#006 湯ヶ滝集落

スゴログ 湯ヶ滝集落

千葉県│湯ヶ滝集落

調査:2010年01月

温暖で知られる房総半島、近年では北九州地方と同等と言われる程の高温多湿で雪も殆ど降らなくなった。大きな災害にも見舞われずに比較的安定した気候故に、戦後の山岳集落の復興や発展にも大きく影響した様だ。

戦後復興の国内生活水準が上がると、県内での衣食住と仕事が戦前とは随分と変化して多様化。都市化が進んで主要労働層が離村すると共に限界集落化し、後に人が居なくなってヒッソリと残った廃屋群はいつしか「廃村」などと呼ばれる様に。

気候と廃村化の関連性は全国的にも認知されていて、何より廃村へ至るプロセスに沢山の共通点を見る事が出来た。ただ今回は極々小規模の廃村紹介なのでその詳細はまた別の機会にでも、房総半島にはこの地の特有の廃村へのプロセスもあったのでそちらを少しだけ記載したいと思う。

そもそも房総半島に「廃村」は存在しない、行政サイドは現在確認されている小数廃屋群を廃村と認識していないと言う事だ。これには幾つかの理由があって集落形成時にその集落固有の集落名称や地名が無かった事、その付近に主要形成された集落が存在した事、戦後復興の最中で行政区分する時期に既に離村が進んでいたなどが挙げられる。

確かに戦前までは10軒以上の家屋が集まっていたとしても戦後には半数近くが家を捨て都心部に移動した事などを踏まえると「村」と捉えるには少々実居する家屋が少な過ぎたのかもしれない。元々房総半島は温暖な気候で農作に適した地域であり、態々山間部に居住する理由もなく、また千葉県特有の「川廻し」によって平地まで容易に水路を延ばす事が出来たという事実にも着目したい所だ。

この様に房総半島での「廃村」は存在というか、その前段階の山岳集落が少なかった事が「千葉県には廃村が存在しない」理由といえるだろう。そんな地域でもやはり、と言いますか。廃村と言えないまでも廃村風味な廃集落群は残っておりまして、中でも近年まで人が居住していた特色ある廃屋群が今回ご紹介する「湯ヶ滝集落」というわけなのです。



スゴログ 湯ヶ滝集落

上総山中にひっそりと営業している温泉宿、白岩館。この温泉の源泉汲み取り地から入山し湯ヶ滝集落へ向かう事に成る。小櫃川とその幾つかの支流には低温の硫黄泉が複数存在しているがこの地域の温泉は比較的高温なのだそうだ、確かに沢登り中に源泉近くの川の水を救うとほんのり暖かい。硫黄泉とおぼしき泥壁を辿って流れ落ちる滝は確認できず、昔からの地名として「湯ヶ滝」が残っているからには湯の様な水温の滝が在ったのかもしれないと想いを馳せてみたのだけれど。

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地下水汲み上げの井戸やワイヤー駆動の貨物軌道も稼動し、主要路は山道と七里川を渡る木製の橋だった。しかしこの橋が崩落した事で交通手段も限られ、日常品などの買物は別の険しいルートで往来していたとか。

集落からやや標高を下げると電力会社の木柱が数本、対岸へ並んでいた。これは近代的なインフラがこの集落まで整備されていた事の証拠だといえる、事前調査からも廃村時期は1960年代と聞及んでいたが近隣住民のヒアリングでは1980年代まで人が住んでいた…とも。

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まずは外観から見分するとしようか。

川から集落へ延びる山道は主に2本、その両方が既に道跡薄く荒れ果てていた。この集落では小規模ながら棚田状に農耕を行っており、南側のルートからは左手にその形跡を見る事が出来る、また東側ルートには排水路を川まで延ばしていたのかその残骸が散乱していた。

