2022-12-30T19:53:03Z #008 愛宕下集落

#008 愛宕下集落

足尾銅山の愛宕下集落は山火事跡に開発され、一時期は銅山としては最大規模を誇った鉱山夫住宅群。現在はその殆どが解体されてしまったが道路沿いにはいまだこの場所に居住する方も、解体が幾度と無く噂されている足尾銅山関連施設の中でも歴史的価値の高い現存する住宅と当事の写真と共にその歴史を振り返る。

スゴログ 足尾銅山 愛宕下
栃木県│愛宕下集落

調査:2010年05月
再訪:2010年10月
公開:2010年05月26日
名称:正式名称→愛宕下集落
状態:2010年に解体済

足尾銅山で最大級の居住区だった愛宕下地区、2010年05月時は過疎化が進んでいたものの数軒の居住家屋が存在していた。残念ながら同年10月に再訪した際には全ての木造建造物は解体されており、とても残念に思った事を覚えている。

当事、また足尾銅山関連施設を保存対象として検討する段階に入ったばかりの頃。地元NPOなどの保存を望む声も有ったが今ほど関心が世に無い状況下、早々に解体が決まって更地にされてしまったのだ。

今回はまだ居住区が存在して当事のエントリーを再構成し、更に少々の加筆をしてのレポートなります。足尾銅山でも貴重な居住区群として世相と文化を静かに伝え続けてきた愛宕下集落、その歴史をお伝え致します。



スゴログ 足尾銅山 愛宕下

企業責任を問われ解体された銅山夫たちの住居跡

同じ足尾銅山関連居住区では「深沢集落」が話題にのぼる事が多いがも居住区設置の遍歴としても「愛宕下集落」はとても面白い歴史を辿ったと言える、案内板から抜粋してこの地区がどの様なものか説明しよう。

江戸時代の愛宕下は赤倉村字「坂詰」という地名で農家が3戸あったが、1887年に松木から起った山火事で消失し、以後草っ原となっていた。その後、足尾銅山の社宅地として開発され、始め1897年に鉱毒予防工事で間藤浄水場を建設するため、東京から来た人の飯場が建てられたが、工事が終わると撤去された。

次いで1907年代になると対岸の製錬所の社宅14棟(1棟7戸建)が建ち「赤長屋」と呼ばれるようになり、1921年に久蔵の社宅がこの地に移されるなどの変遷を経て増大した。戦後は「愛宕山」の麓に位置するところから「愛宕下」と呼ばれ、1956年には181世帯819人の人口を数えたが、経営合理化により徐々に減少し、足尾銅山閉山時の1973年には110世帯377人、足尾製錬株式会社設立時の1987年には49世帯127人、1997年で13世帯24人が住むのみとなり、昔日を偲ぶ”つわものどもの夢の蹟”となりつつある。

(この案内板も2016年に撤去されてしまいました)



1997年に設置された案内板には少数ながらこの地に居住する者がいる事を記していた、この案内板自体も2010年の来訪当事としては既に10年以上が経過した古い物だったが簡単に歴史を知るにはとても重宝した。

集落敷地内は4段程の斜面を簡易整地したもので土砂の流出を抑える為に乱積方法の石垣が施されていた、この石垣の石も北側の愛宕山から砕石採集した物でこの集落に限らず、複数の銅山関連施設で使用された。この集落の名称はこの愛宕山から来ており、愛宕山の下に位置する集落と言う事で「愛宕の下→愛宕下」と命名されました。

因みに写真の階段にも同じ石が使われています。

スゴログ 足尾銅山 愛宕下

1980年代に舗装されたアスファルトも現在では風化が進み、車はもとより人の往来も殆ど無い事が伺える程荒れ果てていた。倒壊家屋も在るがシッカリと中を観察出来る廃屋も在る、ただ残念ながら管理は全くされてない様だ。

時折聞く「元住民の方が訪れて掃除をしている」などの噂も現在では本当に噂と成ってしまった様だ、確かに地域住民の聞き取り調査では20年位前までは頻繁に人の出入りが在った様だけれど流石に当時住民だった専業労働者さんも生存している方は少なくなったそう。

「金(きん)と同じ価値を生む」

そんな揶揄も生まれたこの足尾銅山、旺盛時には地元だけでなく都市部や別の地方から大量の人材を雇用して地産の産業基盤を固めていた。例えば鉱山でも似た様な現象は国内各所で見られていたが凡そ鉱石産業自体が終焉に向かっていた高度成長期の日本、この足尾も事業縮小と共に人材も減少して過疎集落が彼方此方で生まれてしまう。

