当初の事前調査では2006年頃の段階で行政記録上の廃村が確認されていました、しかし実際に赴くと明らかに人の気配。2009年には住民が戻り冬季は無人となる限界集落であることが判明しました。道路の突き当たりに位置し、現在では多賀鉱山跡と砂防ダムが当時を語るのみ。この小さな集落の歴史を少しだけ紐解いてみましょう。
滋賀県│後谷集落
調査:2010年06月
再訪:2010年10月 / 2011年05月
公開:2010年12月20日
名称:正式名称→後谷集落
状態:過疎集落
調査:2010年06月
再訪:2010年10月 / 2011年05月
公開:2010年12月20日
名称:正式名称→後谷集落
状態:過疎集落
旧サイトで複数回に分けて公開していたレポート内容を2011年現在の調査内容に統合して再エントリーしました。また古くなった情報などは精査して削除しております。
鉱山で栄え、閉山と共に過疎化へ。
霊仙の廃村群の中では公共事業の場として発展した特異な過去を有する後谷集落、古くは「ウシロダン」と呼称されていましたが昭和初期頃には現在の「ウシロダニ」に改称されたようです。「谷」とは湿地を意味する「やつ」や「やち」を語源とする説が大部分を占めますが山間部においては「山と山の間」や山の「窪み」を表現する言葉として使われてきました。この後谷集落の周辺は湿地ではなく岩盤が空高く伸びる山々に囲まれていることから「集落の後方は常に谷」ということで「後谷」と呼ばれたのでは、とする言い伝えもあるようです。しかし読みの「ダン」を考慮するとどうやらそうではなく、後方と対を成す前方の地形にヒントがあるのではないか…など諸説語られています。
確かに周囲は山々で囲われており、限られた窪地に集落が形成されているように見える。
更に引いた地図で確認するとその状況が顕著に、南側の山の切れ目に集落が存在している。これならば北側を後方と見立て、後谷と表しても何らおかしくはない。
江戸時代に使われていた甲頭倉集落や屏風集落との獣道なども踏まえ、何か名称と関連する文化や言い伝えがないか別途調査しましたが集落名に繋がる情報は得られませんでした。
これらに関しては広く情報を募集すると共に、何か進捗がありましたら追記したいと考えています。
さて、この後谷集落。長く廃村と思われてきましたが2009年頃からでしょうか、一世帯(一人)だけ住民が戻り限界集落として現住が確認されたとの情報が入りました。2006年の行政調査では廃村でありましたが2011年現在、確かに一世帯の現住を現地で確認。冬季は山を降りるようですがその他の季節、厳冬期や降雪期を覗いてお一人の方が住まわれているようです。
注意点
2017年の情報ではもう一世帯増えて現在では2人の住人がいるとのことです。
元々は小さな集落ではありましたが林業の発達と住友鉱業がこの地にセメント鉱山を開山したことでピーク時の1936年には218人もの人が暮すまでに。
しかし原住民と鉱山夫との間でトラブルなどもあったと聞きます、外部の定住を良しとしなかった後谷の住民は鉱山が縮小~閉山されるまでには外来者を追い出す形に。元々の住民も山間部での生活を見限り、廃村へ到ったようです。
このような原住民と産業による移住者との問題は全国各地に見られ、また定住に到らずに廃村化した例も多々見受けられます。
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現存する家屋や倉庫は現在も所有者が管理
珍しいことにこの地域の倒壊家屋は驚くほどに少ない、というのも件の事情から離村者や鉱山夫宿舎などの建造物は殆どが解体されてしまったから。つまり現存するのはこの集落の関係者のもので管理されているのです、排他的な恩恵が歴史的建造物の保存に繋がった稀有な例ともいえます。住民が多かった当時には30軒近くの家屋が並び、倉庫や資材置き場なども多かったそうですが今では大小10棟ほどの建造物が今でも良い状態で残っています。
注意点
2019年現在、建造物は5棟ほどに減少したようです。また倒壊危機にある建造物も2棟ほどあるそうで数年で状況は一変しました。
集落の遍歴と特徴
後谷集落は1974年に滋賀県に編集されて後谷村として近代史に登場します、1889年に周囲の集落(水谷・甲頭倉・屏風・河内・向之倉・桃原を含む七ヶ村)と合併して芹谷村へ編入。農村と僅かばかりの林業を生業としていました、この時点ではまだ霊仙の集落群の一つですね。屏風や桃原と同じく、多賀牛蒡の出荷地として知られていました。桃原集落のレポートでも記載しましたが高級食材としてそれなりの産業収入がありましたが農地の広さは他の集落に比べて小規模でした。
1910年に多賀鉱山が開山します、四国カルストや秋吉台などでも有名なカレンフェルト地形、それがこの地の山間部斜面に存在していると判明して大規模な掘削採取事業が展開されました。
正式名称は住友大阪セメント株式会社多賀鉱山、前期は発破、後期はベンチカットによる砕石だったと記録にあります。どちらにせよ騒音被害は想像を絶するものだったでしょう、採掘は戦後も続き閉山は1965年。
