残留物と共に歴史速度に追いつく事が叶わなかった鉱夫達の思いと銅山の衰退を見る事が出来た。

近年、昭和産業を支えた産業遺構の取り壊しが進められているが現在残されている類似する遺構もきっと同じ道を辿る事になる。今尚、稼動し続ける足尾銅山の関連施設だが東日本大震災で簀子橋堆積場の一部が崩落して周辺の土壌や川に鉱毒が流出した事で新たな問題も提起されている。

まだまだ終わらない足尾銅山の諸問題、これからも関連する施設や歴史に目を向けていきたい。

【参考・協力】

足尾行政センター
足尾町役場



【レポートの場所】



【注意点】

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

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