2019-10-04T18:19:55Z #028 霊仙 落合集落

#028 霊仙 落合集落

霊仙廃集落群の中で最大規模を誇る落合集落跡、霊仙には沢山の集落が形成されていましたがこの落合集落は家屋の密集度や平地開発の工夫、旧行政との連携など他の霊仙集落に比べると組織的で運営も近代化された素晴らしい地域でもありました。登山道は産業道路としても栄え、他の地方集落から人の往来も。現在でも多くの家屋が残る歴史的価値の高い場所です。

スゴログ 落合集落 廃村
滋賀県│落合集落

調査:2010年06月
再訪:2010年10月 / 2011年05月 / 2012年7月
公開:2010年11月18日
名称:正式名称→落合集落
状態:長期間放置(一部は元住民による保存活動が継続中)

旧サイトで複数回に分けて公開していたレポート内容を2012年現在の調査内容に統合して再エントリーしました。また古くなった情報などは精査して削除しております。



霊仙の集落群にあって主要集落を担っていた落合集落、広い平地と豊かな資源、村内に流れる川など発展するに必要な諸々の要素が揃っていたこともその要因の一つ。また複数方向からの山道が産業道路として開発されており、それらの道路が生活道路と共に集中する場所だったので交通の利便性も良かったと思われます。

そして何より周囲の集落で唯一の教育現場が用意されていた、これが何より大きな特徴と言えるでしょう。それではこの重要な集落拠点である落合集落の歴史に触れてみることに致しましょう。

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冒頭に説明した通り、この落合集落には子供たちの為の教育の場(学校)が設立されていました。大きな町から程遠い山岳集落にはこの様な教育の場を設けることが難しく、全国的にも殆どの場合は子供達が長い山道などを苦労して通学していました。

主要道路が集中するこの場所に行政との中継機関を置いたり、学校などなどの教育現場を用意することは集落の発展計画上においても重要な課題と言えたのではないでしょうか。

歴史は非常に古く、開校は1883年。山中の学校としては異例とも言える90年間もの歴史を誇った、名称は多賀町立多賀小学校霊仙分校で1985年に休校した後に1993年に廃校に。

つまりはバブル崩壊後までこの場所で子供達が学ぶ場が維持されていたということ、これは山岳集落の近代史においても貴重なデータです。

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芹川の分岐を過ぎて落合集落端の山道、こちらは男鬼方面へ延びる。集落は丁度Tの字に川で分断されており、三つの区域に分かれるという他の霊仙集落には見られない集落形成です。主な産業は他の霊仙集落と同じく林業、製炭など、潤沢な平地を利用した村内消費用の田畑の形跡も。

家屋の数では入谷集落に劣るものの村としての運営を含め、当時の霊仙では中心的な役割を果たす場所した。芹川本流と支流の合流部分にあたり、水の便は非常に良かったそう。先の写真に橋が写っていましたがその端を渡ると蓮休寺が今でも残されています、この蓮休寺は再建された物で1948年に一度全焼しています。

注意点
後述しますが山岳集落では珍しい平地水田の運用もあったようです

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芹川支流入口、ここから多賀町立多賀小学校霊仙分校へ向かう。石垣には苔が生し、経過した時間を感じさせますが意外と廃村に成ってからそこまで期間が開いてないのは以外です。しかも冬季完全無人化集落であり、夏季には滞在する元住民が居る事を踏まえれば「廃村」と呼称するのも失礼なのかもしれません。

因みにですがこの地域の石垣には数種類の積み方が見られ、その殆どは明治以前の施工と解る野面積みだった(凡庸な野面積みにも時代検証が行われており、現在では同様の積み方でも時代の開きが確認できる様になったと行政の方に教えて頂きました)。他には近年積み替えたであろう谷積や関ヶ原から近い事を考慮すると昔ながらの算木積と思われる石垣も見られた。