スゴログ 足尾銅山 愛宕下

集落中央に位置した大きな屋敷、随分と朽ちていた。

この愛宕下集落では毎年1月に行われていた「愛宕山の梵天祭り」の祭具を管理していたとの話も聞く、愛宕山の梵天祭りは資料を見るに家内安全、交通安全、そして一番重要だった防火を祈願して梵天岩(愛宕山)の頂に真っ白な梵天を奉納する祭りだったとされている。

この時に使用する祭具をこの集落で管理していたのならば、恐らくは集落で一番大きな家屋であるこの家がその任を担っていたのではないだろうか。



また「町民がつづる足尾の百年・第二部/明るい町」には以下の様な一説が。

愛宕の梵天祭り

毎年一月の第三日曜日に行われる梵天祭りは、赤倉自治会によって永年引き継がれてきた行事です。梵天祭りの由来は、引き継がれてきた記録によると、大正の初めの一月二十四日、京都の愛宕大権現から愛宕神社をつくってもらい、龍蔵寺裏の岩山の頂に祠を設けたのだそうです。それ以来この山は「愛宕山」と呼ばれているそうです。

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集落名称には意外な歴史的背景が

案内板や先程の記録にもある通り、山の名前が付く前には別の地名があった。「赤倉村」、これが本来の地域名称だ。実は愛宕下と言う名称は集落名であって昔から一貫してこの地域は赤倉村だった、つまり本来は「赤倉集落」と呼称すべきなのだ。

それが便宜上、愛宕山の下と言う由来があって「愛宕下」と呼ばれてはいたが歴史を紐解くとその本流は京都にあったと。

実に興味深い話だと思いませんか。

スゴログ 足尾銅山 愛宕下

家と家の隙間を縫う細い道が無数に張り巡らされていた。

この愛宕下集落の住民が多かった頃、銅山工場からの飛火で火事が多かったそうだ。その為にカラミ煉瓦製の防火壁が幾つも連なって設置されている。住居の建設は1907年から開始されたが増設される住居に伴って防火壁も増えていき、最終的には5枚ほどが建造されたそうだ。

この防火壁、そもそもは工場からの飛火を防ぐ為の物ではなくて密集する住居観の間に建造して延焼を防ぐ為に作られていたと言うから面白い、つまりは工場からの飛火自体は防ぐ事が出来なかったという事。これは労働者の命より工場の運営が優先された事の何よりの証明で、当事の火事に関する問題は時代を追う毎に表面化する事になる。

因みに防火壁の建材として使用されたカラミ、これは銅精錬する時に取り出される不純物(カラミ)。このカラミを型に流し込んで作った煉瓦で防火壁として利用したのでした。

スゴログ 足尾銅山 愛宕下

良く語られる足尾銅山の住宅群としては最大規模だったと言う話、地図を見ると解るのですがもう一つ「一番北側に整備された住宅群」と言う一面も見えてきます。

そしてこの一番北と言う位置は本山製錬所から最も近い集落で、この居住区に住む労働者達は何か問題があれば直ぐに精錬所へ向かわなくてはならない重要な人材達だったと思われます。

故に最大規模である意味があり、祭事に関してもこの赤倉地区独自の色が残っていたとも言えるでしょう。



2010年代に入って殆どの集落は解体されてしまいました、これは近年叫ばれている企業責任の一環とも言えますが既に足尾銅山自体を貴重な歴史的価値のある資料建造物として保存していこうと言う沢山の人々の声を無視した処置でもあります。そしてその跡地には緑化運動と言う耳触りの良い後処理が進められています、企業としてはずっと以前から取り組んでいるので受け取り方は十人十色ではあるのですが。

足尾荒廃地の緑の復元 - 足尾治山事業(PDF)
https://bit.ly/2MjtpBE

スゴログ 足尾銅山 愛宕下

1975年の航空写真、時代は既に事業縮小を余儀なくされていましたが愛宕下集落の姿はまだ見て取れます。二度と見る事が叶わなくなった愛宕下集落、その姿は銅山の衰退と共に私達の記憶からも消えてしまうのかもしれません。

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#009 深沢集落
https://www.sugolog.jp/2010/06/009-fukazawa.html
愛宕下集落と同様に解体されてしまった足尾銅山関連では大規模な集落跡、集落全体の保存状態もよく、石垣や家屋の建設方式など見るべき点も実に沢山ありました。

参考・協力

日光市役所足尾総合支所観光課
足尾行政センター
足尾町役場
NPO法人足尾歴史館
町民がつづる足尾の百年・第二部/明るい町
足尾荒廃地の緑の復元 足尾治山事業
日本経済新聞



レポートの場所 ※ GoogleMap登録済



注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html



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