集落内に残されていた建造物は1棟のみで他の家屋は既に解体されている、しかもその解体された廃材も木材燃料として再利用された為に形跡を見る事は不可能だ。

スゴログ 湯ヶ滝集落

裏手に廻ると井戸の汲み上げポンプ、発電機(これは電線を引くまで使用されていた)、その他にも昭和初期から中期までの家電や家具が放置されていた。また朽ちた自転車も横たわっていたが主要路が生きていた頃より自転車が乗り入れ出来る道は無く、どの様な使用目的で購入したのか疑問点も残った。

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裏手脇にはゴミなどを燃やしたであろう焼却穴も、更にこの集落から500メートル程歩くと製炭用の窯と思しき煤けた穴も発見出来た。

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この湯ヶ滝集落に関しては幾つかの房総史と市歴に既述が残っており、多い時で6軒(内家屋は4軒)の家が建ち並んでいたそうだ。主な収入源は製炭と僅かな農作物。房総の廃集落には珍しい集落内農耕が功を奏してか自給サイクルに野菜や魚が前提としてあったのは大きな優位点だったと言える。

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斜面に面した東側はこの通り日差しを遮る様な立地の為、家屋全体が薄暗い。昼間は南側がやや開けているので洗濯物を干す事が出来たろうが植林以前より樹木が多い地域の為に集落全体が日照不足に悩まされていたのだろう。

畑が造成された南側斜面は樹木が綺麗に伐採されていた。

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裏手斜面を駆け上がると山中の限られた平地に上手く集落を作ったのが解る、以前紹介した追原集落はこの地域から山中の道を歩いて30分ほどだが向こうは集落全体が斜面に作られていて石垣などで対応していた。全国的にも斜面にへばり付く様な構成が多い山中集落でこの様な平地が利用出来た事は幸運だろう。

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内部の様子を伺う、キョンや大きさがそれ以下の動物の糞が散乱していた。庭にはキョンとタヌキの骨が、動物の出入りの多さを伺う事が出来る。

残留物は非常に多い、これには確証ある理由があるのだが後ほど詳しく説明するとしよう。

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家屋中はかび臭く、そしてじっとりと湿気がまとわり付く。

この廃屋に入って最初に感じた違和感は各部屋が板の間だと言う事、まず最初に畳みを想像するが敷居の高さを確認するとどうやら最初から板の間設計の様だ。どう考えても畳みの分の厚さが用意されていない、これには何か理由があるのだろう。

奥秩父や奥多摩の廃集落でも板の間の家屋は確かに在った、それは集落の環境が畳みに適さない暗所で多湿な事が原因だと思われるがここまでキッチリと板の間のみと言うのも珍しい。

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裏手に周ると勝手口が開いていた、近代的な棚やプラスチック製の家具もチラホラ。

この勝手口から外へ出てみようか。

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すると先程の裏手へ出た、思ったより内部は狭い。南側の表面と比べて随分古めかしい佇まい、増築か改築を行ったのかもしれない。

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風呂場と炊事場、この炊事場には沢山の残留物が残されていた。その中でも異質と言うか、年代が奇妙なごま油の小瓶が目に付いた。なんと賞味期限が「1989年09月15日」と印字されたいたのだ、確かに食用油が腐ることは稀で熱などで酸化や劣化が進んで風味が落ちる程度だ。加工油のごま油であるならば多少短くはあると思う、ならばその賞味期限から逆算していつ頃使用されていたか解るのではないか。

農林水産省が定める「賞味期限」について調べてみた、ごま油に限定してだが国内の食品メーカーが共同で遵守している賞味期限を記載しよう。

缶製品:平均2年6ヶ月
瓶製品:平均2年1ヶ月
PP品:平均1年8ヶ月

油の容器は材質によって光の透過度、空気の通気性が異なり、油の賞味期限は容器の材質によって差異が発生する。上記の平均期間が全てだとしなくても約2年程前に購入された物だと予想出来るだろう。