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こちらも苔生すお姿が非常に素敵な石積み階段、登るとしっかりと形を残した家屋、郵便ポストが在った。この様な僻地まで郵便物を運んだ職員さんはさぞ大変だったのでは、国内には郵便が運ばれない特殊僻地が少なからず存在しておりまして。現在でも郵便番号も住所も割り当てられてはいるのですが配達不可の地域が山間部などを中心に今でも確認できます、過疎化した集落はが今後増加傾向にあることを踏まえれば類似例はまだまだ増えていくのでしょう。

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古い家屋が連りますが行政が建設した公民館(霊仙落合荘)は目新しく映ります、と言うのもこの落合集落は霊仙山への登山口としても現在頻繁に利用されていて登山者の集合場所や駐車場としても稼動していからです。登山客が集まる時期には公民館が開放され、臨時の休憩所としても利用されている為に新しい建造物が在るというわけです。

注意点
過去に霊仙山に登った時は確かに車が数十台停められており、多くの人で賑わっていました。

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町歴を参照すると元々は犬上郡落合村、1874年に周辺の今畑村、入谷村と合併、霊仙村へと改称。この時期にはとうに周囲の村の中心的な存在として落合集落は栄えていた様です、後に多賀町となってから廃村に至るまでは変わらずに多忙で責任ある地方行政の縮図をこの場所に体言させていたのでしょう。

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こちらは冬季の模様、と言っても4月。落合集落から先は冬季通行止め(11月~3月)なので4月に再訪したのですが雪ドッサリ積もっておりました、4WDのスタッドレスでも挑みましたが路面状況が余りに危険でして…再訪の第一目標だった比婆神社には到達する事ができませんでした。

ところでこの落合集落、名前の由来は勿論「落ち合う」ことから来ています。これは全国の「落合」と名の付く地名の殆どに当て嵌まるのでご存知の方も多いことと思います。

ところで一体、何が「落ち合う」のでしょうか。

これも全国の「落合」同様に「川」なのです、地形的には落ち合うと言うより支流が合流するといった方が解り易いかもしれません。件の川は淀川水系芹川と淀川水系の支流、この二つの川が落ち合うことで落合集落の名称が根付いたそうです。旧い記録を紐解くと、恐らくは集落ができるずっと以前からこの場所を指す標示語だったと予想されます。

下流には芹川ダムもあり、本流は複数の支流の流れ込みもあって大きく成るのですが落ち合うもう一つの川、これが淀川水系という表記だけで川の名称はありません。当初ただの名称不明の川かと思って調べてみましたが正式に「名前が無い」名無し川なのです、国土交通省に河川登録されてないので行政的には落ち合ってないという矛盾点を抱えるなかなか興味深い地域なのでした。

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豊富な水源(霊仙山の雪解け水、芹川)の恩恵で山間部においては珍しい小規模な水田農耕が行われていたと霊仙の関連文献に記されていました、山岳地域における農作は通常畑で水田は地形的に行われませんが事実確認が曖昧な状況なので今後も追跡調査したいと考えています。

写真だと水口から地下水が流れ落ちているのが解ると思います、冬季でも水道管が凍結しない様に絶えず水を流し続けているとの事。これは他の寒冷地でも良く見られる凍結防止の方法ですね。

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管理されているのだろうか、待機電力を示す電気メーターのディスクがゆっくり回る家もありました。同行して頂いた元住民の方と多賀町役場の役員の方の話では保存活動の為に電動工具やコンプレッサーを使用するそうで、その為に個人(場合により共同)で電気をひく工事を関西電力さんに依頼して現状(電力供給)を維持しているのだとか。

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既に解体されたが当時の公民館的な大きな建造物も在った、学校も分校扱いで設置されていたけれど老朽化の為に解体されている。山間部の隔離集落にあって学校の存在(教育の場)が在るのはとても重要な意味を持っている、何せそこで学ばないと成人して村外での生活や人と接する上で色々と問題が出てくるからで周囲の集落の子供長い山道を通って通ったそうだ。

多賀小学校霊仙分校

1883年 霊仙学校・明了学校を重複別学区として二校設立
1886年 霊仙学校・明了学校が併合し簡易科霊仙小学校に
1892年 校名を芹谷尋常小学校霊山分教場へ変更
1941年 校名を芹谷国民学校霊山分教場へ変更
1942年 校名を多賀国民学校第四教室へ変更
1947年 校名を多賀小学校霊仙教室へ変更
1963年 校名を多賀小学校霊仙分校へ変更
1985年 休校
1993年 廃校