この閉山を期に村民の減少に拍車がかかり、1970年代には半数に。1980年代には廃村状態だったようです、僅かながらの住民が残された土地や建造物を管理していましたが2006年の大雪で廃村に。そして冒頭の2009年の再定着へと話は繋がります。
余談ですが住友大阪セメントは同じ多賀地区に同様の石灰岩採掘場を運用しています、更にその採掘場の名称が「住友大阪セメント株式会社多賀鉱山」。一方こちらの後谷集落から見えるのは「旧住友大阪セメント株式会社多賀鉱山」、どちらも同じ名前でネット上では現在運用中の多賀鉱山が検索結果に反映されてしまいます。
なので一時期この廃鉱山を来訪する鉱物マニアや林道ライダーは幾度と無く道に迷ったそう、因みにこの廃鉱山の斜面には方解石の結晶が稀に発見できることから鉱物マニアに至っては道なき山中を登ってここまで来るツワモノもいらっしゃるのだとか。
#030 霊仙 比婆神社
https://www.sugolog.jp/2010/12/030-hiba.html
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1961年の航空写真、集落人口の流出が始まるほんの少し前。しかし写真で確認すると家屋数は10軒程度しかない。
現在の国土地理院だと掘削された跡の岩肌を表した多賀鉱山跡が確認できる。また現在の様子はグーグルマップに写真が数枚投稿されているので興味のある方は以下よりご覧頂けます。
住友鉱業多賀鉱山跡 - グーグルマップ
https://bit.ly/2Qf57g5
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閉山後10年、1975年の航空写真。まだハッキリと鉱山跡が見て取れる。掘削範囲が狭いように思えますが既に採取が終わったエリアは植林が行われており、これは複数個所に及んでいるそうです。
注意点
農業に関しては少ない平地を利用し、牛蒡の他には茶や幾ばくかの野菜を栽培していたようです。林業は薪と製炭でしたが規模はやはり小さかったようです。
この霊仙地区は山岳地帯全域において石灰岩質の山々で構成されています、つまり鉱山自体はどこでも開山できたのです。その中で後谷集落が選ばれたのは運搬の利と山の地形が掘削に適していたことが大部分を占めます、事実良質の石灰岩は南東の河内地区の方が多かったとされる資料も。国内最大規模の鍾乳洞、河内の風穴の存在がなによりその予想を決定付けているでしょう。
事業として生産性や設備投資、そして居住区画の確保などの複合的要因が後谷での事業展開に繋がったのは間違いありません。しかし残念ながら地場産業としては根付かず、集落の人々への恩恵も微々たるものだったことで住民感情としては歓迎できるムードではなかったのでしょう。
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静かな暮らしが続いた集落に鉱業設備を積んだ大型車が往来しては畑仕事もままならかった筈、また鉱業排水や工事の影響で農地にも影響があったかもしれません。
この後谷集落へ続く生活道路には枝道が一本あり、隣村となる屏風集落が現存しています。こちらにも一世帯お一人の住民が小さな農作を行いながら生活されています、人口が多かった当時はこの屏風集落と行政管轄上同地区と扱われており、学校なども共通学区としていました。
1974年 多賀小学校後谷分校開校
1963年 多賀小学校芹谷分校と改称
1993年 本校への統合に伴い閉校
1963年 多賀小学校芹谷分校と改称
1993年 本校への統合に伴い閉校
注意点
廃校物件としても知られ、一部の廃校マニアにも人気が在りましたが2004年03月に解体。卒業生の中にはその解体を惜しむ声も少なく在りませんでした。
江戸時代には後谷集落を含む芹谷地区全体を「北畑」と呼び、牛蒡や芋、茶などを生産していました、昔から石灰岩の存在自体は鍾乳洞などの点在から知られていて小規模ながら加工されては京都の神社仏閣などにも使用されていたとか。
多賀鉱山が事業を展開するまでは高級牛蒡と上質石灰岩の産地として「知る人ぞ知る」地域だったのですが、それも今は昔。周辺地域全体で過疎化が進み、殆どの集落は廃村化。
民間伝承などもないので今後注目される機会は極々少ないかもしれませんが静けさの中に日本の産業史を一時彩った歴史が確かに残る地、後谷。少しながらまだ判明していない歴史検証や謎も残っているので追跡調査が終わりましたら追記させて頂きます。

参考・協力
彦根市役所
多賀町役場
多賀町立図書館
彦根市役所
多賀町役場
多賀町立図書館
レポートの場所
注意点
該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。
注意点
該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。
スゴログの装備とその使用方法など
https://www.sugolog.jp/p/blog-page.html
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