他にも炭酸飲料や沢山の食料品のパッケージが残されていた、それら(他の賞味期限や消費期限の印字)を考慮すると1988年までは人が住んで居た事に。いやいや、事前調査やインフラの断絶を考えると1966年~1970年には完全に無人化している筈なのだ。

因みに飲み水は廃屋から10メートル程離れた所に石で出来た水瓶が在り、溜口を確認すると湧水していた。後の調査でも廃屋脇の井戸と繋がっており、汲み上げ用の電気ポンプも現地に残されていた。つまり「水」だけは困らなかった事に成る、例え電気が断絶しても常に湧水しているのでこの点は確定的だ。

どちらにせよ、だ。

1970年以降、人が住むには少々困難な状態と成っていた訳でして。しかし凡そ20年間、もしくは一定期間。この場所に人が住んで居た形跡があるのは一体どういう事なのだろうか。

スゴログ 湯ヶ滝集落

そこで遠回りな調査をやめ、状況把握を元に手にある資料と併せて対岸の現存集落で聞き込みを敢行。そして幸運にもこの廃屋の元家主(正確には近親関係者)とコンタクトを取る事に成功、元々この家主のお名前はとても珍しい苗字なので知っており、運良く見付ける事が出来たのだ。

お聞き出来た事実を含め、この湯ヶ滝集落の歴史を辿るとしよう。



旺盛時の家屋数はレポート内の説明にも記載した通り最大6軒、内生活が確認されていたのは4軒4世帯で残りの2軒は物置や作業小屋として利用されていた。

主要産業は製炭、しかしそれより以前に集落後期の農耕より規模が大きな農業が展開されていて棚田も幾つか存在したとか。成程、ならば札郷の川廻しを利用したのかもしれないしその支流(川廻しから更に細い枝が数本残っている)を使った可能性も在る。

1963年迄には2世帯が対岸へ移転しており、残す世帯数は2世帯。後に1世帯が1963年中に対岸の千石代へ移転、1966年までに残りの1世帯がやはり対岸の札郷へ。

送電や通電などのインフラも1970年迄には打ち切られて完全な廃村化…と成る予定だった。しかし。

どうやらそうでは無かった様だ。

先程の炊事場の調味料の賞味期限、確かに1989年と記載されていた。そしてその周辺には似通った賞味期限や消費期限を示す調味料達…そうなのだ、実は全ての世帯が転居した以降もこの集落の歴史は細く繋がっていたのだ。

先程の関係者からの聞き取りによると

・随分前(1966年~1967年)に引っ越した
・暫くは無人ながら管理訪問はしていた
・1980年位から人に貸していた

そう…なんと賃貸として1980年代に人が住んでいた、と。その他にも

・旧道沿いに残るヌタ場が実は田んぼだった(廃田)
・家主さんは炭焼き業から会社員に転職
・キンダン川からと七里川以外にもアクセスルート在り(未確認)

などなど、色々と。一度は廃村化し、その住民によって新たな歴史が刻まれはしたが時代はバブルへ向かう高度成長期。そんな世相でこの場所に長く居住まう事は無理と言えよう、賃貸期間は間もなく終焉を迎えてバブル崩壊前には元の廃屋へと戻った様だ。



スゴログ 湯ヶ滝集落

集落内にはこの様に家屋の基礎部分が残る、地面をコンクリート化出来ないので底上げをして通気性を確保する必要があったのだろう。石垣の上に木材で基礎を作り、その上に家屋が建設されていた痕跡が見て取れた。

スゴログ 湯ヶ滝集落

集落の端には過去の住人達が眠る場所が、植林計画からも逃れたこの小さな墓地は湯ヶ滝集落がこの地に在った事を物言わず語り継いでいくのだろうか。

【参考・協力】

君津市総務課
白岩館
千石台オートキャンプ場
四方木地区



【 レポートの場所 】



【 注意点 】

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

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