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この落合集落では「藤井」姓が目立つ、この写真の場所は恐らくその藤井姓の本家と思われる家屋跡。大変大きく、同敷地内に幾つかの別邸が密集していました。この家屋に掛けられた表札と同名の方の墓石がこの落合集落最南端で見られたので帰りがけに手を合わせに。

役場の方に「この村内の元住民とは現在も連絡が取れるのか」と質問すると半数以上が不明扱いとのことでした。家屋解体や敷地の税金問題、その他諸問題を踏まえると歴史的価値だけで現存させておくのも今後難しくなるだろうとおっしゃっていました。

確かに相続税や転居手続きをせずに離村した場合、実に多くの問題が発生するといいます。壊すに壊せず、かと言ってこの間々放置もできない…この落合集落に限らず全国の廃村を抱える行政サイドの悲鳴が聞こえてきそうです。

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やっと見つけた移動手段、古い廃自転車。


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多くの登山客やこの廃村を訪れた方を惑わす有名な張り紙「警察捜査中」、2010年最初の来訪から現在(2013年)に至るまでいまだ確認できます。それどころか公民館(霊仙落合荘)にも新たに貼られ、増殖は留まらずダンボールや木版にも大きく書かれた「警察捜査中」の文字。

四方八方手を尽くし、この地で大きな事件や事故(この様に公表する意味がある内容の事案)を調べました、長い歴史と古い所以をもつ集落なのでそこそこ大きな出来事は出てきますが…。

どうやら地元警察が用意している紙でもなく、また近年でこの様な”張り紙をする公表事案”も発生していませんでした。つまりはブラフ、これは元住民による安易な窃盗行為や破壊行為を抑止する為に貼られているものと予想されます。

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同伴して頂いた元住民の方もご存知ないとのことでした。

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落合集落の特徴、それは山間部の集落にして斜面が無いこと。霊仙の他の集落は何れも山中にへばり付く様に形成されていますが落合集落だけが平地に作られています。これは他の近隣集落に比べて通常の生活が平地というだけでとても楽だったことを示すのです。

故に近代化の為のインフラ整備も比較的進んでいると予想、幸運が重なることで落合集落は栄えたのです。

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落合集落の中央に位置する落合神社、立派な鳥居と威風堂々と聳える巨木がお出迎えしてくれました。と、ここで少し気になる事が。

この地域、霊仙廃村群や男鬼地区に残されている狛犬が全て同じなのです。相違が無いという事は同宗派、同一人物による設置、信仰上の問題…色々と考えられますが疑問点としては霊仙と男鬼は別区域なのです。

同地域の集落を跨ぐ地域信仰は神社が違えても理解できますが区域が異なる場合、神社の宗派も地域信仰も異なるわけですからとても不思議に思えるのです。この辺りに関しても何れ追跡調査を行う予定です。

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墓石にはそれぞれ「先祖代々之墓」と記されています、同地域において別姓が少なく分家別姓などが殆ど存在しない為に個々の姓を既述する必要が無かったのでしょう。実際どの墓石にも建てた者の姓が藤井姓と彫られています、落合集落の実力者も藤井姓であり、村全体が藤井の姓の関係者だった事を想像するのはこれまでの観察から容易です。またこの藤井姓で戦没慰霊碑も同墓地内に在り、ここから戦争に赴いた方も沢山居たのだと最後に驚かされました。

落合集落は調べればまだまだ沢山のエピソードを提供してくれそうな廃集落です、今後も機会を見つけて追記出来ればと考えています。

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参考・協力

彦根市役所
多賀町役場
多賀町立図書館
多賀大社
一般社団法人多賀観光協会



レポートの場所



注意点

該当区域は管理されており、無断での進入する事は法律で禁止されています。また登山物件においては事前にルートの選定、充分な予備知識と装備で挑んでおります。熟練者が同行しない突発的な計画に基づく行動は控えて頂く様、宜しくお願い致します。

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